皆様、大変大変ご無沙汰しています(>_<)
なかなかゆっくりブログを書くこともできず、ブログを開くこともなかったけど、せめてこの日だけは…

と言いながら、やっぱりゆっくり書くことができないので、先日Facebookに載せた文章でおゆるしを…(^^;


この前の日曜日、教会では震災10周年祈念礼拝をささげました。

あの日から10年…

当時、様子を質問される度に、

「真っ暗闇の中を手探りで、全力疾走している感じです」

と答えていました。

 

確かに先が見えず真っ暗闇の日々でした。

でも、そこでも神様が共にいてくださっていました。

 

確かに手探りで進むしかない日々でした。

でも、その手を神様が握ってくださっていました。

 

確かに立ち止まっていられず全力疾走し続けた日々でした。

でも、神様が先立って進まれ、そして日本中・世界中から多くの方々が伴走してくださっていました。

 

今、告白できることは、

神様は確かに私たちに将来と希望を与えてくださるお方であるということ。

本当に本当に驚くばかりのめぐみに感謝感激です。

 

下記に紹介したショートバージョンの動画。

そして日曜日の礼拝で流したフルバージョンの動画、「『荒野に道を』~ 震災10年 過去から未来へ ~」

最後の方の音楽「Amazing Grace」は、やはり福島第一聖書バプテスト教会を見つめ続け、伴走し続けてくださったピアニストの小堀さんが、大野チャペルのピアノで弾いてくださったものでした。

 

大切な神の家族と礼拝をささげながら、やっぱり涙が出てきてしまった震災祈念礼拝でした。

神様の大きな愛に感謝しつつ。

そして、見つめ続け、おぼえ続けてくださっている皆様に感謝しつつ。

 

 

 あの日から6年。「早かったですか?」と聞かれるならば早かった気がするし、「長かったですか?」と聞かれるならば長かった気もする。
結局のところ、バタバタしっぱなしで、目の前にあるその日その日をただ乗り越えることしかできなかった、そんな6年間だったように思う。
 
 辛かったことも様々な面で様々なことがあり、実は燃え尽きていた時もあったと思う。でもそんなことを言っていられない状況に常に置かれていたことは、神様からの恵みでもあったのだろうか。
ここで、もしじっくりと6年間を振り返ると、ドッと疲れが出てしまうような気もする。
 
 感謝なことを数えてみるならば、それも確かに数え切れないほど多くある。
どれほど多くの方々に見つめられ、手を差し伸べられ、そして祈っていただいたことか。
また、6年の歩みのそこかしこで、神様の偉大さを体験し、神様の愛の深さを知り、教会の持つ力の大きさを感じた。
この教会だったからこそ、様々なことがあっても、ここまで祝福の道を歩んでくることができたのではないだろうか。
 
 そんな日々の中で、自分は何をしてくることができたのだろうか。フッとそう考えることもある。
でも、自分が神様のために何をしてきたのか…ではなく、神様が自分を通して何をしてくださったのか。何をしてくださろうとしているのか。いつも身を低くし、神様にとって用いられやすい者でありたいと願わされている。
 
 この3月は、震災から6年を迎える月でもあり、自分が福島第一聖書バプテスト教会に来てから12年を迎える月でもある。
と言うことは、福島に来てからの年月は、震災を挟んでちょうど半分。これからは、“震災前”よりも、“震災後”の方が長くなっていく。“非日常”だと思っていた震災後の日々が、自分にとっての“日常”になっていく。
 
 12年前、福島に来ることを悩んでいた自分に、神様はみことばを通して語りかけてくださった。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)
 
 当時、牧師の働きから離れ、人生に右往左往していた自分のためにも、イエス様は信仰がなくならないように祈ってくださっていた。今も祈り続けてくださっている。その祈りを背に受けて、神様が自分を通して兄弟たちを力づけてくださるならばと、いわゆる“縁もゆかりもない”浜通りに飛び込んできた。
僕は、神様にとって用いられやすい者だっただろうか…。
 
 神様から与えられているこの日常に感謝しながら、神様が自分を通して、してくださろうとしていることの邪魔だけはしないようにしていたい。
神様が吹かせてくださっている風に乗って、神様が導いてくださるままに。それが自分の走るべき行程であるはずだから。

昨日の午後、小高チャペルに行ってきました。
震災から5年半、4つあったチャペルの全てが使えなくなっていましたが、唯一再び使うことができるようになったチャペルです。
震災前、毎週日曜日の夕方、少人数ながらも礼拝をささげつづけたチャペルです。地区集会やコンサートなどにも用いられたチャペルです。多くの教会員のささげものと祈りと願いがギッシリ詰まっているチャペルです。
そして震災時、津波の浸水を受けたチャペルです。

...

避難指示が解除されて、水道や電気が使えるようになり、下水道の環境も整い、やっとこの日を迎えることができました。
みんなで心を込めてお掃除をし、そして5年半ぶりに礼拝をおささげすることができました!!!!
このチャペルの建設に関わり、また、たくさんの思いを受け止めてこられている主任牧師はじめ長い教会員の方々の思いはどれほどだろうかと、時折声を詰まらせる話を聞きながら、胸が熱くなりました。

個人的にも、福島第一に赴任して初めてメッセージを語ったチャペルでもあり、毎月2回3回と足を運び教会員の方々と賛美と祈りを共にささげたチャペルです。教会員の方と僕の二人だけで礼拝をささげたこともありました。

そんなチャペルの扉を再び開き、まずは月に一回からですが日曜日の午後に礼拝を再スタートします!

 

神様の時の中で、これまでの導きに心から感謝しています。神様が決してそのご計画を止めることなく、これからも大きな御手の中で御業を見せ続けてくださることに期待しています。
これまでいっぱい積まれてきた祈りの上に、新たな歩みをスタートした小高チャペルが、この地にあって光として輝いていけるようにお祈りいただければ感謝です(^^)

先月のこと…


10月で15歳になったY君ご家族を連れて、大熊町の納骨堂に行ってきました。
(一時立ち入りが許可されるのは15歳以上なんです…)


震災以降、15歳になる日を指折り数えて待っていたY君。

お父さんが納骨されている場所に、やっと行くことができました。

震災前(一枚目の写真)には何もなかったのに、

4年半という月日は“雑草”とは到底呼べぬ植物を玄関脇に生やしていました…。







“時が止まったまま…”とは言えない荒れ果てていく光景。

増えていくネズミの糞。

走り回る猪。

見る影もない田んぼ。...



























13歳の我が家の長女も、「あと5年…あと3年…あと2年…」と、数えています。

もちろん15歳になったからと言って、行かない方がいいことは長女もわかっています。

でも“自分の家、自分の部屋”に一度は帰りたいと言うんです。


その頃にはどうなっているのか…。

この場所はどうなっていくのか…。

祈るばかりです。


僕自身も含めて、このような写真はもう見たくないという人も多いと思うけど、

今も祈ってくださる方がいるので、現状をお分かちしました。

あの震災から4年6ヶ月。
そして昨日今日と起こった大雨による災害。
あの時も、この時も、何もできない自分がもどかしかった。

でも、
あなたを心配している人がいる。
あなたは一人じゃない。
そのことを伝えたくて、ただひたすらメールを打ったあの時。この時。

あの時、神様の力・祈りの力を体験した者として、
この時、祈りの輪を広げるため情報を共有しようとメールを打ち続けた。

メールを打ちながら、ちょっと胸が苦しくなった。

たかがメール。されどメール。
あの時から毎週数回送り続けている“情報メール”。
受け取ってくださっている180人以上の方々に、慰めと励ましを届けられているかな…。


デボメも、デボメ広場も、
すっかりお休みしちゃってごめんなさい。
まだちょっと力が出ないみたいで…( ´_ゝ`)