APRIL 4, 1987 | The Extended

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2013年にリリースされた80's 12インチ・シングル・ディスク・ガイド「The extended」。そのブログ版。以前は洋楽中心でしたが今回は邦楽を中心に、各アーティストの初12インチ・シングルを紹介していきます。何卒、よろしくお願い致します。

APRIL 4, 1987

 

This Week No.1 Jody Watley/Looking For A New Love (Remix)

 

 

ジョディ・ワトリーといえば、ソウル・トレイン・ギャング。そして、シャラマー、ソロ・ワークでのヒット曲の数々。80年代から現在までポップス〜ダンス・ミュージックを彩った女性シンガーのひとりだ。詳しくは公式バイオを参照。

 

シャラマーとして〈S.O.L.A.R Records〉へ移籍し、「Second Time Around」、「Make That Move」、「This Is For The Lover In You」や「A Night To Remember」などのヒット・ソングを生み出したが、ディック・グリフィーとの確執やメンバー同士のエゴのぶつかり合いに辟易していたジョディー・ワトリーはジェフリー・ダニエルと共に、83年にグループを脱退した。

 

シャラマー時代の楽曲はイギリスでも大ヒットした。過去にワールド・ツアーの一環としてイギリスでも公演を行って大成功を納めている。また、彼女らはイギリスの人気音楽番組『Top Of The Pops』にも出演しダンス・パフォーマンスを披露した。余談だが、このライヴ・パフォーマンスでメンバーのジェフリー・ダニエルが披露したバック・スライドは(バック・スライド自体は、オールドスクールなダンス・ステップの定番ではあるが)、マイケル・ジャクソンが継承(元エレクトリック・ブーガルース、ポッピン・タコの影響もあった)しムーン・ウォークとなった。

 

恐らく、このときの体験がもととなり、彼女はソロ・アーティストとしての再出発の場所にイギリスを選んだのではないだろうか? 84年には早速〈Mercury〉と契約しジョディー名義でシングル「Where The Boys Are」を、85年には「Girls Night Out」をリリース。プロデュースは、ゲイリー・ランガン。ゲイリーといえば、トレヴァー・ホーンらと共に〈ZTT〉を設立、アート・オブ・ノイズのメンバーでもあった。シャラマー時代とは違うイギリス産のシンセ・ポップへと大胆に舵を切った意欲作だったが、ヒットに恵まれなかった。

 

84年に彼女は、ボブ・ゲルドフが発起人となったアフリカの飢餓救済を目的としたプロジェクト〈Band Aid〉に参加。シングル「Do They Know It's Christmas?」がリリースされ世界中で話題となりミュージシャンによるチャリティー・ブームのさきがけとなった。

 

その後、彼女はアメリカ戻り〈MCA〉とソロ契約(当時、MCAは〈S.O.L.A.R Records〉のディストリビューターだった)。ジュディー自身とアンドレ・シモンのペンによる楽曲で、プリンス・ファミリー出身のアンドレ・シモンとデヴィッドZのプロデュースでリリースした4枚目のシングルがこの「Looking For A New Love」だ。ハードなドラムが印象的なダンス・トラックで、かつての仲間だったプリンスやジャム&ルイスらが得意としてきたミネアポリス・サウンドだ。ポップ・チャートで2位、R&Bチャートで1位を獲得した。

 

プロデューサーのアンドレ・シモンを紹介したい。彼は、ミネアポリス生まれ。76年、プリンスの幼なじみでモリス・デイらと共にローカル・バンド、グラハム・セントラルを結成(マネージャーはモリス・デイの母、後期はペペ・ウィリー)。地元では人気のバンドだった。また、若きジャム&ルイスらが率いるフライト・タイム(後のザ・タイム)とライバル関係にあった。その後、グラハム・セントラルは6曲のオリジナル楽曲を残し、シャンペーンに名義を変更。しかし、78年に、プリンスがワーナーとの契約が決まったことでバンドは解散となった(同じ時期、プリンスの従兄弟の婚約者であったペペ・ウィリーに誘われたアンドレはプリンス(ボビーZも)と共に94イーストに参加している)

 

同年には、プリンスがはじめたプリンス・バンドに参加。地元で行った2回のライヴのみで解散。そのまま新バンド、ザ・レベルズをスタートし9曲のデモを制作するも解散。また、同時期にメイン・イングリーディエントのメンバーでプロデューサーのトニー・シルヴェスターに誘われ、リトル・アンソニー&ザ・インペリアルズのためのデモ・セッションをペペ・ウィリー、プリンスと共に行い数曲のデモを制作するも採用されず、プリンスはこのデモから数曲を自身のアルバムで流用している(そのうち「With You」、「Do Me Baby」はアンドレの曲だった)。

 

79年、プリンスが前座だったリック・ジェームスの東部ツアーに、プリンスのバック・バンドのベーシストとして参加。80年、プリンスのダーティー・マインド・ツアーに参加。しかし、ツアー後にバンドを脱退。プリンスのファーストやセカンド・アルバムにおいて、セッションやデモ制作をしたにも関わらず彼が一切クレジットされなかったことなどが引き金になったようだ。

 

82年、〈Colombia〉からソロ・デヴュー。同年にアルバム『Livin’ in the New Wave』、83年には『Survivin' in the 80’s』をリリースした。また、プロデュース業もスタート。同年には、女性エレクトリック・ファンク・グループ、ザ・ガールズ(アルバム『Girl Talk』)を世に送り出したがヒットには恵まれず85年に解散。他にもエヴィリン”シャンペーン”キングのシングル「Teenager」をプロデュース。アルバム『Face To Face』では全4曲を手掛けた。

 

85年に、彼はプリンスと邂逅。プリンスが彼のために書いた「The Dance Electric」がヒットを記録。この曲を含むサード・アルバム『A.C.』は、ダンス/クラブ・チャートで8位、R&Bチャートで10位を獲得した。(PRINCEVAULTより)

 

話を戻そう。この12インチ・シングルは、この1曲のみで5ヴァージョンを収録。リミックスは、当時の〈MCA〉副社長であり西海岸のプロモーター、エンジニア、リミキサーとしても活躍していたルイール・サイラスJrが手掛けた。リミックスとなっているが、オリジナルのイメージを損なわないように、イントロや間奏を引き延ばしたエクステンデッド・ヴァージョンになっている。

 

 

 

 

 

 

Sampled:KMD/What a Nigga Know? Black Bastards Sub Verse 2001

 

 

 

 

 

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