松岡と父とボクと母が家で飲み。 | ダメ営業七転八倒

松岡と父とボクと母が家で飲み。

 独立したような、直前のような松岡真道が家に来た。実に高校卒業直前、設計士の仕事とはどんなもんなのか、ウチの父に話を聞きに来た時以来、実に20年ぶりだ。ヤツも必死なのだ。ウチの父は既にリタイヤしてしまっており、何か仕事を直ぐに紹介できるわけではないという旨はあらかじめ告げておいたが、それでも、と。まぁ、いつどこでどのような縁があるか分からないし、なにかヒントになることもあるかもしれない。

 松岡の実家は浄土真宗の寺院なのだが、現在ヤツ自身の設計で庫裏を改築中である。その図面を父に見せ意見を求めるところから。アルコールも入りながらなので、話題はいろいろと飛びまくるのだが。同じく高校の同級生で今は品川で事務所を開いている筏真司が設計した建物と一緒に掲載された雑誌なんかも見せられたりした。高校時代、多分松岡と筏は交流は無かったはずだが、大学で仲良くなり、まぁ、はっきりいって、身内みたいなようなものの様である。
 さて改築中の庫裏であるが、父の印象は「こりゃまた随分と複雑な…」というものだった。RC、鉄骨、木造のハイブリッドで、なおかつ、隣接した道に沿って微妙な角度で折れ曲がる。松岡いわく、意識してそのようにした部分もあるのだと言った。富山ではまだまだ建築士発の建物がよそに比べて随分と少ない。地場大手のハウスメーカーが強い、そういうところは全国的にも珍しいのではないか?ということだったが、そんな中で、富山ででもこんなことができるのだ、というものにしたい、との事だった。

 アルコールも入り、松岡とボクと両親も加えて、建築論、芸術論の話を延々とやった。まず、この前父とボクが講演会を聴きに言った安藤忠雄氏のこと。そして、磯崎新氏や黒川紀章氏といったボクでも分かるような大御所から、父と松岡にしか分からないがしかし、建築の世界では有名人らしい人の名前までいっぱいでてきた。
 建築、というより、商業デザイン全般にいえるのだろうが、純粋芸術とは違い、これらはきわめて左脳的な表現であるということ。そんななかで、安藤忠雄氏みたいに、完璧にオレワールドを追求できるひともいないではないが、多くの場合、コーディネーターたる資質を要する、ということ。
 そのなかで、現在の50,60代の建築家は建築の中に物語性を盛り込む方が多いのに対し、30代、40代の建築家は物語や自分のタッチを可能な限り薄めていきたいと言う傾向にあるらしい。ストーリーのかわりにそこにあるものは「プログラム」であり「関係性」なのだと松岡は言った。
 「モダン」「ポストモダン」「脱構築」。建築用語以外の意味では、大学時代随分なじんでいた言葉も出てきた。

 ひとつ、建築、殊、住宅と言うのは原則は完全にプライベートなものであるけれど、その中に、何かひとつパブリックなものを盛り込むべきだ、と言う話が出た。ひたすら、内にこもるのではなく、観念的ではあるけれど、どこか外へ開かれた部分。それは、周囲との調和であったり、自己矛盾的ではあるがもっともっと内面でのフェイズでの話であったりするが、多分、そういうものが次の時代の建築を作っていく糸口になるのではないか、と言う話だった。

 帰り間際、父は今日は随分楽しかったと松岡に言った。久々に若がえったような気分にもなったのかもしれない。松岡もそこらそこら満足していたみたいだ。よい酒だったと思う。