京葉線蘇我駅~千葉貨物ターミナル…その1 | キマロキさんのブログ

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 乗り物ネタを中心に、日々の出来事、旅で見たもの、出来事のブログです。

 今日は、休みで入間基地へブルーインパルスの予行を見に行っても良かったのですが、いろいろと忙しくて行けませんでした。

 で、今回からは、京葉線の蘇我駅~千葉貨物ターミナル(現廃止)旧線と、食品北線、食品南線の廃線跡をアップします。

 まずは、蘇我駅~千葉貨物ターミナル旧線です。この線は、昭和50年5月10日に貨物線として開業し、蘇我駅~都川信号場間は、川崎製鉄(現JFEスチール)の専用線を借用していました。

 また、同じ日に食品南線(千葉貨物タ~食品南駅)、食品北線(千葉貨物タ~食品北駅)が開業

 昭和61年1月21日に現行の高架線の運用開始、これに伴い、川鉄専用線の借用運転と、都川信号場を廃止しました。

 昭和54年に、食品北、南線は輸送量のピークを迎えますが、国鉄の貨物合理化や、労使紛争によるダイヤ混乱などで、徐々にトラック輸送にシフトされ、平成元年には、取扱貨物が無くなりました。

 これにより、平成6年1月20日に食品北、南線が廃止。

 ちなみにこの2ヵ月後の3月3日に、京葉線の旅客線第1期となる、千葉みなと~西船橋間が開業しました。

 その後、千葉貨物ターミナルの貨物取扱量も減っていき、平成8年3月17日には営業休止となりました。

 2000年の4月1日に千葉貨物ターミナル駅が廃止となりました。これにより、京葉臨海鉄道の村田駅が、千葉貨物駅を名乗っています。

 

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 蘇我駅の貨物駅側です。画像奥が、千葉方面で、見づらいですが、画像中央付近に京葉線の高架に向かう上り勾配が見えます。

 車の止まっているところが廃線跡で、左にカーブしていきます。


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 前の画像から振り返ったとこです。ちょうど上りの113系普通電車がきました。右端の建物と、信号のリレーボックスは、廃線跡のレール撤去後に設置されたものと思われます。


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 奥が千葉みなと方面です。現在はレールを撤去し、幅を拡幅して、縦列駐車の駐車場になっていますが、当時は、単線で幅も狭く、カーブももう少し急だったと思います。

 かつては、京葉臨海のKD55(DD13タイプ)とDD51が重連で、フランジをきしませながら、15km/hくらいのゆっくりした速度で、コンテナ列車を牽引していました。

 

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 前の画像から、さらに千葉みなと寄りに進みました。両サイドのフェンスは、当時は、古枕木に鋼線(有刺鉄線だったかな)という、ローカル線にありがちな柵でした。

 拡幅した際に、金網に替えられたようです。

 にしても、縦列の駐車場とは…、苦手な人には辛いですね。


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 さらに千葉みなと方面に進みます。当時は住宅のすぐ横を、貨物列車がゆっくり進んでいました。


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 振り返って蘇我方面を見ます。カーブの仕方が、いかにも鉄道っぽいです。


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 さらに千葉みなと方面に進みますが、この辺りから、柵が金網からガードレールに変わります。

 鉄道の痕跡は見当たりません。


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 国道357号線(当時は16号線)の踏切付近です。左が木更津方面、右が千葉、東京方面で、奥が川鉄方面となります。

 踏切の痕跡はすでにありませんが、これまでの痕跡からの延長線上で、正面の緑地に向かっていたと思われます。

 蘇我駅を境に京葉臨海の北袖方面の、国道と交差するところは、跨線橋で、立体交差(通称蘇我陸橋)になっていますが、千葉方はさほど運転本数が多くなかったのか、道路の空いている夜間の運転が多かったからなのか、京葉線建設までの暫定だったからなのか、踏切でした。

 次回は、川崎製鉄専用線跡ですが、ここは大きく変貌してしまったのと、敷地内で当時の様子が判らなかったこともあり、難儀しました。