災害がれきがセメント工場へ、リサイクルされて大丈夫? | 脱原発の日のブログ

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12月8日は1995年、もんじゅが事故を起こして止まった日。この時、核燃料サイクルと全ての原発を白紙から見直すべきだった。そんな想いでつながる市民の情報共有ブログです。内部被ばくを最低限に抑え原発のない未来をつくろう。(脱原発の日実行委員会 Since 2010年10月)

太平洋セメントは、埼玉でガレキを受け入れたり、大分県津久見市でも受け入れています。
他にも、関西のセメント会社が似たような動きをしないか、要注意です。

(1)ここは多分大丈夫
◆三菱マテリアル:セメント事業部は関西には無し
http://www.mmc.co.jp/corporate/ja/03/01/06-index.html

◆宇部興産:堺工場があるが、セメント事業部ではないので、多分大丈夫
http://www.ube-ind.co.jp/japanese/about/organization.htm
http://www.ube-ind.co.jp/japanese/about/office_j.htm

◆トクヤマ:関西に工場無し
http://www.tokuyama.co.jp/company/address/japan.html


(2)要注意か?
◆住友大阪セメント:赤穂工場-セメント工場あり
http://www.soc.co.jp/frame06.html

◆太平洋セメント:藤原工場 三重県いなべ市が関西に最も近い
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/company/address.html


(3)太平洋セメントとガレキについて:ここが最も危ない
◆県が太平洋セメントがれき処理委託へ「太平洋セメント大分工場(津久見市)に処理を委託」
http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000001204250001

◆復興へがれき資源化/太平洋セメント大船渡工場製造部長・小池敦裕さん=大船渡市
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1070/20120412_01.htm

◎地元思い除塩技術確立

 大船渡港に面した広い埠頭(ふとう)用地。木材くず、廃タイヤ、土砂、コンクリート片などが別々の山に積まれ、ショベルカーやダンプカーが慌ただしく動く。大船渡と隣の陸前高田の市内から運ばれたがれきだ。
 「各地の仮置き場で1次選別をした後、この集積場で破砕し、不燃、可燃系に分ける。道路工事の資材になるもの、船で向こうの工場に運ばれてセメント作りに生かされるものなど、大半が復興の現場に還元される」
 ヘルメットに作業服の小池敦裕さん(51)が指したのは、対岸に煙突やサイロが並ぶ太平洋セメント大船渡工場。3年前から製造部長を務める。
 案内された工場の構内には、分別後のがれきを水で除塩をする施設があった。その先の工程では、長さ100メートル、直径5.8メートルという巨大なロータリーキルン(回転焼成炉)がもうもうと湯気を発している。1450度もの熱だ。
 けい石やアルミなどを含む土砂はセメント原料になり、木材くずや廃プラスチック、廃タイヤなどは燃料に。その灰もセメント原料になる。「セメント工場はリサイクルの先進産業でもある。2年先までに約80万トンのがれきを処理する計画」と小池さんは胸を張った。

 昨年3月11日、工場には約7メートルの津波が押し寄せた。地震の後、当時いた百数十人の従業員は全プラントを止め、高所に無事避難した。「チリ地震津波(1960年)の経験から、避難経路を定めて訓練を重ねた」ことの結果だった。
 東京から単身赴任の小池さんは工場に泊まり、水没も起きた構内の復旧を指揮した。そこへ20日ごろ、大船渡市から「津波で壊れた家々のがれきの焼却処理を引き受けてもらえたら」と相談があった。
 工場が大船渡に建設されたのは1936年。従業員の大半は陸前高田を含めた地元出身で、津波で家族を亡くした人も5人いた。「津波のがれきの処理は未体験の挑戦。だが、地元の工場としては当然の使命だった」
 キルン1基は幸いに無事。だが、6万6000ボルトの超高圧電線が損傷し、回復に半年かかる見込みだったという。「町の復旧のため」と、小池さんは市の担当者と一緒に東北電力に掛け合い、5月初旬に電力が戻った。翌月、焼却が始まった。

 「難題は、津波をかぶったがれきの塩分をどう抜くか、にあった」と振り返る。セメントは塩分が濃いと製品化できず、プラントも傷つく。
 除塩の施設づくりで知恵を出したのは、セメント製造での産業廃棄物の再利用を技術面で支えている会社リマテック(大阪)のスタッフ。
 99年、岩手・青森県境の山中で大量の産廃不法投棄事件が発覚したが、大船渡工場は2004年から岩手側の産廃処理を引き受けている。その資源化工程をリマテックとの共同で開発した。
 「その縁が今回に生きた。私も市内の自治会長や二つの漁協と話し合って、がれき処理に理解をもらい、市や建設業協会と協力関係もつくれた」
 大船渡で生まれた資源化の仕組みは、各地のセメント工場にがれき受け入れの機運を広げている。放射線の検査も重ねており、「がれき処理が安全で復興に役立てることを知ってほしい」。(寺島英弥)

2012年04月12日木曜日
三菱マテリアル|事業所
www.mmc.co.jp


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http://gomitanteidan.blogspot.jp/

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見学会も予定されています。