設計主義、「聞く」姿勢、歴史の連続性 | 真の国益を実現するブログ

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あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。

1.設計主義と論理の限界、多様な意見を「聞く」姿勢

「設計主義」という言葉があります。保守主義者が批判の文脈でこの言葉を使う時は、次のような意味でしょう。

「人間の論理には限界がある。だから、政治家や官僚が『これが正しい』と考えた制度も、完全に正しいことはありえない。特定の政治家や官僚の思想(設計図)に従って、既存の制度や文化を急激に変更することは好ましくない」

例えば、GHQによる戦後の民主化改革などは、典型的な設計主義による改革だとはいえないでしょか?GHQのマッカーサー元帥は、次のように発言しました。

「現代文明をもって測定するなら、我々が45歳だとすると日本人は12歳の少年のようなものである。日本人は、新しいモデル、新しい考えを受け入れることができる。日本に基本的概念を植え付けることは可能である。彼等は生来、新しい概念を柔軟に受け入れるだけの素質に恵まれている」

・・・つまり、マッカーサーは「アメリカは民主主義が定着しているのに対して、日本は遅れている。しかし、未熟だからこそ、我々の優れた自由・民主主義の精神を吸収することができる」と考えたのではないでしょうか?

こうした、「アメリカ式の民主主義は正しい」という思想の下に、日本国憲法はつくられて、戦後の大改造が実施されました。

戦後の日本大改造だけでなく、欧米列強国による植民地経営なども設計主義によるものだと考えられるでしょう。欧米の「優れた」価値観や論理を、未開の途上国には広げなければならない。欧米の列強大国が支配した方が、住民も幸せだ・・・ということです。

これは、とてつもなく「おこがましい考え方」ではないでしょうか?

今、安倍内閣の経済政策も、このような設計主義的な面があるとはいえないでしょうか?

安倍政権は新自由主義的な経済政策であり、議会制民主主義よりも官邸の経済財政諮問会議や規制改革会議、産業競争力会議を重視しています。国民の代表である国会議員の意見を集約することよりも、産業競争力会議の経営者や経済学者の意見を重視しているのです。

人の意見を聞くことは非常に重要です。しかし、「日本を大改造してやろう」「私たちは、優秀な大企業経営者・経済学者だ」などと考えている傲慢な人たちではなく、聞くべきは一般の庶民の声ではないでしょうか?

中小零細企業や就職が難しい若者、地方のシャッター街などは、どうなっているのでしょうか?医療の現場では、どんな困難があるのでしょうか?

そうした苦しい状況を無視して、TPPや規制緩和によって、自由で大企業による収奪(レント・シーキング)が行われる経済が、日本にとって良いのでしょうか?

今、求められているのは、安倍政権が「上から」考えるような政策なのでしょうか?

筆者も、数日前に「B層」などという言葉を使用してしまい、大変反省しております。「知能」などという言葉も、引用元にあったとはいえ、使ってしまいました。

ある人が、「こういった人は知能が・・・」とか「こういった人は駄目だ」などと批判したり、判断するのは好ましくないことです。先にも述べましたが、人間の論理には限界があるからです。それを認めた上で、他の人の立場も認める、肯定することが求められるのではないでしょうか?

大企業経営者や大学教授は、ともすればホワイト・カラーや大企業の立場から「だけ」の視点になってしまいがちです。彼らは自分を「偉い」と思っているのでしょうが、ホワイト・カラーだけでは世の中は回っていきません。

例えば、人々が乗っている自動車や電車は、誰が製造しているのでしょうか?毎日のゴミは、誰が収集してくれるのでしょうか?伊勢神宮の1000年以上に及ぶ建築文化は、誰が担っているのでしょか?立派なビルでホワイト・カラーの人が働けるのは、誰かが土木・建設工事をしてくれたからではないでしょうか?毎日食べているお米は、誰がつくっているのでしょうか?

もっと、現場で汗を流す人を尊敬し、感謝の気持ちを忘れず、多様な人の声を聞き、論理「だけ」では判断しない・・・こうした工夫が求められるでしょう。

2.歴史の連続性

保守主義とは、「歴史の連続性」を守っていくことではないでしょうか?

我が国は、天皇陛下による国家の統一、武士による幕藩体制、明治維新、日清・日露の戦いや大東亜戦争など、多くの歴史を紡いできました。

時には、残酷なこともありました。時には、外国による干渉もありました。

しかし、大事なことは、闇の部分も含めて日本の歴史を「肯定する」ことではないでしょうか?

新自由主義の方々は、今の日本を「否定したい」と考えているとしか思えません。竹中平蔵氏などは典型ではないでしょうか?そういった意味では、新自由主義は「左翼」と同類です。根っこでは日本が嫌いなのでしょう。

私は、今の日本、そして過去からの歴史を「肯定したい」と考えています。だから、日清・日露戦争も大東亜戦争も、肯定したいです。

アメリカによる日本国憲法の押し付けや戦後大改造は非常に腹立たしいですが、それも一つの歴史であることを踏まえなければなりません。

よって、私は、現行憲法を廃棄して大日本帝国憲法へ戻れ!などと言うのは、論理的には正しい面があったとしても、受け入れがたいと考えています。なぜなら、戦後70年の中で、日本人の価値観は変わってしまいました。この状況で、戦前に一気に戻るのは、それこそ「グレート・リセット」に近い発想だからです。それは、戦後の日本を「完全に否定」している態度です。例えば、女性の参政権を奪え!とか、徴兵制を復活しろ!とか、もはや暴論に近いと考えています。

保守派の中には、戦前を美化して考える方が多いです。確かに、戦前には良いところがありましたが、やはり戦前には悪いところもありました。

戦後も、良い面と悪い面があります。

よって、今の戦後レジームから「少しずつ」脱却して、戦前の良かったところは「取り戻す」のが良いのではないでしょうか?

また、基本的には今の日本の制度や文化を肯定した上で、それでも悪い部分、時代に合わない部分は「少しずつ」「多様な意見を聞きながら」改革していくべきでしょう。

間違っても、「少数の意見で」「一気に、急激に」改革を実行してはいけないと私は考えています。


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