東日本大震災から2年 | だるま親雲上日日記

東日本大震災から2年

だるま親雲上日日記-ソニー仙台FCの一撃

 ご覧になりましたか。ヤフーニュースのトップに、『スポーツ報知』に掲載された「【JFL】福島U、被災地に捧ぐ大金星」の見出し↓。
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/etc/news/20130311-OHT1T00004.htm
 昨季の地域リーグを勝ち上がってきたばかりの福島ユナイテッドFCが、J2から降格してきたばかりの町田ゼルビアを敵地で降しました。
 そう、今日は、東日本大震災から2年目。亡くなられた方々にとって、3回忌という節目に当たります。
 福島ユナイテッドFCも原発被災の影響を受け、満足な練習も出来ない中、地域の希望を背負って地域リーグから這い上がって来きました。
 昨日、われらがFC琉球が闘ったソニー仙台FCも、自ら被災者となりました。にも関わらず、地域に希望の灯りを点すべく、この2年間頑張って来ました。ソニー仙台FCは、JFLということもあり目立ちませんが、J1ベガルタ仙台の快進撃を目の当たりにするとき、なぜそんなに頑張れるのかという理由を知ることが出来ます。
 昨日のわれらがFC琉球対ソニー仙台FC戦を省みて、3000余の観客を迎え、前半のような試合展開ならば、次のホームは倍の観客が訪れたに違いありません。
 しかし、後半。われらがFC琉球は、ペースが落ち、足が止まり、別のチームになっていました。それを3月では珍しいほどの暑さと湿度のせいには出来ません。
 昨日の仙台は、春の陽気で最高気温が15.5℃、ただし最大瞬間風速は西北西28.5mといいますから、さながら「春の嵐」。そして、最低気温は、-1.5℃。そのような環境からやって来て、同じピッチで闘いながら、後半の粘りを見せたソニー仙台FC。
 「この初戦。絶対に勝つっ!勝って地元にエールを送るんだっ!!」
 ソニー仙台FCの選手1人1人から、強い意志を感じました。だからこそ、試合終了のホイッスルとともに、悔しさをあらわにしていました。あるいは、涙する選手もいたのでしょうか・・・。
 「背負っているものが違う。」
 福島ユナイテッドFCのニュースに触れ、改めてソニー仙台FCに敬意を表します。いつか、われらがFC琉球も地域と、もっともっと密着したチームになれるように、皆さんを目標にしたいと思います。
 東日本大震災から2年。犠牲になられた皆々様に対し、心から哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
 合掌。