アイヌ・沖縄、そして韓国7-5 | だるま親雲上日日記

アイヌ・沖縄、そして韓国7-5


だるま親雲上日日記-アイヌ・沖縄、そして韓国7-5

 1972年、施政権が返還されると、沖縄開発庁が置かれ、国の行政としては「特別扱い」を受けます。ちなみに、沖縄・北方対策庁が、北海道開発庁と沖縄開発庁になったのです。

 沖縄開発庁は、2001年から内閣府沖縄総合事務局になり、北海道開発庁は、国土交通省の「局」に格下げされています。

 格下げされた北海道は、それだけ内地化がスムーズに進んだからでしょうか、沖縄には、外交官として沖縄大使が配されておりまして、なかなか事の本質は、思うように進められていないようです。

 それは取りも直さず、日本に駐留する米軍の75%が、国土の約1%にしか満たないこの地に置かれている理不尽に直結しています。

 北海道には、北辺を守備する自衛隊が配備され、国防を担っていますが、沖縄では金魚の糞的存在に見劣りするほど、米軍の影に隠れているといって過言ではないでしょう。

 自国の安全は、自分たちで守るというのが、自衛隊の主旨であり、米軍の守るべきは、彼の国の利益でしかありません。同盟とか「トモダチ」などという甘言に惑わされて、いざとなれば刃を向けられる事態を想起できないのは、実に悲しいことです。

 日米地位協定によって、たとえ飲酒運転の米兵に轢き殺されても、向こうが公務時間内といい張れば、彼の米兵に罪を問うことはできません。

 強盗、強姦、殺人・・・。地元新聞に掲載されない事件も少なくありません。1995年米兵少女暴行事件、2004年沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件(写真)などは、沖縄県民の米軍に対する拒否反応を如実に示しながらも、日本によって軽視されている事件です。

 重視していると仰る方に問いたい。では、なぜ普天間基地を沖縄県以外へ受け入れていただけないのでしょう。嘉手納基地だって、熨斗を付けてさしあげますが。これを沖縄軽視、否、差別というのです。

 そして、いよいよ竹島に足を踏み込みましょう。

 17世紀の「竹島一件」により、日本はそこを朝鮮(当時の国名)に帰属する島と認めましたから、当然その後は、版図として記録されていません。

 そのことは、江戸時代はおろか、明治の御代になっても、地図に記されていないことから容易に理解できます。その1つの事例は、1877年に日本陸軍参謀部が著した『大日本全図』です。そこに、竹島なる島は記されていません。

 ところが、世界は、急坂を転げ落ちるように帝国主義の時代を突き進みます。