アイヌ・沖縄、そして韓国7-4 | だるま親雲上日日記

アイヌ・沖縄、そして韓国7-4


だるま親雲上日日記-アイヌ・沖縄、そして韓国7-4

 シャクシャイン(写真:シャクシャイン像)の戦いは、裏切りとだまし討ちによって幕を閉じ、アイヌに対する仕打ちは、一段と過酷さを増しました。そして、江戸時代を経て、明治時代になると1899年に北海道旧土人保護法が制定され、アイヌは制度として差別されます。

 なんと、この法律は、大正、昭和、平成と生き、ようやく廃されたのは1997年のことです。

 日本は、単一民族の国であると考える方が少なくありませんが、民族学上アイヌは、日本民族ではありません。さらに、第2次世界大戦前に日本の領土であった南樺太にいながら、敗戦と共に日本国籍を有していたという理由で北海道へ強制移送、または自ら移住したウィルタ、同じような命運をたどらされた二ヴフといった民族が在住しています。

 アイヌと二ヴフは、いずれにも属さない固有のアイヌ語、二ヴフ語を持ち、ウィルタは、ツングース諸語系のウィルタ語を有します。これらの人々は、いうまでもなく先住民であり、日本人がその土地を奪ったのです。

 一方、南の沖縄へ目を転じましょう。もともと沖縄は、琉球という独立国でしたが、1609年に日本(薩摩)の侵略を受け属国化させられました。

 当時の明と交易を行いたい幕府の意向もあり、傀儡ながら表向きは、独立を保ちました。当然、日本からの無理難題は、人々の肩に重くのしかかりました。なんせ、琉球と日本の両方へ年貢を納めるのですから。

 さらに、与論から奄美は、薩摩へと奪い取られ、それはそれは過酷な政策に喘ぐことになりました。薩摩は、「人は城」の考えの下、地方の郷士を利用して、徹底的に人々を支配しましたから、領内で一揆などが起こったことがありませんでした。

 ところが、1864年、徳之島の犬田布村で一揆が起こりました。それほどに奄美地方での支配が、過酷を極めていたのです。

 さて、江戸時代から明治時代へと替わろうとした1871年、廃藩置県によって中央政府による地方直轄が行われるようになります。

 翌年、琉球は「琉球藩」とされ、1879年になって沖縄県へと廃藩置県が行われます。いつの間にか、「日の本64州」とはまったく異なる性格の「国」が、なし崩し的に内地化されてしまったのです。

 そこに生じる矛盾は、歴史的葛藤として今日に至っているのです。即ち1945年、太平洋戦争末期に展開された沖縄戦であり、戦後27年間も続いた異民族支配、そして居座り続ける米軍です。