めざせシンプルライフで物を減らそうと思ったけれど
思いのほか減りはしなかったのだけれども。

ただやってよかったなと思ったのは
捨てる前に友人たちや寄付ができるかをことさら意識することを継続できたこと。

断捨離という言葉が巷ではやっているけれど
物が減ったからですぐに幸せになれるかと思ったらそうじゃなくて

私は本とか読んでないけれど(←駄目ジャン)

ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというもの・・・というのは知っている。

物を単純に減らしたから幸せになるというのではなくて
己の魂の磨き方の一つということで

私的にはゴミ箱へポイポイ捨てることで、幸せになれるとは思わない。


私の勝手な考えだけれど
幸せになれる人というのは、人の幸せが願える人だと思う。

自分に不要なものを断つというのは=捨てるではなくて
自分には不要なものをただ朽ちらせるのではなくて、そのモノが生きるところへ引き渡す=執着を捨てる。
モノや人の幸せを願う考える思考をもつことが大切なのではないかと思う。

不要だろうがなんだろうが、自分のものは自分のもの。
使って無くても自分のもの。
誰にもあげないわーっていう執着を捨てることが
本来のモノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れるということではないかと思う。
モノが多い少ないという単純な質量の問題ではないのだと思う。

だから2010年は特に意識をして自分が持っているもので、私よりもふさわしいところがあるかもと考えるようにした。

昨年末に古いタオルとかいろいろと動物愛護団体JCDLさんに送った。
トップ頁:http://www.jcdl.jp/index.html
支援物資要請リスト:http://www.jcdl.jp/support.html
わざわざ年賀状が送られてきた。
寄付の感謝のメッセージがあった。

最近大変そうだけれどスーちゃんさんとこのSudati にも寄付してみたら
すごくあたたかい感謝のメッセージをもらった。

ホテルの歯ブラシとかかみそりとかを貯めていたのは、ホームレスの支援団体へ寄付してみたら
感謝のメッセージをもらった。
要請品:http://ohkiku.p1.bindsite.jp/kihu/index.html

母の布わらじの材料としてTシャツとか古い洋服をいただく機会が多く
その洋服についていたボタンとかヒモを、まつだしず様に託したら
布と一緒に沖縄のDV等で苦しむ人たちのセルフヘルプ・グループ へ送ってくださったらしい。
要請品:http://homepage3.nifty.com/officeserve/volunteer.htm

お礼のメッセージをもらったということの連絡をうけ、そのメッセージを写真にとって送ってくれた。

友人は喜んでくれたり、御礼が送られてきたり
いろいろなメッセージをもらったり
こんなブログですがなんか「寄付」とかの検索によくひっかかるみたいで(^_^;)、
寄付の仕方を聞かれることもあり、教えてみたら、それだけですごく感謝されたり。

モノを通じて、誰かの幸せを考えることが増えた。
モノを通じて、友人たちの顔を想像することが増えた。
そうやって意識をして行動をするようになってから、
より頂き物が多い類の人になった気がする(ダリ曰く、私はわらしべ長者)。

送料とかは確かにかかるけれど
誰かに喜んでもらえたということは
自分の力となっているように思う。

そして、私が支えているというよりも、
私は寄付した先の人たちからのメッセージや活動で
私を支えてくれているような気がする。
ただモノを減らしいている=捨てているのではなくて、
沢山のことを人から与えられているのではないかと思えるようになった。


---
そして・・・

普通に生活していると不用意に入ってくる企業おまけ類など、
ボールペンとかエコバックとかメモ帳・・・無意味におまけとして付いてくる(苦笑)
ジュースとかについているおまけとか。
昔はもらったらすぐに開けて使っちゃったりしたけれど
まだ古く使っているものがあったなら、新しいものは手をつけずに
そのまま寄付に廻すことができるようになった。
自分がそのものをもっているよりも、より笑顔になる人がいるならば
そっちへ譲ったほうがいいかもと考えることが普通になった。

これは明らかに昔よりもモノへの執着が消えたことだと思う。

そして無駄に買うことも減ったと思う。
本当に亀の歩みながら私の中で「なんでもかんでもに対してもっていた執着心」が薄らいでいるのかなと思う。

今年も私なりの断捨離を継続していきたいと思う。