可愛いは“惜しい”の美学である。

本来はかっこよくなるものが
少し過剰になったが故に
かっこ悪くなってしまった
もののあわれである。

たとえば

100点はかっこいい。

なら、95点はどうか?
ややかっこいい。

90点。
まだ、かっこいい。

こうしてどんどんと点数が下がるに
従い、かっこよさは減少する。

30点はかっこ悪い。

なら、0点はどうだろう。

0点なら
もういっそ清々しいので
かっこいいに変わる。

であるからして、いっそ0点なら
よかったものの
一問だけ正解してしまった
“惜しい”
5点は、可愛いといえる。

100点になれなかった95点が
可愛いではなく
0点をとらなかった5点のみが
可愛いのである。

しかし、95点も可愛い場合がある。

萌えとして可愛い場合である。

萌えとしての可愛いは
惜しいことにはかわりないので
5点でも萌え可愛いとして成立し
95点でも成立する。

ならば、萌えが追随できない
可愛いはないのだろうか?

あるのである。

それは105点である。

ママに点数を訊かれた時
答案用紙をみせなくてもいいのを
よいことに
100点満点のテストで105点
とったと嘘を吐く時
少女は、可愛い。

たった5点を上乗せしなければ
ばれないので
“惜しい”
ばかりでなく
5点だけ少し過剰にして
かっこ悪くなってしまった。

105点には萌えない。


少女達よ、ロリータ達よ。

貴方達が
萌えに
追いつけない
可愛さを求めるならば
5点ではなく
105点になりなさい。

100点満点中、105点!

このシュルレアリスティックで
意味不明の点数が
可愛いの絶対値である。