新刊が出ます

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新刊が出ます。
「落花生」という本です。
エッセイ集です。
少し高いです。
装丁にコストをかけてしまいました。
すみません。

いや、別に僕が高い装丁をしてくれ
といったのではないのです。
出版社が、してしまいました。

リサーチしてみると
野ばらさんの本は価格帯が売れ行きに
余り関係ないみたいなので
装丁にお金、掛けちゃいましょう。
と、いわれ、いいなりです。


約一年半ぶりになる新刊なので
復帰第一弾! 仰々しく謳われ
沈黙の期間の告白、
そして謝罪!!!!
みたいなアピールをされていますが
それを期待されると、少し困ります。

告白という告白も、していないし
頭を下げてすらいません・・・。

そりゃ、申し訳ない!
とは、思っているのだけど
そんなことわざわざエッセイに書かれても
困るだろうし(ブログで、こと足りるのだし)
いわゆる、今まで通りな
嶽本野ばらのエッセイです。

でも全部、書き下ろしです。

今まで通りのエッセイながら
僕なりにアピールポイントを述べるならば、
やっぱ、嶽本野ばらの真髄はエッセイだよな
という感じです。

21本、収録していますが
ハズレ、なしです。
エッセイとはいえ、連作の短編小説が21本
入っているみたいな新作です。

新しい「それいぬ」みたいなものです。

情報解禁になったらすぐに
お知らせしようと思っていたら
Amazonにもう、出てました・・・。




嶽本野ばら
「落花生」
ISBN-10: 4866250666
ISBN-13: 978-4866250663
サイゾー
1700円(+消費税)


最近は情報解禁を自分が知らされる前に
Amazonに出ているのを人に教えられ
え? もう告知が出てる?
と、慌てることが多くなりました。

9月6日の発売らしいですが
これも、僕はまだ確定した情報を
知らされないまま、Amazonに基づいてます(笑)。
どーも、書籍というものは
この時代になっても、全国同一日に並ぶというのが
流通の制度で、まだ出来ないみたいです。

なので、9月6日には並んでいる本屋さんも
あるみたいだ
という不確実さのままです。

サイン会ですが、多分、あります。
ある、と思っておいて大丈夫だと思います。
東京と関西で、調整してもらっています。

これはAmazonでは告知されないので
もう少ししたら
お知らせします。

ので、サイン会に行くぞ! な人は
慌ててAmazon予約する必要はありません。
二冊買っても、内容は同じです。
ランダム封入の生写真もありません。

1700円ですからね。
一冊で充分です。
二冊買うなら、「シン・ゴジラ」
観に行ってください。

今日、新刊の為の取材が
思ったより早く終わったので
DVDになったら観る
というか
観ないとなんない訳だからぁ・・
と思って、映画館に行ったんです。

内容は、エヴァなのは最初から
解っているし
駄作でも良作でも、それなりの得点しか
つけられんわ、と
テンションが上がらぬままに
映画館のシートに座ったのですが

まだ、観ていない貴方、
これは、映画館で観なきゃ損ですよ。
どーせ観るなら、映画館です。
こんなことやられたら完敗だー!!!
という、最高の敗北感を味わいました。

ものスゴくこの映画に就いて語りたいですよ。

でも、これだけ大勢の人が
熱狂的にもう既に観ているのですから
今更、僕が語るべきものではないですよね。

僕にいえることは
もし、今、手元に2000円しかなくて
「落花生」を買うか映画館で「シン・ゴジラ」を観るか
貴方が迷っているなら
映画館で「シン・ゴジラ」を観て欲しいということです。

「落花生」はいつでも買えます。
でも「シン・ゴジラ」はもうすぐ映画館での
上映が終わります。
東京なんかは終わってるのかな?
こういう時は、地方に棲んでいる方が得ですね。
まさか、発売月に初版が売り切れるなんて
こともありますまい。
予想通り、内容は全くエヴァだったのですけどね、
この完膚なきまでの振り切り方は尋常じゃない。


中盤から、ずっと泣いていました。
ここ、泣くところじゃない気がする・・・
と、思いながら、泣いていました。

信じたことを
どう解釈されようと、迷いなく
徹底的に作り上げてしまったものだけが
持つ高貴さと滅茶苦茶さが
この作品の全てでした。

だから、いいも悪いもあるものか!
なんですよ。
ゴジラという素材で
これ以上のものを庵野監督は作れないし
提出したことに何の悔いも持っていないだろう
の、純粋な力が一部の狂いもなく
時間と構成に配されているのです。

そういう作品が、僕は好きです。
それが映画であろうと音楽であろうと
文学であろうと、エロ本であろうと
好きです。

案外とそういうものは
この世界に、少ないんです。
そりゃ、皆、必死に頑張ります。
でも、何処かで最大限、本気になっていないんです。
本気になる方法自体を知らないのかもしれません。
少しはまだ、余力が残っている。
金ないんだーといっても
滅多に、お財布の中がゼロ円にはならない。
皆、何時だって、500円くらいは残しているんです。

僕だって、流石に財布の中がセロ円にはなりませんが
90円くらいになってしまう
ことがあります。
だけど、新しい作品を書き上げる時は、すっからかんになるまで
自分の全部を注ぎ込んでしまおうと
常に思っています。

ようやく話が戻せますが
「落花生」は、これまで語らなかったものを
洗いざらい暴露するという下品なエッセイ集では
決してありませんが、
今、僕に書ける、僕が、辿り着けた場所から語れる
全部のことを洩れなく書けている筈です。

なので
内容を説明しないので
つべこべいわず、読め! と思います。

僕はこんなことしか書けないし
いいも悪いもなくて
これが、嶽本野ばらという人なんだ
というのが、「落花生」です。

なんでタイトルが「落花生」なんだ?

疑問に思うかもしれませんが、
書き終わった後、いろいろ考えてて
ボードレールみたく「悪の華」・・・
からのー「堕ちゆく花」
「堕落花」・・・とかいじくってたら
「落花生」・・・・
なんか、マヌケで可愛い、と思ってしまったのです。

だって、ピーナツなんだもん。

字面は文学的だけど、ピーナツなんだもん。

「シン・ゴジラ」もマヌケなタイトルだけど
そこは、負けていない気がします。





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おじいさんたち

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駅のホームには
おばあさんが立っていて

「疲れなさるから、帰っていいよ」

叫んでいる。

ホームからは路上を横切る
踏切がみえ、その向こうは
アーケードの商店街になっていて、
商店街の入り口から踏切の前で
ホームが見える位置に
立っているおじいさんには
充分聞こえる大きさだし
身振りもまじえているので
意図が伝わっているは
間違いないのだけど、
おじいさんは帰らない。

少しだけ顔をほころばせ
ずっとおばあさんが見える場所に
立っている。
おじいさんが去らないので
おばあさんは、また叫ぶ。

「疲れなさるから、帰っていいよ」

おじいさんといっても
まだおじいさんになりたてくらいの
若いおじいさんだし、
おばあさんといっても
まだおばあさんになりたてくらいの
若いおばあさんだ。

おじいさんが、
電車に乗り、おばあさんが
見えなくなるまで
そこを動かないと決めているのは
明らかだ。

二人がどういう間柄と経緯を
持つかは不明なれど、
おじいさんが、
おばあさんを
好きで、
おばあさんだって、
まんざらでもないことは、
単なる知り合いとか、
親戚同士でないことは、
雰囲気から、誰もが
察するだろう。

彼等が、恋の入り口付近で
うろうろしているのは
恥ずかしいくらい見事に
露呈している。

彼等は、やがて、
キスとか、するのか?

それ以上のことも
してしまうだろうか?

お互い、
そんな歳じゃなしとか
牽制しあいつつ、
結局、するだろうか?

すれば、いいと思う。
ホームと商店街の入り口の
線路の踏切の二人の間には、
膨大な
面倒臭くて滑稽で、
だけど応援せずにはいられない
思春期独特の
もどかしい
熱の波動の帯が
横たわっている。

どんな口述をこしらえ、
今度、おじいさんは
おばあさんに逢おうとするのか。
おばあさんは、一線を超える
覚悟をするのか。

弾力のない
かさついた皺だらけの
肌と肌。
想像するだけで気持ちの悪い
二人のセックス。

「疲れなさるから、帰っていいよ」

疲れるけど、
おじいさんは腰を動し、
おばあさんは
今日は、帰らんでええんやと、
顔を赤らめ
少女のような台詞をほざく。

その日がくればいいし、
その気持ちを
セーブすることなんて
しないでいいのですよと、

人生の先輩である彼等に
そっと告げたくなったのだけど、
余計なお世話に決まっているので、
ホームに電車が入ってくるまで、
ただ、こっそりと
彼等のやりとりを、眺めていた。


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約一年

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あれから約一年が過ぎました。
あれから——?
はい。麻薬及び向精神薬取締法
案件は違えど薬物での二度目の逮捕
そしてどうにか執行猶予。

そういうものに
関わらないようにする為に
約15年棲んだ東京を離れ
京都で母と妹の監視体制の下
新しい生活を始めました。

そんなことしたって
やめられないでしょう
と思う人はたくさんいるし、
もし、僕が僕以外の人なら
僕に対してそう思います。
また、あいつはやるに違いない。

いや、もうきっとまたやってるぞう。

なので、そう思っていてもらっていて構わないし
僕も、止めますとは、あえていいません。
だってそういうものの幻覚作用が
好きで、そういうものを使っていたのですから
嫌いになれという方が無理です。

いろいろ考えて、出来る限り
止めている期間を継続させていく。

その為の努力みたいなものは
常にする。している
というのが正確なところです。

保釈になって
慌ただしく京都に移ってきた時の
僕はもう本当にボロボロでした。
金銭的な債務に悩まされていた期間が
長かったこともあり
ほとんどのものを処分して
(何せ急な引越しだったので荷物が家に入り切らない)
帰ってきた京都では、食べると寝るには困らぬものの
ほぼ一文無し。

復帰のめどもなく
ひたすらに
書いても出すあてのない原稿を
書き続けるしかありませんでした。

でもまぁ、そんなのは可哀想でもなんでもなくて
こうしてまだ生きているのですし
それはとてもラッキーなことです。

作家なんてのは遊んでいるようなものです。
遊んでいてお金がもらえていたのが
変だったのです。
だからといって、作家をまだ止めないのは
やっぱり遊んでいたいからです。

そりゃ、後、10年以上、何も発表もせず
書きもせず、というのなら
僕のようなものでも雇ってくれるところで
簡単な仕事を何かしなければならないと
思うのですが
出来れば、遊んで暮らしていたいです。
コピーした小冊子を500円で路上で売る
千部売れたら、50万円だぞ
と、考えたりもします。

手売りで千部くらい、売る自信はあります。
インディペンデント出身ですから
そういうことには慣れています。

見た目より、意外と、タフな僕です。

2016年6月18日
維新派の松本雄吉が急逝しました。
今年になって、松本さんが
体調を崩しているのを昔の知り合いから
聞かされ、病院に逢いにいきました。
長くないということは
知り合いから知らされていましたが
今年はまだ大丈夫だと皆、思っていました。
秋の公演はどうしてもやる——
久々に逢う松本雄吉は、全然、病人じゃありませんでした。
アホな話を一人で、延々と語っていました。
秋の公演に裏方で、参加するつもりでした。

去年の裁判の時、松本さんには
軽減嘆願書を出してもらっていました。
僕の場合、社会的にキチンとしたポジションにいる
友人知人がほぼいない。
裁判で出して貰って効力のある人があまりない。
数名頼んだうち、松本さんは
何せ、紫紫綬褒章なんてものを貰っているのです。

飛び道具でした。

こんなことでお前の役に立つとはなぁ……
笑って、嘆願書を書いて送ってくれた松本さんは
署名の後に判子を押していませんでした。
ああ、この人は根っからのアナーキストだから
きっと判子を持ってないのだと思い
しかし勝手に作って押すと偽造になるので
確かめると、
すまん……。忘れてた。俺かて、判子くらい持っとるわ!
いわれました。
そして、再送してくれました。

松本雄吉の芝居に参加したのは
一度きり、「ECHO」という演目のものだけ
でしたが
ですから一緒に芝居に取り組んだのは
約一年間のみでしたが
芝居の構想から千秋楽まで
ゼロから始めて劇場が立ち上がり
楽日、撤去してゼロに戻るまで
僕達はいろんな話をしました。

何を教わった訳ではないですが
僕にとって師といえる唯一の人です。

脚本の一部を一緒に考えたり
活動費を稼ぐ為に
一緒にアルバイトをしてみたり。

厳しい生活と作業ばかりでした。
でも、やっぱりそれも遊んでいたのです。
僕達は遊んでいました。

全力で遊んでいました。
苦しいのもきついのも、全部、遊びなので
誰に強要されているものでもないので
好きでやっていたのです。

だから、
これからも遊んで暮らそうと思うのです。
松本さんの分まで遊んで暮らそうと思うのです。

芸術かどうかなんて実はどうでもよく
遊んでいたいだけなのです。
最後の最後まで遊んでいたい。

子供の頃、夕暮れになると
遊ぶのを止めて家に帰らなければならなかった。
何故、帰らなければならないのかと訝った。
こんなに楽しいのに……。
大人になれば、自立すれば
ずっと遊んでいても誰に怒られることもない。
早く大人になりたいなあと思った。

呑気にやらせて頂きますよ。
あと、まだ残っている人生。

遊んで暮らしますよ。
暮らしてやりますよ。
遊んで暮らす為なら、いっぱい、努力しますよ。

ブログを書くのだって
小説を書くのだって
Twitterで呟くのだって
変なライヴをするのだって
哲学の本を読み漁るのだって
遊びです。
最近、Instagramに変な動画ばかり
あげていますが、
あれだって暇潰しとかでなく
真面目に遊んでいるんです。

すごいかっこいい動画が出来た!
とInstagramの動画を母に観せたら
さっぱり解らないといわれました。
こうして一緒に暮らすまでは
自分の活動のことなんて
家族は理解出来ないのだから
知らせない
という姿勢でしたが
最近は知らせます。

多分、自分が遊んで暮らしていることに
何処か後ろめたさがあったのでしょう。
でも、
こうして一年間、いい歳をして
養われても尚、
遊んでいようと思うふしだらが是正出来ないので
堂々と遊んでいる様を観せるしかないと思いました。

働いたら、負けですものね。
いろんな人がいるのですから
遊んでばかりいる人も、少しは、
いた方がいいと、思い込みます。

まだ病院には通院しています。

特に何の治療もなされず、雑談をして
帰るのみですが、
病院に行くのが好きなので
続けます。

臨床心理士の先生に、
一年間、本当に来ましたね
すごいですね
と、褒められた。
だって、治ったと思った時点でやばいですもん
治らないんです。
治らないからここに通う
この生活を僕は気に入っていますというと
泣いていた。

大抵、来なくなってしまうのだそうです。

外科や内科は病気を取り除けば
それで完了ですけど
精神科で扱うのは、治療に完了のない病
よくなろうと、悪くなろうと
通う行為自体が治療だと思っています
というと、
じゃ、また二年目に向けて始めましょう
と、いわれた。


僕達は終わらないのだと思う。
よいことも、悪いことも。
諦めない限り、終わらないのだと思う。

それでもやがては終わるので
終わる寸前に、あ、終わりか?
差し引き、グッジョブだ
といいたいので、ギリギリまで粘る。

粘って粘って、引き分けならば
それで、OKです。

OKにして欲しいです。
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