嶽本野ばらのブログ

僕と契約してアメンバーになってよ。


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前にツイッターでオタクになりきれないと呟いたら
既にオタクの癖して何を今更・・
みたいなコメントがあったのだけど

ほんと、オタクじゃないんです。

オタクになりたくて憧れ
オタクになろうとはしてみたものの
コレクションはすぐになくすし
第一、大事なものは封を切らずに保存
ということがどうしても出来ない。

今日はアキバで
とらのあなに行き
百合熊嵐カフェに行き
仮面女子を観て来たのだが

なんとか時代の最先端に付いて行こうとしている
だけで、そこにどっぷりとは浸れない。

とらのあなとか
行けば何か買う訳だけど
やはり、いかがわしいなぁと思ってしまう。

アキバにいる時は常に
ここは自分の場所じゃないなと
落ち着きません。

昔は周囲が
皆、音楽オタクばっかりでした。
そういう人達に対しても
かっこいいと思っていたけど
真似っこしようと頑張っていたけれども
なれはしなかった。

あー、でも
お洋服オタクではあるのかもしれない。

最近は何故か、スノーボードのジャケットが
かっこいいと思います。
欲しくてたまらない。

あと、ミリタリー(本物)の帽子が欲しい。

ので、ヤフオクを漁る毎日です。

お金がなくなってほとんど手放したヴィヴィアンも
徐々に買い戻しております。

お洋服オタなら負けないので、あります。
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誕生日だったんですよ。

1/26

といっても特に何もしていないのです。

昨日、新作を少し書き始めました。

一週間くらいアメリカにいってきたんですが
そしてそれはとても有意義なことだったのですが

帰ってきてからすごく憂鬱というか
無気力というか
もう何もかもが嫌だ!!!

みたいな気持ちになってしまったので
小説を書き始めたのです。

小説は一般に純文学とエンタテインメント小説に分かれます。

別に純文学が高尚でエンタメは娯楽だとは思いません。

純文学でありながらエンタメなものもあるし
その反対もあります。

区別なんてする必要はないです。
どちらが優れている訳でもありません。

ただ、やっぱり純文学とエンタメ小説というのは
違うものなのだと思います。

例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」は傑作です。
しかしそれを読んで作者の谷川流さんが一体
何を考え、どのような人生を歩んでいるのか
それは読み込んでも解りはしません。

無論、彼の趣味、嗜好などは解りますが・・

それがエンタテインメント小説です。
推理小説などもそうですよね。

一方、純文学というものは
その作者自身のことしか書かれていないものなのです。
例えばドストエフスキーの「罪と罰」は
優れたミステリだともいわれますが
読めば結局はドストエフスキー自身のことしか
書かれてはいません。
だからドストエフスキーの作品は純文学であることになります。

更に付け加えておくと純文学か否かは、テーマに関係ありません。
よく小説は文体だといいますが
文体そのものが作者自身である小説
これが純文学です。

僕が書いているものは恐らく純文学です。
何故なら自分のことしか書けないからです。

先日、「サリシノハラ/47」というラノベを仕上げましたが
ラノベでも僕が書くと全くエンタテインメントにはなりませんでした。


生きることが辛いので小説を書きます。


そんなものを読ませられる読者は可哀想ですが
純文学ってそんなものなのだから
これからも我慢して読んで下さい。

でも僕という人間は考え方も嗜好もあらゆることが
マイノリティで人の共感を殆どえられません。

ですから、そんな人間の書くものを
よく読んでくれる人がこの世にいるものだと
いつも驚いています。

一応、これで生活もしていられる訳ですし。

読んでくれる君がいてくれるから
僕は生きていられる。

これは決して大袈裟ないいかたではありません。

時に、世間は嶽本野ばらのファンは野ばら教の信者
カルト集団みたいなものだとバカにします。

でも僕はそれでいいんじゃないかと思います。

決してツボを売りつけたりはしませんが
僕のことを解ってくれる人なんて
本当にちょびっとしかこの世界にはいないのですから
それならば、カルトでいいではありませんか。

生誕祭なので、お祝いのメッセージを沢山いただきました。

長生きしてねと書いてあるものもある。

これには困ります。

何しろ生きることはとても辛いことですから。

でも、僕の作品を読んでくれるような奇特な人が
そういうのなら、生きなきゃ申し訳ないなと思うのです。

だから多分、明日も小説を書きます。

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ようやくミレー展にいく。

種まく人が観たかったのだ。

農民の日常を盛んに描いたミレーの代表作。
しかしながら、ミレーの原画を久々に観ると
そんなに上手くないことが解った。

輪郭線をきっちり描いてあるし
そうでない部分はその部分の処理が
結構、ザツである。

が、それでミレーの作品への評価が下がる訳ではない。
耕し、種を撒き、育て収穫をする。
そして大地と一切合切を与えた神に祈る。
そんな光景を描き続けたミレーはそこに何を観ていたのか?

無論、その営みこそが芸術だ、それ以上だと思い描いたのだろう。
が、
耕し、種を撒き、育て収穫をする。
そして大地と一切合切を与えた神に祈る。
は、芸術を作る作業そのものではないだろうか?




種まく人は岩波文庫のマークとしても使用されている。
岩波文庫がいわんとすることは
そういうことなのだろう。

ミレー展は東京駅に近い三菱一号美術館であったので
そのまま秋葉原に行く。

久々のアキバ。
暫くお金がなかったので行かなかったが
少し懐もあたたかくなったので立ち寄る。

まずAKBショップに行く。
基本である。
しかしれなひょんグッズが余りない。
そうか、ここはAKBがメインだからSKEは少ないのだ。

嗚呼・・・

しかし店内のモニターではれなひょんの「枯葉のステーション」が流れる。
たかまる! たかまる!

なので、れなひょん絵馬を買うことにした。




さらに、れなひょんの年賀状と
だーすーの年賀状、古畑さんの年賀状も買う。
これでSKEメンバーから年賀状がきた気になれる。
嬉しい。




↑れなひょん



↑だーすー



↑古畑さん

そしてホビー天国に行く。

欲しいものがあり過ぎて悩む。

あれもこれも欲しいので頭を冷やすためにアニメイトへ。
ラブライブ、ねんどろTシャツを買い
気持ちが落ち着いた。




ホビー天国に戻り、AKBのトランプを二種類買う。
これはトランプマニアとして持っていないとマズい。
恐らく中井英夫に訊いても買えというだろう。




秋葉原は「純愛」の第二の舞台でもある。
久々に訪れるアキバに「純愛」の登場人物達の姿を観た。


アキバを後にして新宿まで戻る。
本屋で、NYに行く時に機内で読む本を買う。
大江健三郎「性的人間」
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」
そして古い推理小説が読みたけれど思い付かないので
夏目漱石の「こころ」を買った。
推理小説ではないが、同じようなもんだろう。

マラルメ詩集が文庫本、新訳ででていたので
これも買う。
買わんとアカンやろ。

そして鮎川信夫の詩集も買った。

そういう気分だったのだ。
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