昨日のブログで心配をかけてしまった方、ごめんなさい。
そして、そんなの身から出たサビでしょとコメントをくれた人もありがとう。
全くその通りですよ。
今の僕の生活の厳しさは僕の不徳の至るところでありますので。
だから助けて欲しいとか
哀れんで欲しいとかいうつもりはなかったんです。
芸術家だからこうなったのも仕方がないと
自身を正当化する気もさらさらなかった。
そう読まれたのなら、書き方が下手だったのだね。
随分と、気持ちが或る意味、ハイになっていたもので・・・・
伝えたかったのは、僕はとても芸術を愛しているということのみだったのです。
芸術のない世界——そこで僕は生きられるだろうか?
作品を作らない生活——が僕に出来るだろうか?
そんなことを、つい、考えてしまったが故の暴走でした。
作りたくて、作りたくて、仕方ないんだよ。
もう殆ど病気だ。
18歳くらいの頃から僕は画家になる為に毎日、作品を作っていた。
絵を書くには絵の具も必要だし、キャンバスも必要だし
展覧会をするとなると単なる貧乏学生にとっては多額のお金が入り用となる。
アルバイトを朝から晩までしたって、画材やその他、諸々の経費がかかり
とてもじゃないが、通常の学生ライフなんて送れやしない。
絵が売れる訳でもないしね。
でも、作品を作らずにはいられなかった。
絵の具を買う為に食費を削り
毎日、朝に近所のパン屋さんに行く。
何故かというと、食パンを作る際に残るパンの耳が只で分けて貰えるからだ。
余りに毎日、パンの耳を貰いにいくので
僕がいくとそのパン屋の息子から
「あ、またパンの耳兄ちゃんがきた」
とバカにされる。
そんな暮らしをずっとしていた。
無論、恥ずかしく情けなかったけれど
そんなことをしてでも絵が描きたかった。
そんなこんなをしているうちフリーペーパーを発行する編集事務所で
どうせ金がないんだろうから、うちでライターのアルバイトをしてみないかと誘われた。
それが僕が文章を書き始めるきっかけとなった。
忙しかった。一週間寝ずに取材、執筆を繰り返したこともあったし
一ヶ月間、家に帰る時間もなく事務所の床で仮眠をとるなんてことも
普通にあった。
でも、やりたいことはフリーペーパーを作るということだったので
ライターとして稼げるお金の殆どはその為に費やされたので
10万にも満たない給料でずっと働いていた。
風呂のない家賃2万円のアパートで
その家賃すら滞ることが多く、大家さんから常に逃げ回りつつ
暮らしていた。
もう少し楽な暮らしがしたいと願ったけれど
でも、好きなことをやることを僕は優先してきた。
そんなこんなで、ようやく人並みの生活が出来るようになったのは
「ミシン」でデビューした2000年以降になる。
関西から東京に出て
「ミシン」が売れるまでは一部屋にアジア系パブの外国人女性らが
六畳の部屋に5、6人で住んでいるというこれまた壮絶なアパートに住んでいた。
それでも、芸術に関わって、作品を作って生活することに
いささかの疑問も抱かなかったし、やめようと思ったことは一度もなかった。
そのような過去を振り返れば、今なんて極楽なのである。
好きな芸術を作ってそれでどうにか生活していけるのだから。
でも、こんな苦労をしたから偉いだろうというつもりは全くない。
しなくていいし、そこまでしてモノ作りに執着してきた自分は
本当におばかさんだとつくづく思う。
そして芸術をやるからには苦労を厭わぬ覚悟でやらねばならぬというつもりもない。
楽に出来るならそれにこしたことはないからだ。
只、自分に才能があろうがなかろうが、認めてもらえようが認められなかろうが
僕は芸術から離れることが出来なかった。
そうして今に至る。きっとこれからもそうなのだろう。
と、芸術しかやってこなかった僕は芸術のことしか語れないけれど
解ってもらいたいのは、それは芸術のみならず
農業でも、町工場での作業でも同じだということだ。
たとえ作れば作るだけ赤字になると解っていても
畑を耕し、作物を育てることをやめられない人がいる。
一ヶ月に一つか二つしか発注がなくても工場を閉めずその作業を突き詰めている人達がいる。
仕事に対するプライドがそうさせるというような大それたものではないのだと思う。
その人達にとってはそれが生き甲斐であり、それが自分の存在理由であり
その作業が好きでたまらない。
それだけのことなのだと思う。
僕だってそうだ。
人はどうしても損得勘定ばかりしてしまう。
仕方がないことなのだけれど、でも、この世界には
損得勘定でははかれないものも多くあるのだ。
ほんの一瞬でもいい。損得勘定を抜きに自分をみつめてみることが出来たなら
きっとこの世界は、今、君が思っている以上に輝きをみせるだろう。
微かな希望は大きな希望へと変わるだろう。
絶望すら愛おしくなるかもしれない。
もう僕もオッサンだ。君達の生まれる前から既に芸術活動をしている
人生の先輩だ。だから、僕のように生きろなんていわないけど
(生きないほうがいいと思う)
少しは僕を信じてみ給え。
せっかく生まれてきたのなら、一寸くらいは好き勝手にやってもいいじゃないか。
どうせ皆、何時かは死ぬのだから。
躊躇うな。勇気を持て。自分をもっと信じてみろ。
どう賢く生きたところで、殆どの人間は人生の半分以上、間違ってしまうのだから。
金? 世間の眼? 安定? なんじゃそりゃ?
幾らそんなものを得たとしても、死んでしまえば皆、消滅するものばかりではないか。
上手くいかなければわめけばいいし、苛つけばいい。
批判ばかりして、参加しない者達よ。
敢えていう。お前らに生きている価値はない。
失敗してもやり続ける者だけが美しいのだ。
そんな考えを押し付けようとするから
たまにすごく僕は人から怒られる。
でも、気にしない。
1000人に嫌われても、1人に好きだといわれればそれでいい。
メメントモリ。
死を想う時にこそ、生きていることの意味が解る。
そして、そんなの身から出たサビでしょとコメントをくれた人もありがとう。
全くその通りですよ。
今の僕の生活の厳しさは僕の不徳の至るところでありますので。
だから助けて欲しいとか
哀れんで欲しいとかいうつもりはなかったんです。
芸術家だからこうなったのも仕方がないと
自身を正当化する気もさらさらなかった。
そう読まれたのなら、書き方が下手だったのだね。
随分と、気持ちが或る意味、ハイになっていたもので・・・・
伝えたかったのは、僕はとても芸術を愛しているということのみだったのです。
芸術のない世界——そこで僕は生きられるだろうか?
作品を作らない生活——が僕に出来るだろうか?
そんなことを、つい、考えてしまったが故の暴走でした。
作りたくて、作りたくて、仕方ないんだよ。
もう殆ど病気だ。
18歳くらいの頃から僕は画家になる為に毎日、作品を作っていた。
絵を書くには絵の具も必要だし、キャンバスも必要だし
展覧会をするとなると単なる貧乏学生にとっては多額のお金が入り用となる。
アルバイトを朝から晩までしたって、画材やその他、諸々の経費がかかり
とてもじゃないが、通常の学生ライフなんて送れやしない。
絵が売れる訳でもないしね。
でも、作品を作らずにはいられなかった。
絵の具を買う為に食費を削り
毎日、朝に近所のパン屋さんに行く。
何故かというと、食パンを作る際に残るパンの耳が只で分けて貰えるからだ。
余りに毎日、パンの耳を貰いにいくので
僕がいくとそのパン屋の息子から
「あ、またパンの耳兄ちゃんがきた」
とバカにされる。
そんな暮らしをずっとしていた。
無論、恥ずかしく情けなかったけれど
そんなことをしてでも絵が描きたかった。
そんなこんなをしているうちフリーペーパーを発行する編集事務所で
どうせ金がないんだろうから、うちでライターのアルバイトをしてみないかと誘われた。
それが僕が文章を書き始めるきっかけとなった。
忙しかった。一週間寝ずに取材、執筆を繰り返したこともあったし
一ヶ月間、家に帰る時間もなく事務所の床で仮眠をとるなんてことも
普通にあった。
でも、やりたいことはフリーペーパーを作るということだったので
ライターとして稼げるお金の殆どはその為に費やされたので
10万にも満たない給料でずっと働いていた。
風呂のない家賃2万円のアパートで
その家賃すら滞ることが多く、大家さんから常に逃げ回りつつ
暮らしていた。
もう少し楽な暮らしがしたいと願ったけれど
でも、好きなことをやることを僕は優先してきた。
そんなこんなで、ようやく人並みの生活が出来るようになったのは
「ミシン」でデビューした2000年以降になる。
関西から東京に出て
「ミシン」が売れるまでは一部屋にアジア系パブの外国人女性らが
六畳の部屋に5、6人で住んでいるというこれまた壮絶なアパートに住んでいた。
それでも、芸術に関わって、作品を作って生活することに
いささかの疑問も抱かなかったし、やめようと思ったことは一度もなかった。
そのような過去を振り返れば、今なんて極楽なのである。
好きな芸術を作ってそれでどうにか生活していけるのだから。
でも、こんな苦労をしたから偉いだろうというつもりは全くない。
しなくていいし、そこまでしてモノ作りに執着してきた自分は
本当におばかさんだとつくづく思う。
そして芸術をやるからには苦労を厭わぬ覚悟でやらねばならぬというつもりもない。
楽に出来るならそれにこしたことはないからだ。
只、自分に才能があろうがなかろうが、認めてもらえようが認められなかろうが
僕は芸術から離れることが出来なかった。
そうして今に至る。きっとこれからもそうなのだろう。
と、芸術しかやってこなかった僕は芸術のことしか語れないけれど
解ってもらいたいのは、それは芸術のみならず
農業でも、町工場での作業でも同じだということだ。
たとえ作れば作るだけ赤字になると解っていても
畑を耕し、作物を育てることをやめられない人がいる。
一ヶ月に一つか二つしか発注がなくても工場を閉めずその作業を突き詰めている人達がいる。
仕事に対するプライドがそうさせるというような大それたものではないのだと思う。
その人達にとってはそれが生き甲斐であり、それが自分の存在理由であり
その作業が好きでたまらない。
それだけのことなのだと思う。
僕だってそうだ。
人はどうしても損得勘定ばかりしてしまう。
仕方がないことなのだけれど、でも、この世界には
損得勘定でははかれないものも多くあるのだ。
ほんの一瞬でもいい。損得勘定を抜きに自分をみつめてみることが出来たなら
きっとこの世界は、今、君が思っている以上に輝きをみせるだろう。
微かな希望は大きな希望へと変わるだろう。
絶望すら愛おしくなるかもしれない。
もう僕もオッサンだ。君達の生まれる前から既に芸術活動をしている
人生の先輩だ。だから、僕のように生きろなんていわないけど
(生きないほうがいいと思う)
少しは僕を信じてみ給え。
せっかく生まれてきたのなら、一寸くらいは好き勝手にやってもいいじゃないか。
どうせ皆、何時かは死ぬのだから。
躊躇うな。勇気を持て。自分をもっと信じてみろ。
どう賢く生きたところで、殆どの人間は人生の半分以上、間違ってしまうのだから。
金? 世間の眼? 安定? なんじゃそりゃ?
幾らそんなものを得たとしても、死んでしまえば皆、消滅するものばかりではないか。
上手くいかなければわめけばいいし、苛つけばいい。
批判ばかりして、参加しない者達よ。
敢えていう。お前らに生きている価値はない。
失敗してもやり続ける者だけが美しいのだ。
そんな考えを押し付けようとするから
たまにすごく僕は人から怒られる。
でも、気にしない。
1000人に嫌われても、1人に好きだといわれればそれでいい。
メメントモリ。
死を想う時にこそ、生きていることの意味が解る。