大晦日の朝に想う ~断捨離メルマガより | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

大晦日の朝に想う ~断捨離メルマガより

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

平成二十六年十二月三十一日大晦日

あと十数時間で別れを告げるこの一年。

この一年間を、いったい私は何を追い求め
突っ走って来たのだろ。

何をどうしたくて、何をどう変えたくて、
こうやって発信をし続け、問いを投げかけ続けて来たのだう。


こんな自問にあらためて浸る今日の大晦日の朝。

とはいえ、その答えは私の中にすでにあるのです。

それは、断捨離を発信しだした当初から明らかなこと。

私の心に常にあるのは、


「こんなことがあっていいはずがない」

いわば、そんな勝手な思い込み。

住まいがモノに占拠されていいはずがない。
住まいがモノで閉塞していいはずがない。
住まいの主役がモノであっていいはずがない。

ところが現実のほとんどがこうだ。

住まいの主役の座をモノに明け渡し、
たくさんのモノたちの堆積を許し、
手に負えないモノの山の中で溜息をついている。

自分が集め、自分が招き入れ、自分の味方となるはずのモノたちが、
今や、邪魔で鬱としいばかりの敵に成り果てているのに、
それに対して
手をこまねいているばかりの状態。

こんな状態であっていいはずがない。

そうだ、そんな状態であって
いいはずがないにもかかわらず、

私たちの多くは、

片づけられない
捨てられない

と言いつづけるばかりで、解決への行動に踏み出さないでいる。

こんな行動への躊躇があっていいはずがない。

でも、それどころか、モノをひたすら
溜め込むことに終始して、捨てることを嫌うこともある。

こんなこともあっていいはずがない。

おわかりですよね、
賢明な読者であるあなたには、
「こんなことがあっていいはずがない」
というのは、私、やましたひでこの「怒り」であることを。

そして、この怒りは、
断捨離のやましたひでこの価値観、
つまり、個人の「正義」に基づいたものであることを。

怒りと正義

もちろん、この勝手な思い込みの正義を振りかざすことほど、
厄介なことはない。


私はそれを、よくよく承知している。

けれど、この怒りだけは、
私は決して手放すことはしないだろう。

いえ、手放すどころか、
この怒りはますますもって大きなエネルギーを、
私に与えてくれる
ものだと知っている。

なぜなら、これは、自分たちの命を守るための怒りだから。

そう、私の怒りはこれにつきるのです。

「人が、人を、人として扱わないこと」、即ち、命への冒涜

夥しいモノたちが堆積した閉塞空間に、
自分をおし込めたままで暮らしていること。

それは、自分を人として真っ当に扱っていないこと。

使いもしない必要でもないモノたちを溜め込み、
自分を住まいの
主役の座から降ろしていること。

それは、自分を人として粗末に扱っていること。

「捨てられない」と愚痴るばかりで、
解決への行動に繋げずにいること。

それは、自分を人として守ることを放棄していること。

ひたすらモノを溜め込むことに
終始して、捨てることを嫌うこと。

それは、命のメカニズム、新陳代謝に逆らうこと。

私が怒りをモチベーションにして、
この一年を突っ走って来た理由は、
一人でも多くこのことを理解して貰いたいから。

私が怒りをエネルギーにして、
この一年に追い求めて来たのは、
より深くこのことを理解して貰うこと。

どうでしょう。

この一年、私が発信し続けてきた
メッセージは、あなたの胸の奥まで
届いたでしょうか。

この一年、私が投げかけ続けてきた
問いは、あなたに腑に落ちる答えを
導きだしたでしょうか。

最後に。

読者であり続けて下さったあなたへ、
読者から実践者となって下さったあなたへ、

受け止めて下さる存在があってこその、
私の発信なのですものね、
だから、いっぱいの感謝をあなたに。

あっ、そうそう、私の怒りはモチベーションであるだけで、
メッセージで送っているのは愛と感謝ですから。

どうぞ、ご安心下さいますように。

そして、明日、2015年元旦の
メッセージも私やましたひでこから。

有難うございます。


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