前にtwitterでチェ・ゲバラをアイコンにした左翼っぽい方の発言に興味を持ったのでフォローしていました。
毎度ツイートしているものに、なるほどと思わせるものも、アホかと思わせるものもありましたが、昨日は完全に自分が論理破綻を起こしていること、間違いを認めようとしないこと、そして非常識さを露呈してくれました。
私はサヨクは軽蔑していますが本物の左翼は尊敬こそしないものの認めはします。
ですが、残念ながら左翼というのはほぼ絶滅してしまったかと思うのはこれから書くことが真実であるからと思うわけです。
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若いころというのは得てして自分が恵まれているなんて思わないものです。
古いものをよしとせず、新しい自分たちの時代こそ是とするのは、いつの時代になっても同じことなのでしょう。
例えば江戸時代です。
よく時代劇では圧政が敷かれていたように描くわけですが、実際にはそれらの関係がはっきりしていたことと、安定していたからこそ変革しなかったわけで、少なくとも200年ほどは争いらしい争いさえ起こらず太平の世となっていたわけです。
だからこそ江戸時代は200年以上も続いたわけですが、そこに閉塞感を感じ維新を説いたのは若者であったということです。
若者じゃないやつもいたじゃないかとおっしゃるでしょうが、起源は若いころに醸成されたのではないでしょうか。
明治に入ってもそうです。
次々と新しいものを取り入れていき、西洋の良い部分を取り入れながら日本らしさというのを作っていったわけですが、たった一度の敗戦で徹底的にやりこめられ、自信をなくしてしまった国家に新たな感情が芽生えたのは不思議なことではないでしょう。
それが戦後左翼というわけですが、残念ながらこれは私にとっては認められるものではありません。
言ってみればチャイルディッシュな正義感とでもいうのでしょうか、いやなものはいやという程度のものでしかなく、結果として自分たちの思想を隠して生きるか、思想を追及して暴走するかに分かれてしまったわけです。
さらに言わせていただけるのであれば現実的ではなく、ただただわがままであるとしか考えられず、それが殺人などの行為に至ったのは自然のことだったのでしょう。
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若いころといえば自分は恵まれていないと誰しもが思うわけで、なぜなら上を見ているからなのです。
上を見ていれば「今にみていろ」「いつかのしあがってやる」となるわけで、現実としてどこが自分の場所なのかがわからないのです。
自分のいる場所がとても居心地のよい場所ではなく思い、そしていつしか思うのは平等という奴です。
そこにサヨクがつけこみ刷り込むのは「革命」という奴でした。
革命を起こせば天国が開ける、自由と平等の国ができあがる・・・こんな幻想を抱いていたわけです。
サヨクの末路なんてのは哀れなわけで、菅直人前総理をみればわかるわけです。
一言でいえば「ガキ」でしかないわけで、いまさらになってあの震災の時にガキの論理を展開していたことがばればれになったのですが、結局この程度でしかないわけです。
もう一つはこれは右翼の側にもいないわけではないのですが、言論でどうこうできないから結局暴力に訴えるということ。
これもガキの理論でしかないわけです。
私が本物の左翼として吉本隆明氏をあげるわけですが、氏は決してチャイルディッシュな理論をかざしませんでしたし、現実をみていたからこそ出てきた言葉が共産党と対立を生んだのだと思っています。
その現実の理解の意味においてガキである大江健三郎を、サヨクでしかないと感じていますし評価できるはずもないのです。
なによりも嘘吐きですから。
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さて、twitterにいた人というのは、何を見て私に食って掛かってきたのか理解さえできません。
彼は別の方と論争をしていて、和民のやり方に対してであったり、巨大企業が労働者を食い物にしている現実に怒っていたらしいのですが、過重労働での死者に対して怒っていたのが、なぜか私に向いたのです。
私はただ単に生産性という言葉では明らかに足りないため「労働生産性と資本生産性」というもので表現しなければおかしいとしたのです。
「和民の場合は資本を投下して得ているため資本生産性は高いが労働生産性は低い」と書いたのですが、それをあげつらって「過重労働をおまえは認めたんだ!」とかいうわけです。
もう何が何やらわかりません。
私はすでに労働者から搾取だけをする企業が生き残れる世の中というのは日本では存在しえなくなったと思っています。
これだけ情報が氾濫するようになった世の中で、資本家が搾取だけを続けることは困難ですし、労働者も18世紀ならいざしらず21世紀の今になって搾取し続けられるだけの世の中を良しとはしませんし、自分の労働対価を考えて仕事をしなければなりません。
そこに商機を見出したのは就職を世話する会社であったり、情報誌であったりというわけで、自分がどういう位置にいるのか理解できるようになったため労働者は搾取されるだけというわけにはいかないのです。
結局そこを理解していないからこそ「資本家を許すな」とか訳のわからんことを言い始めるわけで、資本投下だけをして利益を得ないなどという慈善事業だけをしている阿呆はこの世に存在しません。
事業から余りある利益をでてはじめて慈善事業をやるかぁという程度であって、当然資本家というのは資本投下した以上の利益を得ようとするのは当然です。
そこに生まれ来るのが付加価値というものなのですが、その付加価値を生むために良いものはなんなのか・・・それを考えるのが経営者であり、実践するのが労働者です。
この関係を理解すれば搾取するなどというものが生まれにくいわけですが、彼らはそもそも金を持っている資本家を嫌います。
つまり現実を受け入れるパイがないのです。
人生とは不公平なものであって、権利は平等でも環境や個人の能力差があるからこそ当然公平ではなくなるわけです。
努力して結果を得たものは公平だと思っていても、その逆サイドにいる者の中に不公平だという人たちがでてくるわけで、サヨクはこうした人の中から生まれてくるわけです。
正確に言えば赤く染まったサヨクが、そうした人たちの中から兵隊を見つけるわけです。
労働対価を得るために、君は仕事以外なにをしたのだろうかと問いかけるわけですが、そもそも投資家の金というのは無視されるわけで、なるほどこういう人の中に公務員という選択肢が生まれてくるわけです。
公務員であれば資本投下をされていない環境にいられると思っているのでしょうが、そもそも国家というのは税金で成り立っているわけで、国民のほとんどによる資本投下がなされているわけで、ものすごい勘違いをしているわけです。
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まあこうした連中から右翼と呼ばれるのは名誉だと思っています。
馬鹿から馬鹿と言われても痛くもかゆくもないのと一緒です。
本物の右翼の方から私は右翼ではないと言われますし、左翼の方からも右翼ではないと言われます。
自分でも保守であるがなるほど左翼的になる部分もあり、右翼的になる部分もあり、どちらとも捉えられないと感じています。
先日も保守の仲間で掲示板を介して会話のようなものをしていたわけですが、私は現在の政治体制というか政治家の考え方をよしとしていないため、政治改革をしなければならないと書いたのです。
そうしたら一人が「お、左翼的な発言」と書いたときに気が付いたのですが、なるほど改革というのは護ろうというものではないわけです。
はたと気が付いてみるとなるほどいろいろな考え方であったり思いを自分の中にかかえていることを気づかせてくれました。
サヨクの人たちってのはそうした省みることが少なく、自分が絶対という人があまりにも多いので辟易します。
そして自分の都合の良いことしか書かないわけです。
なにより体制が嫌いですし(笑)
考えてみれば私も若いころは強いものが嫌い=体制が嫌いでしたが、現実を理解しどうやっていくかを考えれば、体制の悪いものを良いものに置き換えていくということを考えるようになりました。
それが保守としての現実ではないかというわけです。
と・・・昨日思ったことをまとめてみました。