今日はW杯メンバーの発表があるみたいですね。南アフリカ大会から4年経つんですね。長かったような短かったような。時間の概念はどうしていつもこう曖昧なんでしょうか。

W杯はサッカー少年だった僕にとっても憧れの舞台でした。しかし、日本代表に入ることは僕にとって目標ではありませんでした。あくまで、「鹿島でずっと長く必要とされる選手になること」を目標にしていました。

日本代表は最もサッカーがうまい順に23人選ばれるわけではありません。「継続」をテーマにしていた僕は、人が選ぶもの、を目標にしていては目標自体がブレるため、あまり意識しないようにしていました。

しかし、今の日本では日本代表がブランド化されています。だんだんいろんな人が「日本代表に入ってくれよ。」と言ってくださるようになりました。それをプレッシャーに感じながら、少しずつ日本代表も意識していきました。

2007年の末、Jリーグ初優勝を果たしたすぐあと、僕は日本代表初招集を受けました。しかし、2008年の2月まで続いた東アジア大会までの期間で1度も出場の機会を掴むことはできず、その上、足を怪我して途中離脱しました。僕はそのとき完全に力不足でした。

チャンスをものにできず力不足を感じた僕は、代表デビューは僕の手をすり抜け、一気に遠くに行ってしまったように感じました。そのとき、僕は初めて日本代表復帰、そして代表デビューを目標にしました。それから、2年間だけ「日本代表」というものを口にし、あえて言い訳なしにそこに向き合おうと決めました。

予想通り、その道のりは簡単ではありませんでした。1度下された評価を覆すのはとても難しいものです。一時は大枠の候補にすら入れてもらっていませんでした。僕は雑念を振り払い、いろんなことに取り組み、毎試合全力で戦い続けました。僕のサッカー人生で最も「ガツガツ」した時期だったと思います。これは他の誰でもなく僕自身との戦いでした。

約1年半後の2009年の秋、僕は代表復帰、そして代表デビューを果たしました。僕は「この戦いに勝った。」と思いました。

岡田さんの日本代表では結局ほとんどチームに貢献できず、W杯メンバーにも文字通り滑り込みでした。4年前のこの日、W杯メンバー発表を鹿島の寮の部屋で1人見届け、僕はそれまで支えてくれた家族や育ててくれた指導者の方の顔を浮かべ、感傷に浸ろうとしていました。しかし、ヤス(遠藤康)がノックもせずにドアを開けて騒ぎだし、それどころじゃなくなりました。