荒木しげる&阿部征司 | 日高美子のメルヘン便りだびょ~ん♪

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EXアニメ歌手日高美子は、癒しのシンガーとして復活します!
グリム童話の魔法の力で、幸せを、癒しのメロディーに乗せてお届けしま~す♪

映画本日、元、東映プロデューサーで、仮面ライダーシリーズ全作や、私が歌っていた、「燃えろアタック」「それゆけ!レッドビッキーズ」「大戦隊ゴーグルV」また、「特捜最前線」「暴れん坊将軍」なども制作された、阿部征司さんに、荒木しげるさん主演の「仮面ライダーストロンガー」や、荒木さんご自身との想い出話など、色々とお話を伺いましたので、ここに報告させていただきます。

阿部さんは、私が歌った、「燃えろアタック」のエンディングテーマ「お元気ですかお父さん」の作詞家でもあり、その時は東映プロデューサーの共通のペンネーム、八手三郎で書かれました。他、作詞家としてのペンネームは「中瀬当一」。「仮面ライダー」のLPに収められている挿入歌などは、阿部さんの手によるものです。それから、脚本家としては、平山亨プロデューサーとの共同ペンネーム「海堂肇」(かいどうはじめ)として、多くの仮面ライダーシリーズの脚本を手掛けられました。

*写真が拡大できなかったかと思いますが、今は拡大できますので、どうぞ大きくご覧ください。



日高美子(よしりん)のメルヘン便りだびょ~ん♪

星日本一の仮面ライダー通としても有名な、阿部征司さん



まず、お二人の共通のTVドラマ3作ですが、ご一緒されたのは、「仮面ライダーストロンガー」のみとのことですが、後の2作は入れ違いだったそうで、その縮図からご覧ください。


「仮面ライダーストロンガー」1975年、毎日放送、TBS系列で放送された、特撮ドラマ。
城茂 / 仮面ライダーストロンガー(声)(主役):荒木茂(当時は漢字名)
プロデューサー:阿部征司
脚本補助:海堂肇(阿部征司、平山亨)(メインの脚本家の方があまりに多忙なため、お二人で交代で時々書かれていたそうです)


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「特捜最前線」TV朝日系列で、77~87年まで10年間に渡って放映された、東映連続ドラマ
津上明刑事:荒木しげる 77~80年の3年間レギュラーを務める
プロデューサー:阿部征司 83~87年の4年間制作に携わる


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「暴れん坊将軍」テレビ朝日をキー局にANN系列で1978年から2002年にかけてレギュラー放映された、東映制作の時代劇シリーズ。
御庭番の木葉才蔵:荒木しげる 83~87年までレギュラー出演。
プロデューサー:阿部征司 88~97年まで制作に携わる。


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ということになります。阿部さんも、特に「暴れん坊将軍」では、一年違いでニアミスでご一緒できなくて残念だったとおっしゃっておられました。
さて、思い出話が多くて、何から書いていいかわからなくなってしまいそうですが、

まず、4月17日のお通夜に参列された様子から伝えて頂きました。



あじさい「荒木君のお人柄だろうね・・・。500人くらいの人が集まってくれたよ。中にはセーラー服姿の中学生か高校生の女の子もいたね。二谷英明さんの奥さんの白川由美さんもお見えになってた。で、亡くなる直前に美子さんが、偶然荒木君のことをブログに取り上げてたことを、本人の魂と、奥様に伝えておいたよ。『え、そうなんですか・・・。』とびっくりされていたよ」

と、ご報告していただきました。



ナゾの人さて、荒木さんは、オーディションで仮面ライダーストロンガー役を射止めたわけですが、その様子を、昨年の阿部さんのブログでつづっておられますので、こちらをご覧ください。


仮面ライダー40周年記念ブログより



仮面ライダーストロンガー 荒木しげる君のお話
阿部チャンネル第12弾です。

次は『仮面ライダーストロンガー』です。
主役の「城茂」役を選ぶオーディションで驚きました。
荒木しげるくんの事です。
落ち着いた演技力、動作でびっくりしました。他の人達と違っていたのです。

後で聞くと、グループサウンズの一人だったとか。
それで納得したのですが、主題歌も担当させれば良かったと思っています。
それにしても、己を名乗るときの長いセリフも見事にこなしていた事を今でも覚えております。

若い女の子、「タックル」役の岡田京子さんとの協力関係も面白かった。



音譜ここで、綴っておられる、グループサウンズとは、小さな日記のヒットでお馴染みの「フォーセインツ」のことです。荒木さんはここで、ドラムをたたいておられました。音楽でデビューされましたが、あまりのイケメンぶりにモデルを通じて役者の世界に入られたのですね。

「二度と~笑わぬ~、彼の顔~♪」というくだりが、改めて聴くと、グッときますね・・・。

阿部さんは制作者ですので、「仮面ライダー~」の現場にはあまり行かずに、冒頭でも触れましたように、シナリオライターの方と交代で、せっせと脚本を書いておられたのだそうです。毎週ファンの皆さんが手に汗握って観ておられた番組、思い出に残るシーンなどは、阿部さんの手によるものもあるのですね。


ラブレターこの番組での一番の想い出は、一度「全国の子供を一般募集して、番組でストロンガーと共演してもらおう!」という夢のような企画を作られたのだそうです。その際、応募が殺到し、そのハガキを阿部さんがアトランダムに選ばれて、親子2名ずつ招待されて、全国から来られる親子の交通費や宿泊費を出されたそうですが、中には一家全員で来られる方もいて、焦ってしまったそうです。
1週につき、選ばれた子供たちが、2,3人、ストロンガーと共演し、その企画が数週間続いたそうですが、色々と大変だったそうで、そんな苦労話を懐かしそうに話されておられました。
でも、そのお子さんたちにとっては、かけがえのない宝物のような想い出ですね☆また、そんな素晴らしい企画をされた、阿部さん達に拍手です☆



ワインプライベートでもよく荒木さんとお酒を飲みにいかれたそうですが、とても落ち着いている、好青年だったそうです。そしてとにかくかっこいいので、どこでもモテモテ。お酒がお好きなようで、後年は駒込にスナックを持たれて、そこでご自分で料理を作って出されていたそうです。「私料理が得意なんですよ」と自慢されていたそうですので、ファンの方は、仮面ライダーの作るカレーライスなどが、食べてみたかったでしょうね!



カラオケあちこちで、特撮俳優のショーやイベントなどにも積極的に参加されていたようですが、昨年秋に、阿部さん主催で「仮面ライダー40周年」のイベントを池袋でやられたときにも、お見えになり、ステージの上でトークショーをされたり、打ち上げで一緒に飲みに行かれたそうです。そのときはお元気そうに見えたとのことですが、実は体の具合があんまりよくないという話も聞いておられたそうです。



黄色い花 最後になりましたが、おととい、私は荒木しげるさんが、偶然同じアメブロでブログを書いておられたことを知り、見させていただきましたが、そこには、血気盛んなストロンガーも津上刑事もおらず、ロマンスグレーの優しい俳優さんが、静かに妻子と仲良く暮らされておられるお姿がありました。なんだか胸にジーンと来てしまいました・・・。妹役で共演された、牧美智子さんも、私のブログではじめて訃報を知りショックを受けておられました。「あのとき、優しくて素敵な方で・・・。共演するとき緊張したのを覚えています」とおっしゃっておられました。荒木さんのお優しい性格が近影のお写真や、文章の端々ににじみ出ておりました。最後にブログ文の一部を紹介させて頂いて、この記事にペンを置きます。



ヒマワリクローバーブーケ2

3月17日西小山駅前にて
義援金のお願いのチラシを
妻の憲子と娘の正実の三人で
配りました。
若いサラリーマンの方など、
みなさん、快くチラシを
受け取ってくれました。

荒木しげるブログ、2011年3月20日記より



あとがき

18歳の御嬢さんは、今春上智大学に合格されて、荒木さんはそれをとても喜んでおられたとのことです。「仕事がないときも、我が家はいつも明るかった」と元女優の奥様が告別式で言っておられたとのことです。素晴らしい内助の功とご家庭が想像されます。最後は御嬢さんの励ましの声に一旦停まった心臓が再び動き出したそうです。泣いてばかりの最後のお別れではなく、楽しかった思い出話や、仮面ライダーがかっこよかったお話などを奥様たちはずーっとされていたそうです・・・。素晴らしいご家族に囲まれた、お幸せな最期だったと思います。そして、多くのファンの方に囲まれた、お幸せな告別式だったと思います。

天国で、二谷英明さんや夏夕介さんに囲まれて、大好きなお酒を飲みながら、昔話に花を咲かせておられることでしょう。荒木しげるさん、たくさんのファンの皆様に夢を与えてくださり、ありがとうございました。その魂は永遠に生き続けます。荒木さん、作品の中で、またお会いいたしましょう。ブーケ2


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