6月17、18日の2日間、大分県中津市の禅海ふれあい広場と中津総合運動場で九州サッカーリーグ(以下、九州リーグ)の集中開催で行われた。
私は両日とも中津総合運動場で試合を取材した。
新日鐵大分住金-J.FC.MYAZAKI
前半は新日鐵ペースで進んだ。まず11分、左サイドからのアーリークロスに黒木 一輝が足を伸ばすが、GK村尾 龍矢が飛び出して先に押さえる。
その後も、新日鐵はJ.FCゴールに迫り、シュートこそ少ないが攻勢でゲームを進める。
最大のチャンスは30分のフリーキック、シュートも狙える位置だったが、浮き球を蹴り込んで武原 尚貴が混戦の中を抜け出して流し込むが、左に外れてゴールに至らない。
武原 尚貴、大きなチャンスを逃しこの表情
一方のJ.FCは前半はチャンスがなかったが、ベンチからは『後半に相手は(運動量が)落ちるから、前半は我慢しろ』という指示が飛んでいた。ベンチの指示通り、前半は0−0で終えた。
後半12分、新日鐵がチャンスを作るがゴールに至らず、その一連のプレーの中で、清武 勇太がJ.FCのハンドを主張するが認められず、エキサイトしてしまい、主審がレッドカード提示、新日鐵は10人となる。
後半20分、ここまで守備の時間が長かったJ.FCだが、徳重 翔大がパスに抜け出し、GKが飛び出したところで思い切りシュートを放ちゴールに突き刺した。
ゴールを決めガッツポーズをする徳重 翔大
先制に成功したJ.FCは徐々に攻撃のギアを上げ、ゲームを支配する。追加点は奪えなかったが、危なげなく無失点で切り抜け、勝利を手にした。
試合後、サポーターに挨拶をするJ.FCイレブン
前半から押し込まれているように見えたJ.FCだが、振り返ってみれば打たれたシュート数は少なく、前半に指示があった通りの展開で勝利を手にした。やはり最初から計算されての展開だろうか。
J.FCを今年から率いているのは、元日本代表の与那城ジョージ監督。2007年から北九州を率いて九州リーグから3年でJ2まで引き上げた名監督だ。
与那城ジョージ監督。80年代には読売クラブでJSLと天皇杯を制している。活躍の場は地域リーグやJFLだが、名将と呼ぶことに意義を唱える者はいないだろう。
ジョージ監督は確かな手腕と温かい人柄で、選手から信頼され、サポーターから愛される人である。
試合前、バスから降りてきたジョージ監督にカメラを向けると『一緒に撮りましょう』と声をかけてくれた。私のことを覚えていてくれたようだ。
試合前、J.FCのアップを見ていると真剣な中にも選手やコーチの笑い声が聞こえてきた。相変わらずジョージ監督が作るチームは雰囲気がいい。
試合後、笑顔を見せる与那城ジョージ監督
J.FC.MIYAZAKI公式ホームページ
2015年にJ.FC.MIYAZAKIを取材した記事
2015年に新日鐵大分を取材した記事
熊本教員蹴友団-海邦銀行サッカークラブ
シュート数、ボール支配率でも海邦が上回っていたが38分、塩田 涼がドリブルで切り込み、ゴール左隅に流し込んで教員団が先制し、リードして前半を終える。
得点直後の熊本教員蹴友団
後半17分、海邦は左サイドからのグラウンダーのクロスに波平 真洋が足で合わせて同点に追いつく。
波平 真洋
同点となってから海邦が攻撃のギアを上げたが、教員団は後半36分、大塚 翔太がゴール前でフリーキックを獲得する。
シュートは壁に当たるが、左サイドからのコーナーキックに変わり、そのコーナーキックはゴール前で混戦となり最後は小野 耕平が押し込んで勝ち越しに成功、これが決勝点となり教員団が勝利した。
海邦銀行サッカークラブは、1985年に『海邦サッカークラブ』として結成され、沖縄県内の社会人サッカーを長年リードしてきたチームである。
2000年に初めて九州リーグに昇格した際に、沖縄海邦銀行とスポンサー契約を結び、現在のチーム名となった。
1年で県リーグに降格するが、2002年に県リーグ優勝、九州各県決勝大会でも優勝し、2003年に九州リーグ復帰して以降は、このカテゴリーで活動を続けている。
残留争いを演じることが多いが、2014年には優勝争いを演じ、優勝した新日鐵住金とのわずか2の勝ち点差で2位になり優勝を逃した経験がある。
海邦サッカークラブ紹介ページ
海邦サッカークラブFacebookページ
熊本教員蹴友団公式Facebookページ
2016年に熊本教員団を取材した記事
FC中津-三菱重工長崎SC
攻撃の回数では中津が上回るが、三菱長崎は高い守備能力でバイタルエリアへの侵入を許さない。中でも安部 真一は身体を張って、何度も中津の攻撃を跳ね返していた。
安部 真一(中央)選手兼任監督である。
35分、中津は右サイドから攻撃を展開し、中島 大輝がGKが前で出たところで頭上を狙って放ったシュートがゴールに吸い込まれ、中津が先制する。
中島 大輝(中央)
先制された三菱長崎だが、自分たちの戦い方を変えることなく『まず守備から』という意思統一がはっきりとしていた。前半で中津に許したシュートは失点の1本のみだった。
後半に入ると、じわじわと三菱長崎が攻撃のギアを上げてくる。ゲーム終盤では攻勢に出るが、中津が1点を守り切って勝利した。
今回の取材はこのカードが最大の目的であった。FC中津には星琳高校の卒業生である山末 輝が在籍していることが一番の理由だが、2013年の九州リーグ昇格以降、急激にチームの体勢が変化したように見えて、以前から興味をもっていたチームである。
試合前の円陣を組むFC中津
1969年に『中津クラブ』として結成され、1974年に九州リーグに初昇格、一時期は優勝、連覇を達成するほど強豪チームであった。
80年代は下位に沈むことが多くなり降格も2度経験したが、2013年に3度目の九州リーグ昇格を果たし、同時に『FC中津』に変更している。
2016年にジュニアユースチームである『中津 DREAM FIELD』が始動、今年の3月には『FC中津ジュニア』が始動しアカデミー体勢も整えている。
そして驚いたのが地元の認知度、2日とも会場に向かう途中タクシーの運転手さんにFC中津のことを訪ねると、いずれも知っていると答えが返ってきた。ポスターを貼ってる店も多く、それなりに目にする機会があるのだと言う。
会場に貼られていたポスター、地元企業が多数スポンサーとなっている。
中津は昔からサッカーが盛んで、中津クラブ時代から地元に社会人のクラブチームが活動していることは認知されていたらしい。
FC中津、井堀 貴康監督
Q:今日の試合の感想をお願いします。
A:昨日と連戦だったので、疲労感とか選手にはあるでしょうし総力戦でした。気力との勝負でしたね。
あとチームでやっていることが、疲労もあって出せなかった部分がありますが、その辺は修正しながらやりたいと思います。
Q:トップチームとしては、JFLということになるのでしょうか?
A:まずは九州リーグで頑張って、ジュニアとかジュニアユースで育った子たちが戻ってきた時に、トップチームで良い環境でプレーさせてあげられるようにする。というのがコンセプトです。
Q:このブログは高校生が多く見ているのですが、卒業後もプレーを続けたいと考えている選手たちにアドバイスをお願いします。
A:好きでサッカーをやっているはずなので、上を目指してやるというのが第一前提だと思います。
高校で燃え尽きる選手が多いですが、Jリーグとか大学以外にもレベルの高い戦いは出来るし、下手だからどうこうではなく、情熱があればプレーは続けられるので、そういうチームも目指して欲しいです。
藤永 拓也キャプテン
Q:FC中津に入ったきっかけを教えて下さい。
A:中津工業高校(現中津東高校)時代に練習試合をよくしていましたし、中津工業の卒業生も多いので自然な流れで入りました。
Q:社会人でサッカーを続けて、良かったことはありますか?
A:サッカーがモチベーションになっているので、試合で勝ったから、仕事もモチベーションが上がって頑張ろうと思えることは、よくありますね。
Q:このブログは高校生が多く見ているのですが、卒業後もサッカーを続けたいと考えている選手たちにアドバイスをお願いします。
A:高校時代は選手権やインターハイがあって、社会人になったら大きな大会とかは無いと思っていましたが、九州リーグは仕事をしながら、100%の力で必死にやっているし、上位に入れば地域決勝とか大きな大会もあるので、社会人になっても本気で手を抜かないで、サッカーがやれる場所があることを高校生にも知ってもらえると嬉しいです。
山末 輝選手(星琳高校卒業生)
九州スポーツカレッジに進学して今年の3月に卒業後、FC中津に入団
Q:チームに入って3ヶ月ほどですが、どうですか?
A:最初はキツくて、サッカーと仕事を両立できるか心配でしたが、サッカーが上手くストレス解消にもなっているし、楽しくサッカーができています。
Q:社会人でもサッカーを続けようと思ったのはいつ頃ですか?
A:卒業ギリギリまで迷ったけど、中津に就職が決まったので、FC中津で九州リーグに挑戦したいと思って、チームに入りました。
Q:社会人サッカー初年度ですが、これからの改善点などありますか?
A:チームにもっと慣れて、チームの力になるだけです。
Q:高校でサッカーをしている後輩たちにアドバイスをお願いします。
A:仕事とサッカーの両立は難しいけど、サッカーで得る物も沢山あるから、サッカーを続けたいと思ったら、一度きりの人生なので続けた方が良いと思います。
FC中津公式HP
FC中津公式Facebookページ
敗れた三菱長崎だが、経験値の高さを見せた試合展開だった。
試合前の円陣を組む長崎三菱
監督兼任の安部 真一の43才が最年長で、FWの西尾 浩太郎は36才と経験が豊富である。
この2人を除いても、20代前半の選手が3名出場していたが、中心は27〜31才の選手で構成されており、サッカーを知り尽くした年齢と言えるだろう。
加えて、高校や大学を卒業してから三菱長崎一筋の選手も多く、選手間の信頼関係やチームとしての経験値は決して侮れない。
佐世保工業高校卒、葉山 秀一(左)九州産業大学卒、江濱 信介(右)ともに卒業後は三菱長崎一筋である。
チームの発足は1947年と古く、九州リーグの中でも伝統を持ったチームである。1982年に九州リーグに初昇格し、93年に一度は降格を経験するが、95年に九州リーグに復帰以降は残留争いを多く経験しながらも、九州リーグで戦いを続けている。
上位チームを苦しめることもあり、2007年は、その年にJFLに昇格したニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ)に唯一、90分間で勝利したチームである。
リーグ戦では下位の常連だが、全国社会人サッカー大会では2011年にベスト8、2014年にはベスト4という成績を残しており、決して弱小チームではない。
安部 真一選手兼任監督
Q:今日の試合を振り返ってください。
A:相手がワンチャンスを物にしたので、反省点ではありますが、大体みんな動けていてボールも回せたし、狙い通りではありました。点が取れなかったことは残念ですが、これから後期に入って行くのでリセットして、頑張りたいと思います。
Q:今シーズンのチームについて、どのように感じていますか?
A:若手も増えてきた分、気持ちで左右されることも多くなりましたが、ベテランも在籍しているので、上手く調整しながらやりたいと思います。
Q:このブログは高校生が多く見ているのですが、卒業後もプレーを続けたいと考えている選手たちにアドバイスをお願いします。
A:大好きなサッカーを高校で終わらず、卒業後も少しでも高いレベルで続けて欲しいと思います。
各地域に存在するクラブも上手くPRして、卒業した選手たちに大好きなサッカーを続ける環境を与えてもらって、九州リーグを盛り上げてもらえたら嬉しいですね。
Q:サッカーと仕事の両立するにあたって、心がけていることなどありますか?
A:高校を卒業して24年ほど、九州リーグでサッカーをしていますが、自分にとっては『普通』にやってきたことだと思っています。
仕事もあり、家族もあり、大好きなサッカーもあって、自分的には普通にやってるつもりですけど、『大好きなことをやる』というのは皆さん何かしらの工夫をしてやってると思います。色々なことがあるけど、それぞれで工夫をすることがポイントかなと思います。
試合前、監督として指示を出す安部 真一
仕事と家庭と競技志向のサッカーを両立するのは、外から見ていれば大変で苦労を伴うことに思うが、本人は『普通』に『当たり前』にやってきたと言う。
力を込めて言う訳では無く淡々と柔らかい物言いで述べるから、意識せず本心で言っていることを疑う余地がなく、説得力があった。
安部 真一は高校を卒業後、三菱重工業株式会社長崎造船所に就職し、同社のサッカー部一筋で20年以上プレーしている。在籍期間が長い傾向にある実業団でも、彼のプレー年数は特別長く2015年には、その功績を称え九州リーグから表彰を受けている。
三菱重工長崎サッカー部HP
今回は平均年齢が高いチームの取材が多かった。若い選手に比べてスピードやパワーはないが、長年の経験を感じさせる場面が多く、年齢を重ねたことによる『衰え』以上に、そこまで続けたことによる『進化』が見えた。
これから10年、20年後に選手として進化した姿を、高校サッカー部員たちにも見せて欲しいと思う。