ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
■ utsuboの音楽のバックボーン-1
■ utsuboの音楽のバックボーン-2
■ utsuboの音楽のバックボーン-3
■ utsuboの音楽のバックボーン-4
■ utsuboの音楽のバックボーン-5
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。
■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)
ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、Shalamar、Lakeside、Whispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.Band、High Fashionなども好きだった。
D-Train、Sylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。
■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)
■ D Train 「Music」 (1983)
並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge Benson、Luther Vandross、Peabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy Crawford、Patti Austin、Angela Bofillなどよく聴いた。
■ George Benson 「Late at Night」 (1983)
UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。
その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern Romance、Level42、shakatak、Central Line、ABC、Haircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))
■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)
■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)
付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。
当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。
■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)
LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)
■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」
ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran Duran、Culture Club、Spandau Ballet、The Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。
■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)
ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)
いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
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