※すべてのクルマ好きに捧げます。
「僕のオーナー」
僕は自動車だ。
とりたてて特徴のない、国産の、小型車。
数少ない自慢は、鮮やかなオレンジのボディカラーと、そしてオーナー。
僕のオーナーは可愛い女の子だ。
可愛いだけじゃない、僕をとても大切に扱ってくれる、優しい娘さんなんだ。
彼女はちょっと上を向いた鼻を気にしていて、僕に乗るたびにルームミラーで見てはため息をついてる。僕はかわいいと思うんだけどな。
きれい好きな彼女のおかげで僕のボディはいつもピカピカ。
メンテナンスにも気を使ってくれるから、10万キロ以上走ってもエンジンは快調そのもの。
でも、彼女とも今日でお別れだ。
僕は壊れた。
大粒の涙を流しながら、彼女はレッカー業者に尋ねてた。「直りますよね?」
レッカー屋さんの困った顔がすべてを物語ってた。
今までたくさんの事故車を見てきていれば、僕が直らないのはあきらかだもんね。
ひしゃげたラジエーターの配管が破れ、エンジンに冷却水が回ってしまっていた。
僕の心臓にふたたび火が灯ることはない。
ボディ全体にも歪みが生じてしまっている。僕を直すには、僕を買った時よりお金がかかってしまうだろう。
でもいいんだ。
彼女とは、いろいろなところに出かけた。たくさんの思い出ができた。
川沿いを走り、くねくね道を駆け上がって山頂をめざし、湖のほとりで水面を見ながら休憩し、大きな橋を渡り、フェリーに乗って海も越えた。バンパーの擦り傷さえ、ふたり過ごした時間の証に思える。
そして僕は、最後の仕事をやり遂げることができて、とても満足してる。
雨の夜、急に飛び出してきた子猫を避けて、君は急ブレーキを踏み、左にステアリングを切った。
きちんと床までブレーキを踏んでくれたおかげで、僕はすかさずABSを作動させることができた。
でもほんのちょっとだけ、間に合わなかった。
進路に電柱があったのはたまたまだ。嘆くことじゃない。人生にはなんだって起こりうるんだから。
電信柱までの距離から、衝突が避けられないと判断した僕は、決断した。
衝突する直前に、エアバッグをふくらませたんだ。
可能な限り速く、そして優しく。
おかげでさ、あんまり痛くなかったろ?
あれは誰にでもできる芸当じゃないんだぜ?
さよなら、僕の、大好きな、オーナー。
僕はバラバラに解体されて、多くの部品は廃棄される。
だけど、けっこうな数の部品はリサイクルされるんだ。
僕はまた別の部品に生まれ変わって、イカす車の一部になり、そしてまた君のもとへやって来る。
必ずだよ。
そのころ君はお母さんになってたりするのかな?
そしたらさ、君の家族も乗せて、また一緒に走ろうぜ。
まだ見たことのない場所へ。