そろそろ公開してもいいでしょう、NATROMバスターズのブログができました。
なとバスのブログ(仮)
http://ameblo.jp/tonndemoishanatrom/
さて、はてなブックマークやtogetter等で犯罪だのキ印扱いだのされてますがNATROMバスターズは・・・
「あくまでも化学物質過敏症に関するNATROMの見解に対する集団」であります。
その他の記事は眼中にないというかむしろ面白い記事も多い。
だが化学物質過敏症に対してNATROMの行いは迷惑千万、代替医療を否定したいのは分るが私が叩かれる以前にNATROMは医療倫理から外れています。
医療教育情報センター
http://www.c-mei.jp/BackNum/076r.htm
医療倫理の四原則
医療倫理は医療の中で倫理的問題の解決への指針となる原則である。「自律的な患者の意思決定を尊重せよ」という自律尊重原則、「患者に危害を及ぼすのを避けよ」という無危害原則、「患者に利益をもたらせ」という善行原則、「利益と負担を公平に配分せよ」という正義原則からなる。
原則とは、「他の多くの道徳的規準および判断の基礎となる根本的な行動基準」である。
原則は、意のままに無視できるような経験則ではないが、絶対的な拘束力をもつものでもなく、他の原則と対立しない限り常に拘束力をもつ一応の義務であるとされる。原則に訴えて医療や健康政策における倫理問題を解決しようとする方法を、原則中心主義という。
自律尊重原則の積極的責務とは、患者が治療上の決定を下すために必要な情報を開示し、自律的な決定を促進することである。
この原則を支持する道徳規則には、
1)真実を語れ、
2)他人のプライバシーを尊重せよ、
3)秘守情報を保護せよ、
4)侵襲のための同意を得よ、
5)依頼を受けた場合は、他人が重要な決定を下す援助をせよといったものがある。
善行原則とは、他人の利益のために行為すべきであるという道徳的責務である。
この原則を支持する道徳規則には、
1)他人の権利を保護・擁護せよ、
2)他人に危害が及ぶのを防げ、
3)他人に危害をもたらすと考えられる条件を取り除け、
4)障害者を援助せよ、
5)危機に瀕した人を援助せよといったものである。
無危害原則とは、「危害を引き起こすのを避けるという規範」あるいは、「害悪や危害を及ぼすべきではない」ことであると定義される。
無危害の責務は、危害を加えない責務だけでなく、危害のリスクを負わせない責務も含む。無危害原則が支持する道徳規則には、
1)殺すな、
2)苦痛や苦悩を引き起こすな、
3)能力を奪うな、
4)不快を引き起こすな、
5)他人の人生から良いものを奪うなといったものである。
正義原則とは、「社会的な利益と負担は正義の要求(各人にその正当な持ち分を与えようとする不変かつ不断の意思)と一致するように配分されなければならない」である。
各人にその正当な持ち分を与えることは、根拠のない差別をなくすこと、および、競合する要求の間に適正なバランスを確立することを含む。
実質的な正義の原則とは、二人以上の個人が平等な扱いに値するために何が等しくなければならないかを特定する原則である。
たとえば、各人に平等な配分をすることを要求する原則、各人に必要な努力、貢献、功績の大きさに応じて配分することを要求する原則、自由な市場取引に配分を委ねる原則等が考えられる。(SS)
(No076r;2010/10/21)
以上ですがNATROMは善行原則2、無危害原則2、4、正義原則は無視していると考えています。
掲示板だったかな?「ネット上では医者も患者も一緒」という発言をしたNATROMですがそんなのはNATROMの都合であって納得できるものでは無い。
私を負け犬と呼ぶ人達が居たがNATROMは臨床環境医に全く相手にされません、患者からはあまりにも現実と違う見解に抗議されますが患者を傷つける事を何とも思いません。
むしろ楽しんでいるとしか思えない、何かあれば「心因性」をごり押しするところは反応を楽しんでいるとしか思えない。
なとバスはNATROMに対して「化学物質過敏症に関する覚え書き」の削除又は実情を知った上で改編を求める。
患者を傷つけるだけの議論行為は一切止めてもらう。
臨床環境医を非難するなら深く勉強してから非難すべきで自論を正当化するだけの行為は患者を傷つけるだけであり即刻削除すべきである。
一部医者としての倫理観に疑問がある事も追及する。
その他の事に関わるつもりはありません、私1人で闘ってもよかったのですが声は多い方がいい。
その為のNATROMバスターズであって荒らし煽動では無い、誹謗中傷を行うつもりでは無く指摘していく。
文句ある奴はまたコソコソ書けばいいよ、既に活動を始めたので後に成果を披露する事になるだろう。
少なくとも2年は継続するつもりです、たとえ私が死んでも誰かに受け継ぐので活動は終わりません。