イギリスに戻り、プロデューサーも初期作品を手掛けた Derek Lawrence を迎えてのスタジオ・アルバム第9作…
NO SMOKE WITH OUT FIRE - 因果律 (1978)
オリジナル・タイトルは…「火のないところに煙は立たず」とも取れるが…(笑)
原点回帰と言われるアルバムではあるけど、音の質感に関してはそれも分からないこともないが、「初期3作の雰囲気に戻った」というのとは違うだろう。
今作もジャケを担当している HIPGNOSIS のデザインは彼らが担当した ASH の作品中、最もストレンジな雰囲気を醸し出しているし… (^O^)/
初期作と並べて違和感がないとすれば… "SHIPS IN THE SKY(大空の翼)" ぐらいかな…。
当然かも知れないが、「回帰」と言ってもそれは「逆戻り」でも「後退」でもなかった。
それでも、 Laurie 加入後にアメリカで録音した作品と比べると、「ブリティッシュ・ロック」な雰囲気は濃くなった…それは確かな気がする。
なんと言うかそれは「ザラっとした質感」とでも言ったらいいか…
なにより長尺で曲調が変化するスタイルが "F.U.B.B." 以来、久々に "WAY OF THE WORLD" で登場する。これが最も「ASH らしい」と言えるかな。
♪ The Way Of The World (part 1 &2)
どうあれ、Laurie 在籍時の代表作…という評価は僕も納得。
LIVE IN TOKYO (1979)
70年代には日本のみ発売の海外アーティストのライヴ盤が多数存在し、録音状態、アーティストのプレイの出来を含めてクオリティの高いものが多かった…と、このアルバムについては、当ブログの "Reissue" 枠で記事にしているので、そちらを参照して頂きたい。
140115 LIVE IN TOKYO/WISHBONE ASH
ただ、当時書いていない事で特筆すべきことがあるなら、プロデューサーとして Martin Turner が単独でクレジットされた最初のアルバムということ…かな?
JUST TESTING (1980)
スタジオ・アルバムとして、プロデュースがバンド名義だった "WISHBONE FOUR" 以来のセルフ・プロデュース作品… Martin Turner を筆頭にバンドと John Sherry の3者がクレジットされている。
2010年紙ジャケ盤のライナーで指摘のあるように、楽曲においてメンバー間の共作が減っている…と言うか Martin の単独作が目につく。"HELPLESS" のようにメンバー以外が作った曲があるのはともかく、Laurie が Claire Hamill と共作した "LIVING PROOF(偽りの証明)" がアルバムのトップに据えられているなど、聴いただけでは分からない変化がけっこうある。そして Claire Hamill はコーラスとしても参加している。
いろんなことを試してみる… "JUST TESTING" をそう解釈することもできそうだ。
でも、ASH のイメージを…少なくとも前作のイメージを覆すほどのものではないと思う。
ただ、これらの変化が作品にマイナスに働いたとは僕には思えないが、この作風が1980年という時期に「オールド・ウェイヴ」と捉えられても不思議はなかっただろうとも思える。
ハードロック、プログレ系が沈没しかかった時期だけに…(;^_^A
唯一、4人の共作曲でアルバム最後を飾る "LIFELINE" が「長尺で曲調が変化するスタイル」であることも、そんな思いを持つ理由のひとつ。
…楽曲としてはとても好きなんですが。
ヒットが出ないことと関係なくはないのだろうが…そして何処までが真実なのか、現在も諸説あるようだが、「新たなヴォーカリスト」を加入させるというバンドの方針への反発、加えてプロデュース指向の高まりもあったのかも知れないが Martin Turner がバンドから離脱することになる。
結果的に次作のライヴ・アルバム "LIVE DATES VOLUME TWO" は Laurie 加入後…という以上に Martin 在籍時代の総決算になってしまう。
LIVE DATES VOLUME TWO - ライヴ・デイト2 (1980)
アルバム・デビューから "LIVE DATES" までの期間…それは Ted Turner 在籍期であり、彼よりも在籍期間の長くなった Laurie Wisefield のプレイを収めた日本以外では初のライヴ・アルバム。
背景はどうあれ、第2期 WISHBONE ASH の総決算と呼ぶにふさわしいアルバムと断言していいと思う。なにより、Laurie 在籍前の3曲が入ってはいるが、"LIVE DATES" との被りがないし、録音もライヴ・アルバムとして最上級な点は前作を凌いでいるかも知れない。
これまた2010年紙ジャケ再発(これが初CD化)で知ったことだが、イギリスでは初回版がボーナス・ディスク付加の2枚組LPで通常版は1枚物だったらしい。
しかも、アメリカでは発売されなかったが、USヴァージョンとも言える "HOT ASH" (1枚物)が代わりに発表されている。(US リリースは1981年?)
しかし、日本では "LIVE DATES VOLUME TWO" は2枚組LPで発売された上に "HOT ASH" も発売されている。
♪ Goodbye Baby Hello Friend (LIVE)
(※この曲はどちらにも入っています)
HOT ASH (1982)
日本では John Wetton が加入したアルバム "NUMBER THE BRAVE"(1981) のあとにリリースされた。
このアルバムについては前出 "LIVE IN TOKYO" の再発レビュー記事にも書いているが、"LIVE DATES VOLUME TWO" には収録されていない2曲が入っているものの、すでにどちらも音源は個別にCD化されているので、"HOT ASH" のCD化の可能性は…たぶん低いだろう。
個人的には、"HOT ASH" のみ収録の2曲を "LIVE DATES VOLUME TWO" にボーナス・トラックとして収録して欲しかったが…
では今回はMCA最終作まで行っておこう。
NUMBER THE BRAVE (1981)
Martin Turner に代わり UK(もちろんバンド名) の活動がストップした John Wetton 加入の唯一作。
John のベース・プレイヤーとしてのマッチングは良かったが、ソングライターやヴォーカリストとしての役割を果たすスペースがほとんどないことが原因で彼はこれ1作のみで脱退し、ASIA の結成へ進んだ…そんな時期のアルバムだ。
このアルバム、John が参加したことよりも、プロデューサーに Nigel Gray を起用したことの方がキーポイントのような気がする。
Nigel Gray といえば THE POLICE のアルバムを手掛けたことで知られている人だ。
これは明らかに WISHBONE ASH に現代的なサウンドを持ち込もうと考えた人選だろう。
確かにこれまでと比べると解放感とスピード感のあるタイトなサウンドになった。
変な言い方かも知れないが、WISHBONE ASH のアルバムの中で車で聴くのに一番向いている作品…少なくとも僕はそう思うし、Laurie 在籍時のアルバムの中でもかなり好きな作品だ。
一方で John Wetton が書いた曲 "THAT'S THAT" は、微妙に雰囲気がズレているかな…という感じがするのも事実。
かくして、このアルバムの発売と同時に John Wetton は脱退し、ツアーは URIAH HEEP にいた Trever Bolder が参加、さらに本作でも再びコーラスで参加した Claire Hamill がツアーにも同行した。
ここでMCAレコードとの契約は終了し、次作はインディ・レーベルからの発売になる。
そして、ここからメンバー構成が不安定な時代に突入することに…
to be continued...