こないだから、
映画「かみさまとのやくそく」
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映画紹介のページ
を観たいな~って思ってて、
来月、京都まで見に行くことにしてるんですが、
そんな折、Sさんからメールが。
「息子は2歳を過ぎて、
だいぶ言葉がでるようになりました。
だいぶ言葉がでるようになりました。
ときどきナマイキなことを言って大人を笑わせます。
昨夜、寝かしつけるとき、
布団のなかで
布団のなかで
「おかあさんのお腹のなかにおったときのことおぼえちょー?」
ときくと、
ときくと、
うん と頷きました。
「どげだった? ぬくかった? 寒かった?」
「おなかのなかね、つめたくて早くでる。でた。」
「早く出たかった?」
「うん、早く出たかった。」
ここで、私、どきっとしました。
そうなのか~! 冷たかったのか~!
それで36週で出てしまったのか~
「ごめんねー、冷たくていけんだったかー」
「早く出たかった。 こたつがきれて つめたかった」
早く出たかった、を何度も繰り返して言いました。
最近、言葉とともに表情もつけるようになり、
ちょっと顔をゆがめておりました。
(片目が下がってちょっと笑える)
(片目が下がってちょっと笑える)
よぼど冷たかったようです。
自分でうえからハラを触っても、
中の温度はわからず
中の温度はわからず
「ああ この子にとって 温かければいいなぁ」
と思っておりましたが
と思っておりましたが
(逆に この子がいると温かくていいなーと思っておりましたが)
彼にとっては冷たくて いけんだったようです。
ほんとかウソかわかりませんが、
このように話しておりました。
このように話しておりました。
まずは堀江さんにお話したいと思い、メールした次第です。」
Sさん、ご報告ありがとうございます~!!!
Sさん、ご報告ありがとうございます~!!!
実は、ぼくのお客さんから直に胎内記憶のことを聴くのは
Sさんがはじめて!!!
すごく、うれしい~!!!
やっぱり胎内記憶の話はホントなんだなぁって
思います!
Sさんが子宝相談に通われてたころが、
なんだか懐かしい。
40を迎えてからの治療だったから、
焦りもたくさんあったろうし、
落ち込んだり、
立ち直ったり、
笑ったり、
泣いたり。
Sさんが相談に来られていたころが、
なんだか懐かしく(と言ってはいけないかもしれないけど)
思い出されました。
ぼくね、Sさんが出産後に送っていただいたメールが、
すごく印象的で大好きです。
「生まれたのは2000gちょっとのチビスケでしたが、
1ヶ月をすぎて漸く人並みになりました。
今、部屋の片づけをしていて、
妊娠に至るまでと、
妊娠中の、がんばった(?)数々の資料をあらためて見返しました。
不妊治療の発端に子宮筋腫をとったときの書類、
県の助成制度の申請書類、
堀江さんからいただいた漢方関係のもの、
病院の書類・領収書、などなど。
この数年、このチビを得るためにこんなにがんばったんだなぁと、
少し客観的に過去の自分を思い返しました。
振り返るとあまりいい思い出ではないけれど、
これらをなんとなく捨てられない気持ちでいます。
チビは男のコだから、大人になっても、
当時の私の焦りや絶望の気持ちは理解できないだろうけど、
夫が常に私を理解し、支えてくれていたことは、
いつかチビに話しておかないと、と思います。
友達は「子供ってかわいいでしょ?」というけれど、
勿論かわいいのだけど、
それよりも、本来生まれなかった筈の子に人生を与えてしまった、
という責任の重さを感じます。
この子が将来、親子喧嘩の際に
「勝手に産んだくせに」
と口答えしたならば、本当に悲しくなると思います。
(もし、よそ様のお嬢さんを婚前に孕ませてしまったらどうしよう、
など妄想の多い私であります)」
Sさんの胎内記憶のことを聞いてから、
こどもさん、ますますスクスク大きくなったんでしょうね~。
感謝でーす!