米国でそしてこの国から撒き散らされた

誤った「原理」によって、私たちの国が、

米国化されるための政策が、

どんどんと推進されようとしている。



まずは、国家戦略特区から見てみる。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131018-00000535-san-bus_all



①公立学校の民間委託を認める。


②海外で承認されている医薬品を扱う自由診療と

 保険診療の併用する混合診療の拡充に向けた

 早期の仕組み構築。



まず、①は論外である。

たぶん小泉・竹中が行ったと思うが、

教育を民間にということが行われ、

民間業者が実際に行い、法に触れることをやり、

学生が犠牲になった事例がある。



かつて教育は、上位階層だけが独占していた。

古代ローマにおいては、一番高い奴隷は、医者と家庭教師だった。



当時、奴隷の家庭教師の値段が、

とてもよい別荘が買えるほどだった。



教育が一般大衆に開かれたのは、

近代になってやっとで、それもみなが受けられたわけではない。



日本は、また異なる歴史をもつので、

江戸時代には、世界中を見渡してもないほど

高い識字率を持ち、江戸の町で庶民が、

本屋さんで本を読んでいることに、外国人が驚愕した。



そして明治時代に入り、学校制度ができて、

都市部の住人は、すんなりと、

農村部の住人は、しぶしぶ、子どもたちを学校へ行かせた。



農村部では、高度経済成長を迎えるまで、

子どもは立派な労働力だったため、

義務教育中でも、繁忙期には学校へ行けなかった。



豊かさがまず都市部にもたらされ、

そして農村部にまで浸透したのは、ほんの数十年前だ。

100年も経っていないのである。



やっと確立した学校を壊そうとしているのだから、

日本を担う日本人を、根こそぎ刈り取ってしまう。



公立学校は、近代社会の要石である。

それを売り渡せば、ほとんどの日本人の子どもは、

学問をする場さえ、構造的に奪われてしまうのである。



この特別区の目標は、教育では、グローバル人材の育成や

スポーツ・体育の充実を目指して、公立学校運営の民間委託を認める、

というものであるようだ。



グローバル人材とは、いかなる人材を指して言うのか。

推測では、国境をまたいで活躍する人材のように思われる。



では、そこで教育を受ける子どもたちは、

一体、どこの国の言葉を、母国語として思考するのか。



もちろん、日本語ではあるまい。

英語、それも、米語で思考するように

子どもたちを育てていくのだろう。



長年教えていても私は、

英語で読んでも聞いても、泣くことができない。

それを母国語である日本語に訳して、はじめて泣ける。



思索に関しても同様である。

英語で思索することはできない。

母国語である日本語でしか深く思索できない。



日本が恵まれた教育環境にあるのは、

先人たちが営々と積み上げてくれた

他言語を日本語にしてくれた恩恵である。



母国語で、あらゆる学問を学ぶことができるのは、

ほんの一握りの国家しかないことを

日本人が認識できないのは嘆かわしい。



複雑な知的操作をできる日本人を

生み出し続けることが、教育の主目標なのだ。



現場にいて、子どもたちの日本語能力が

えげつないほど目の当たりにしているので、

日本の教育問題は、日本人の日本語能力を

かつてのようにすることなのである。



なんの資源もない我が日本が世界に

強力な影響力を及ぼすことができるのは、

ひとえに、人的資源が豊富だからである。