床屋政談になりそうなので、このテーマでいくしかない。

なぜなら、石原慎太郎という人物から避けては、

考えられぬ問題だからだ。


まずは、彼の発言を貼っておこう。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/128190/

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/128184/



彼の浅見さや愚昧なる思考回路、胆力のなさから、

繰り出されてくるものは、あきれ果てるものが多い。


評論家なら別に、責任を負わないでもいいのかもしれないが、

政治家は、言葉を武器として、戦い、そして実行する。


それが、一応、建前ではないかと思う。


時として、命を懸けるほどに、彼らにとって言葉とは

重要な意味合いを持つのではないだろうか。


彼は、常にメディアに登場しては、大風呂敷を広げたり、

右よりな発言をして勇ましく、かつ、自分を誇大に見せようとする。


彼は、極めて自分に自信のないタイプであり、

実際に自ら先頭に立ってといった陣頭指揮が、

できうる人ではない。


今回の一件が、よくそのことを証明している。


安部譲二さんの著書にたまに登場していたが、

とても気弱なキャラクターである。


でも、そういった類の人物が勇壮なことを叫び、

自分は物陰に隠れていることがよくある。


彼は、典型的にそのタイプの人物であって、

それが彼の笑顔によく現れている。


Tvとは、侮ることはできないもので、

人のそういった弱さ、愚かさ、などを上手に捕らえて、

よくわかるように映し出す。


そこで彼の真贋を見抜けるものは、

実はケッコウ少ないのではないかと、

先回の都知事選挙のときに思った。



彼の大風呂敷とその行動は、マッタク一致しない。

責任ある言動をとったことは一度もない。


なぜ彼のような人物が、メディアに露出し続け、

視聴者は、彼を厭わないのかが、よく分からない。



ずれていってしまう、修正しよう。


銀行の話だった。


新銀行東京というネーミングからして、

カナリ空恐ろしい気がさせられるものだが、

彼が構想をぶちたてたときから、

到底、うまくいきっこないとは、専門家から指摘されていた。


自分としても、あの当時の状況からして、

あまりに馬鹿げた構想で、こうなることは事前に予想できた。


資金繰りに悩む中小企業を救うことを目的として、

2005年に鳴り物入りで、開業した。


全国銀行協会からは、反発を受けていたために、

協力をしてもらえないどころか、

この全銀協からは、はじかれている。


設立構想は、1999年にまで遡る。

まだバブルの傷に呻く銀行が、

不良債権に苦しんでいたときである。


銀行が目の敵にされていたために、

彼の大風呂敷は、世論というかメディアには、

好意的に受け入れられていた気がする。


彼が、威勢のいいことをいうので、大衆受けして、

総理大臣になってほしい人の上位に

ランキングしていた時期にもかぶったはず。


だから、彼の構想は実現してしまった。

不良債権をどんどん抱え込んでいくことを

予想されていたのにも関わらず。


別にこの構想が、国家レベルでなされ、

中小企業が銀行からの貸し剥がしに対して、

救済措置をとる政策としてなされたなら、

別に不良債権をある程度、覚悟して設立されただろう。


いやもうすでに、そうした機関はあるのだが、

当時のふがいない銀行に非難が集っていたので、

そうした機関を活用するより、耳目を引き付けるものだった。


銀行がどんどん合併吸収されていく数が減っていく中で、

民業圧迫と批判を受けていた郵政民営化と並んで、

正直、頭がおかしいのかと思っていた。



そんな記憶が片隅に残っていて、

たった4年ほどで、累積損失は1260億円だという

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080316-00000004-yom-soci



それならば、彼は当然、責任の主体であるので、

甘んじて批判を受け、その責任を明確に自分で

引き受けるのかと考えていた。


でも、彼は責任回避に走り出した。

経営陣に責任があるといってのけ、

自分ならば、もっと大きな銀行にしていたと公言したらしい。



彼は、当時の状況から考えても、

今、銀行が立ち直っている状況から考えても、

到底、うまくいくはずもない銀行だったのである。



今、地方の銀行の収益の柱は、

手数料収入だと友人が言っていた。


実態は、その程度なのである。


日本の銀行は、今、経営体質を改善したが、

直接金融システムから、間接金融へのシステムの移行に、

銀行は、未だ収益の柱を見いだしていない。


そのお陰で、今、猛威を振るっている欧米の金融危機から、

偶然にも守られただけと言っていいだろう。




日本の銀行システムは、バブル直前には既に、

機能不全を起こしていた存在だったのである。


バブル以降は完全にその存在意義を失いつつあり、

政府によって守られ、国民から金を掠め取って、

生きてきただけの吸血鬼のような存在だった。


直接金融の時代が終わりを告げ、

間接金融の時代へと入ってゆく、

そんな存在意義を問われる時代に、

わざわざ収益を上げられない銀行を作ったのである。


この程度の判断もできない人物だったのである。

この程度の人物を有難がって、メディアは露出させ続け、

その害毒を流すことを許し続けた。


したがって、メディアの責任も大きい。

わざわざ判断を誤らせるように、

みなを意識誘導したのである。


さしあたって、オールドメディアは、

彼の私財供出を含む責任をとらせるべく、

動くのが、まずは筋というものである。