ん~と、確か先週の火曜日に訪れたときのことだったっけ。


彼は、比較的穏やかに迎えてくれた。


ここはいつもガラガラなので、

待たなくていいから、3分診療で薬をもらうなら最適だ。

(処方する薬にはいまいち、信頼が置けないが)



今年は、仕事量が少ないから、心身ともに休め、

薬の量を徐々に減らして、完全回復を目指していた。


しかし、6月には入ると、立て続けにテストの嵐、

親父の容態の急変と重なり、

休みなく働いたために、どん底状態で、

こんなしんどいならいっそ・・・・ぐらいだった。


ぼろぼろで、通ったら、薬を倍増されてしまった。

前にひどいときは、そのままだったのに。


その後、休みが取れるようになって、

デジレルの効果もあり、6~8時間の睡眠が取れるようになった。


だから、一時的なものだと考えていたので、

アナフラニールの使用を減らしたいというと

もう切れる切れる、来るな、来るな、の連発。


オレは治す気もないんや、

こっちもたいへんなんや、

こんといてくれ、とキチガイのように叫ぶ。


オレがたいへんなんや、

もう限界なんやと心の奥底からの悲痛な叫びを見て取る。


あー、つれーんだなこの人、と思って、

まぁ、先生、そういっちゃ、おしまいじゃないですか、

とたいへんオトナとしての対応を見せ、

彼をいたわり、カウンセリングを試みる。


しかし、おしまいじゃない、ときっぱり断言。

なにも診たくて診ているんじゃない、

ほんとにこんといてくれ、ときっぱり言って、ドアをバタン。



少々、カチンときたが、思いとどまった。

本物のキチガイを相手にしても仕方がない。

壊れてしまったのも気の毒な話だし。


でも、薬をもらいにどこかへはいかないといけないので、

薬局で相談すると、新川医院というのが

より近くにあるというではないか。


過労で倒れたときに、患者さんがみんな困って、

薬をもらうために、そこにも行ったという。


さっそく、電話にて問い合わせてみると、

三人の医師がおり、いつも満員で、

待ち時間もたいへん長いという。



そういや、この心療内科がおおはやりのご時勢になぜ、

こんなに空いているのだろうか、と疑問を持たなかったのだろう。


がらがらなのには、やはり理由があるんだなぁと

納得がいった。



このふくしま先生?はまず先に自分を治してから、

そして、カウンセリングの基礎の習得に努めたほうが

いいように思われる。


子どもたちのカウンセリング業務は、

一応オレの仕事の範疇なので、

人の話を聞かないとか、

一方的にしゃべりまくるとか、

劣等感のかたまりである自分をさらけだすとかは、

とりあえず、仕事にならないと思う。



まずは、ゆっくり静養し(金はもってるやろ?)

臨床心理などの勉強をしてから、

この仕事をやりたいならやればいいだろう。


ある程度、年齢を経たものが腹をくくらずに、

仕事を投げ出したいだなんて、

金のあるものしかいえない。


なんて恵まれた人なんだろう。

早くクリニックをたたんで、口にしていたタヒチにでも

逃げればいいだろう。



そういや、仕事の報酬は仕事なんで、

途中で投げ出したり、中途半端はいやなんですよね。


なんていったこともあったが、切れる切れる、

誰がいったんやむかっとすごい口調。


いや確か、ソニーの井深さんがそんなことを

おっしゃっていたと思います、といったらまた切れる。


そんでもって、知り合いだとなぜか自慢する。

そこになんの意味があるのか、いまだもってよく分からない。

カウンセリングというものは、少なくともこんな作業ではないはずだ。


オレが、ヘエー、凄いですね。

なんてよいしょ、しないといけなかった。

だいたいいっつもこんな調子でお金を払って、

オレがカウンセリング。



この人、なんか焼き切れかけてるので

診ている方がつらい。



それにしても、治す気がない医師なんて、素晴らしすぎる。

オレは、なかなか面白い人物を一年以上にわたり、

観察し続けたものである。


何事も継続が重要なのである。


最後に本音を聞けたのだから、

ジャーナリストとしてもなかなかの腕前ではないかと

インタビュアーの気持ちになって自画自賛したり。



とりあえず、オレの方が疲れまくりで、

文章ぐだぐだで今日も終える。