連載小説:片翼の羽根【第一部第1章】⑤ | Shionの日々詩音

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「子供たちはやっぱり、国の中心、ラメクのいるあの要塞に送られるみたいです」
 
ワインのカップを空け、しばらくの歓談の後、カイザーは本題に入った。普段、表情があまり変わらないカイザーは、今はどこか諦めたような悲しげな表情をしている。この顔は心のうちの憤怒を隠し、努めて冷静を装っている時の顔だ、と、国がこんな状態になる以前からの付き合いであるアルノルトにはわかっていた。
 
「第三の塔、て呼ばれてる、あそこか」
 
マインラートは誰にともなく口に出す。
 
第三の塔とは、ラメクが政権を握った時に国の首都に建てられた、ラメク政権の象徴とも言われる巨大な塔である。周囲には無数の有刺鉄線が敷かれ、13階からなるその塔を囲っている。その有刺鉄線の内外にはノエル配下の親衛隊が常に目を光らせており、無断で入ろうとする者がいれば翌日には公開処刑の対象とされてしまう。逃げようとすればその場で問答無用の銃殺刑が待っている。
現在のこの国の中枢、ラメクの牙城。それはまさしくラメク政権の総本山だった。
 
「3ヶ月に一回、大型のバスが何台か出入りしてます。多分、そこに集められた子供たちが乗せられてるんじゃないでしょうか」
 
イェンチもその顔に微かな怒りを滲ませながらカイザーの情報に付け足す。場は沈黙した。
 
「アンケ、クラウス、ロルフ…、一応聞くけど、何か知ってること、あるか」
 
アルノルトはやや躊躇いがちに3人に問うた。
この3人は、両親をラメクにより殺された被害者たちで、その子供たちと極めて近い立場にいる。3人がどのようにしてここに行き着いたかは、もう何度となく聞いてはいたが、今手に入った新しい情報と照合しておく必要があった。
勿論アルノルト自身、彼らがそんなことを思い出したくもないことも、今更口に出したくもないことも理解はしている。故にその口調は、自然と歯切れが悪くなった。
 
「残念だけど、何もない」
 
クラウスが普段より更に厳しい表情で、話を叩き斬るかのように言い放った。その声色に、アルノルトは目を伏せ、小さく悪い、と呟いた。
 
「まぁ、みんな知ってると思うけど、俺たちは親が殺された時、その日のうちに、って言うより、捕まる親を見捨てる形で家を出たんだ。なんとなくそうなる気はしてた。うちの親は、ちょっと、派手にやり過ぎてたから」
 
ロルフは押し黙ったクラウスをフォローするかのように、やはりもう何度目かになるかわからない話をした。眉尻を下げたその表情は、場の空気を和ませるために作られたものなのか、それとも当時のことを思い出してしまったが故なのか。
 
「有り金全部持って2人で住んでた街を出て、点々と。アルノルトたちの噂を聞いてここまで来たのは、半年くらい経ってからだったかなぁ。ちゃんとは覚えてないけどね。こいつは最初全然行きたがらなくて、まったく信用しようともしなくてね。引っ張ってくるの大変だったんですよ」
 
最後の方は、ロルフなりのアルノルトたちへの気遣いなのだろう。おどけたように少し早口でまくし立てた。ロルフにはこういった、人に気を遣い過ぎるところがある。相手の心持ちに関係なく、自分の言いたいことを真っ直ぐに投げかけてくるクラウスとは、その点ではまったく似ていなかった。
 
「それは、お前の説明が下手なんなんだよ。胡散臭い噂話だとしか俺は思ってなか-」
 
クラウスの言葉をジギスムントは手を叩いて制す。
 
「まぁまぁ、わかったよ仲良し兄弟。つまり2人は、バスのことも、子供たちがどうなるかも知らないんだよね」
「だから何度も言った通りだ。俺たちは結局奴らには一度も捕まってはいない。子供たちが捕まってどうなるかも、その後どんな風にあそこに送られるかも知らない」
 
クラウスは再び厳しい表情に戻ったが、ロルフとのやり取りがあったためか、先ほどよりは幾分柔らかい表情になっていた。アルノルトは胸を撫で下ろし、周囲にわからない程度にロルフに目配せで礼をした。
 
「アンケは、確か…」
 
ジギスムントはアンケの方に話を振る。アンケの話ももう何度も聞いてはいたが、今回の件に繋がる話を聞けそうなのは、もうここにいる者の中ではアンケくらいだった。
 
「私、ですか…」
 
普段は呑気なアンケも、この話題になるとさすがに口が重くなる。しばらく下を向いて、ぽつりぽつりと語り始めた。
 
「うーん、まぁ、みんなにはもう話した話ではあるんですけど、私は、お父さんとお母さんが連れて行かれた後、何もする気が起きなくなって、家でぼーっと。本当にどうしたら良いかわからなくて、ただぼーっとしてたんです」
 
アンケは、テスマー兄弟より更に後、この国においてラメクの政権が完全に成立し、国全体が今の状況に落ち着いてしばらく経った頃にここへやって来た。年長組のメンバーの中では、一番最後にこの場所に来たということになる。
テスマー兄弟の両親は政権樹立からまだ間もない頃、ラメク政権への反対デモに参加していたことで処罰の対象になったが、アンケの両親にはそういった活動は一切見られなかった。むしろ、災害後のこの国に数少なく残った資産家として、積極的にラメクの新政権に協力体制を取っていたと言っていい。そんな彼らも、たった一度、たった一つの事業で損失を被ったこと。そしてそれが国全体の財政に決して小さくはない穴を開けてしまったことで、アッサリと処罰の対象にされてしまった。
 
家に残された子供たちはどうなるだろうか。誰もがクラウスやロルフのように危険を察知できるわけではない。仮に逃げたとしても、そこからどうやって暮らしていけば良いと言うのか。
アンケはそれまで、何不自由なく暮らしてきた。国全体を襲った災害の中でも、被害が比較的少なかった者たちもいた。アンケの一家はその幸運な数少ない生き残りだった。災害以前から彼らが所有していた財産も、そのまま残っていた。勿論国全体が荒れ果ててしまったあの惨状の中では、彼女ら一家にも少なからず影響はあったが、それでもあの災害によって家族や家を失った者たちに比べれば、それは微々たる不便でしかなかったのだ。
幸福を享受することは決して恥ずべきことではない。幸福な立場から、他者の不幸を真の意味で理解できる者など、結局のところ存在しない。1人取り残された時初めて、アンケは自分一人では何もできない現実を思い知らされた。
 
「そうしてしばらく、何日かはわからないです。長くも、短くも感じたので。しばらく経った時、親衛隊が家に入ってきました。呼び鈴も何も押さないですよ。扉を蹴破って、私の部屋まで来て…殺されちゃうんだな、て思いました」
 
しかし、アンケが両親のように公開処刑に架けられることはなかった。代わりに彼女が連れていかれたのは、同じような子供たちが集まる収容所だった。もともとギムナジウムとして使われていた建物に、おそらくアンケの住んでいた地区で同じように両親を失った子供たちが何人も集められていた。
 
「私みたいに、親を殺された子ばかりじゃなかったかも知れません。災害の被災者の子たちも何人かいたと思います。ちょっと、ここと似てますよ。でも、もっとずっと、とっても…寒かったです」
 
そこで子供たちに行われたものは、教育とは名ばかりの洗脳だった。子供たちはラメク政権の在り方を、ラメクの存在を、まるで神のように教え込まれた。
 
「何ヶ月かに一度、何人かの子たちが集められる日がありました。成績が優秀な子たちと、ダメな子たち。そして、その子たちは二度と帰って来ないんです。私も、呼ばれる、て思いました。私、ダメな方側だったので」
 
その日が来る前に、アンケは逃げ出した。一瞬の隙をつき、ギムナジウムを飛び出してひたすらに走った。足に自信があったわけでもない。逃げられると確信していたわけでもない。それでも、その時目の前にあった一瞬の隙に、半ば衝動的に走り出していたのだ。そんな彼女をたまたま街に来ていたマインラートとエイヒムが見つけたのは、ただただ幸運だったとしか言いようがない。
 
「それで、皆さんが受け入れてくれたので、私はここで生きていられるんです。本当にそれしか知らないので…参考になる話かどうか」
 
アンケにしては珍しく、申し訳なさそうに顔を下に向けた。今までに何度も聞いた話だ。ここにいる者がどのようにこの生活を選ばざるをえなくなったかは、みんながそれぞれに知り及んでいた。
 
「謝るのはこっちだ。話しにくいことを何度も…悪かった」
 
アルノルトは頭を下げた。
誰だって今の生活を選びたくて選んだわけではない。どんなに取り繕ったところで、彼らが何かを失ってきたことは間違いないのだ。そんな話をほじくり返して、気分の良い者がいるはずはなかった。
 
「でも、なんとなく見えてきたかも」
 
ジギスムントが小さく呟くと、全員の視線がそこに集中した。ジギスムントはずれてもいない眼鏡を上げる動作をしながら、言葉を続ける。
 
「アンケがダメな方ってのは何となく納得なんだけど」
 
ジギスムントは空気を変えるつもりで冗談めかした言い方をしたが、エイヒムやテルマが曖昧に笑うだけだった。軽く咳払いをして、ジギスムントは話を続けた。
 
「うん、ごめん。とにかくそこで行われる授業とかって言うのは、学習のためのものじゃあないんだろう。つまりラメクにとって有用に活用できる人間かって言うのを測るためのものだと思う。ラメク政権は言っても人材が多いとは言えない。実質力があるのはラメクとノエルだけだ。国の人間だって積極的にラメクに賛同してるわけじゃない。怖いだけだ。多分、うん、そうだと思いたい」
 
この国で、綱渡りながら少年たちがこの三年の間この場所で生き長らえてきたのもそれがあるからだろう。ラメク政権には、政権として政治を行うに足るだけの人材は未だ存在していない。そこにまで参入していく人間は、国民の中からはなかなか現れていないのが現状なのだ。
 
「アンケの言った成績優良者の子供たちって言うのは、そこの補填に充てられるんじゃないかな。ノエルの親衛隊だって、元々の数で言ったら国一つを治めるには人数が足らなすぎる。だからこそノエルがあれだけ力を持ったんだろうけどね。奴らがこの国を完全に治めるためには、ある程度の人数は揃える必要がある」
 
「ただ無作為に処刑を行なっているわけではない、と」
 
カイザーが口を挟む。ジギスムントは頷いた。
 
「勿論恐怖政治をより強める意味もあるだろうね。でも、遺された子供たちを集めることにも、意味があるんじゃないかと思う。孤独と恐怖は、操りやすくなる。今のこの国の連中と一緒だよ」
 
持論を展開しつつも、ジギスムントの視線は度々アンケやテスマー兄弟に向けられていた。もしもそれがこの国で行われる公開処刑の真実なのだとしたら、彼らにとってこれほど残酷なことはない。しかしそれでも、まずはこの話を一度結論へと着地させねばならない。
 
「そして、成績が著しく悪い人間、ラメクへの反抗心が強い人間は、また別の目的で送られるんじゃないかと思う。もっと徹底的に、ラメクへの反発心をなくす。監禁して…洗脳する。人民の塔に送られてるのは、そういう子たち、なんだろう」
 
「…洗脳じゃ、済まないかも知れないぞ」
 
しばらくの無言の後、クラウスは言った。
 
「送られるのは、要は洗脳が効かなかった子たちだ。ただの洗脳でどうにかなるとも思えない。歳が上がってけば尚更だ。もっと…非人道的な何かが行われてる可能性の方が高いんじゃないか」
「脳を弄り倒してるのかも知れない」
 
ガイの言葉に、アンケはぶるっと体を大きく震わせた。
 
「昔そんなん、映画で観たな…」
 
マインラートは呟き、エイヒムと顔を見合わせた。場は完全に沈黙した。
 
「…そんなこと許されて良いはずがないだろう」
 
アルノルトは呻くように呟いた。
 
「そんな風にして子供たちを兵士に…いつの時代だよ。みんなあのノエルみたいになるって言うのか。あの親衛隊の中には俺たちと変わらない奴らが混ざってるって言うのか。そんなの、許されていいわけないだろ。ここにいる奴らだって…そうなってたかも知れないんだ…っ」
 
この国は歪んだ。少年たちはそう思っていた。今のジギスムントの推論が正しいとしたら、それはこの国の歪みの最たるものだと言えた。
大人たちは自然に洗脳され、その頭で子供たちを育てている。そしてそうでない子供たちは、強制的にそうされる。それが、人間としての自然な在り方だろうか。人間らしく、平和に生きていると言えるだろうか。
 
「今、ここにいる子たちの方が…よっぽど、人間らしいですよ…」
 
スラム街の粗末な小屋で、まともな教育も受けることなく、身を寄せ合って生きている子供たち。そんな子供たちの方が人間らしいと感じてしまう世の中。そして、この国では、それこそが平和だと信じられている。
やり切れない気持ちで、イェンチはテルマの手を握った。優しいこの少年には、例えどんな厳しい現実の中で生きてきたとしても、それを容認することなどできようはずもなかった。そしてここにいる誰もが、同じように感じている。アルノルトは唇を血が滲むまで噛み締め、口を開いた。
 
「助ける…救い出すんだ。その子供たちを。ここにいる奴らみたいに。ラメクの思い通りになんて、させない」
 
to be continued...