シューマンのオーケストレーションは下手だというのが、昔の定説の
ようであった。それを真に受けて、あまり交響曲など聴こうとしなかった。
ただ、例外的にどういう訳か、第4番だけはフルトヴェングラーの演奏を
ラジオでよく聞いていたけれども。
さて、レコードは4番ではなくて、「春」と「ライン」がカップリングの盤
(セル/クリーヴランド管)が最初で、当時はステレオ装置も安物だった
から、オーケストラの音がどうのこうの、ということは気にしなかった。
今、改めてその盤で「春」をかけてみると、ふっくらとした柔らか味と厚み
のある音に気が付く。 中・低音と言うのか、部厚さのある響きと、高音の
旋律に対する伴奏部の細かい動きが意外に多いことも。
セルの演奏は、主旋律の楽器を際立って浮き立たせるなどはしていない。
だから、これがシューマンの音だ!・・・と分かる(気がする)のだ。
折りしも、一昨日は黄砂の影響で、普段ははっきり見える山も霞んでいた。
桜の花も遠景とやや混然となった感じで見えていた。
シューマンの音もこれに例えられようか。 こう言えば、ブラームス的かと
も思うが、ブラームスはもっと複雑だよね。
セルの演奏は、テンポにしても表情にしても、極めて自然体という感じが
する。
これがバーンスタインだと、例えば第1楽章冒頭のラッパとティンパニの
トレモロなんか、実に入念に表情豊かにやっている
或いは、主題に入るところでの爆発的なクレッシェンド。 序奏と主題の
テンポの大きな差・・・・。
誤解があるといけないから補足しておきたいが、バーンスタインは
「シューマンのスコアに手を加えるべきでない」と常に主張しているそうで、
ここで私が書いたのは表情の付け方を言ったまでです。
それは正にバーンスタイン節であって、好き嫌いは別として、それはすば
らしい。 私は好きだな。
今回はセルで聴いた。これがシューマンの音だと実感出来た。
そして、当たり前だが、実に整然とした演奏だ。
曲として印象的なのは、第2楽章の終わり方が一寸ユニーク。
「春の日没」と言ってよいかな?
後で、解説を見ると、元々シューマンは各楽章に標題を付けていたそうで、
第2楽章は「たそがれ」だったと。
ホホー、自分の感もまんざらでない、とほくそえんだが、よーく考えたら
偉いのは「たそがれ」を表現したシューマンだよね、ハハハ。
第3楽章の終りも独特だな。 そして、第4楽章「春たけなわ」に続く。
確かに、花見の宴で、酒を飲んでいい気分に浮かれている様子が思い
浮かぶよ。
本当に、春らしい明るさと精気に満ちた傑作です。