凡庸な成果を定義しない | 渋谷ではたらく広告思想と技術革新

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サイバーエージェントの内藤のブログです。



ネットを中心に広告業界で起こっている広告の工学的・社会デザイン的(技術革新)な変化と広告の理論的・理念的(広告思想)な変化の2層構造の関係や

会社のことなど、日々考えていることを少しアウトプットしていきます。

目標設定の時期なので。



今期の目標設定は


4-6月の成果を定義する、ということに


フォーカスして行っている。



ここで注意していることは、


凡庸な成果を定義しない


ということだ。



先週の社員総会で


自分の部門からは受賞者が1人も出せなかった。



これは当然だけど、


自分の部門の人間の責任ではなく、


突出した成果を定義できなかった


自分の責任だ。



成果の定義が全てを決める。



評価される成果とは、


頑張った、頑張らない、という


感情的な概念とは遠くになる、


相対的な競争環境の中にあるもので、


みんなが頑張っている中で、

※社内、社外問わず


突出した結果が出せたか、


ということだ。



みんなが頑張ってる中で


みんなと同じような成果しか出せなかった、


ということでは、


評価される成果にはならない。



なので、成果を定義する人間には、


外部環境を理解し、


競争環境の中で、


突出しているであろうレベルの


成果を見極め、定義する責任がある。



ここがズレると、


個人が頑張り、


目標を達成しても


相対的には凡庸な結果で終わっている、


という現実が待っている。



自分含め、


他人の目標を設定する人間は、


凡庸な成果を定義していないか、


十分に考慮する必要がある。



凡庸ではない成果を出し続けてこそ、


マーケットで勝てるのであり、


個人として評価され続けるのである。



凡庸であるか、ないかは


個人が定義するものではなく、


マーケットが相対的に決めるものであり、


ここの見極めをすることが、


目標設定のクライマックスだ。



凡庸な成果を定義しない。


今期の目標設定は


今まで以上に気をつけたい。