バカが多いのには理由がある!!??  [橘玲の日々刻々] | 東京リーシングと土地活用戦記

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橘玲(たちばなあきら)さんの新刊「バカが多いのには理由がある」が届いた。

kakujin

今日発売の橘玲さんの新刊「バカが多いのには理由がある」(橘玲/著、集英社/刊)が届いた。

バカが多いのには理由がある
著者橘 玲
価格¥ 1,512(2014/07/10 15:55時点)
出版日2014/06/26
商品ランキング23位
単行本(ソフトカバー)240ページ
ISBN-104087807282
ISBN-139784087807288
出版社集英社
ネットのコラムで読んだ内容もちらほらある。でも、それでいい、いい。なにより紙の本が好きだからしょうがない。

パラパラとページを捲(めく)ってみて、プロローグがやけに長いことに気付く。なんと、58ページもあるのか、ははは。この長文書き下ろしが読めるだけでも満足できそうですよ。さて、仕事の都合で書評は明日以降に。

それまで、関連する過去記事でもどうぞ。

6/29 追記:書評書きました、こちら。
「バカが多いのには理由がある」を読むとわかる!?あなたも、わたしもみんなバカという不愉快な現実

1円で本を買う。大量に読みたいけど、お金も時間もない人のための読書術

橘玲さんの、過去の本を購入したときの記事。

1円で本を買う。大量に読みたいけど、お金も時間もない人のための読書術

知的読書時間のススメ!橘玲(たちばなあきら)の本は、とりあえずこの4冊を抑えておこう!

今年5月の新刊「臆病者のための億万長者入門 」(橘玲/著、文春新書/刊)発売にあわせて、過去の著作を紹介した記事。

そのうちの「不愉快なことに理由がある」は、今月の新刊「バカが多いのには理由がある」と似たタイトルですよね。まったくそのとおりで、内容は社会評論がメインだから、どちらか気に入ったらもう片方も読んでみるといい。

知的読書時間のススメ!橘玲(たちばなあきら)の本は、とりあえずこの4冊を抑えておこう!

「誰でも億万長者になれる」という残酷な世界を教えてくれる橘玲(たちばなあきら)の本

今年5月に発売された、橘玲さんの新刊「臆病者のための億万長者入門」(橘玲/著、文藝春秋/刊)の書籍レビューだ。少し引用しよう。

久しぶりの橘玲(たちばなあきら)さんの新刊で興奮しながら読み進めた。付箋をつけながら何度も読み返した。「億万長者入門」とあるけど、最初は世間一般との平均年収あたりの前提条件が違い過ぎて絶望。読み終えたときには少し明るい未来も見えた(ような気がした)。ぼくにできることは、とにかく長く働くこと、そして騙されないよう賢くあること、金融資産を運用で殖やしていくこと、しかない。

収入を増やす手段は人的投資をすることだ。ぼくの場合、これはとにかくたくさんの本を読むということをしている。そして、もうひとつはブログ運営による副収入を得ること。

ここのスポンサーリンク経由で本を購入していただいた方には、ほんとうに頭の下がる思いだ。

別に作家になりたいわけじゃない。こうした取り組みは投資と同じで、ぼくの未来に対する保険でもあるし、人生へ新しい価値をもたらすものでもある。

”「悠々自適」は魅力を失い、長く働く(社会に参画する)ことが人生の新しい価値になるのなら、投資の果実を収穫するのはずっと先でいい。”


バカが多いのには理由がある
[橘玲の日々刻々]
最新刊、『バカが多いのには理由がある』から「はじめに」を掲載します。

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 ずいぶん昔の話ですが、仕事の企画で民放テレビのディレクターに会いにいったことがあります。彼は30代後半で、視聴率の高いワイドショーを担当し、業界ではやり手として知られていました。

「僕の話なんか聞いたって仕方ないですよ」

 開口一番、彼はそういいました。

昼間っからテレビを見ている視聴者って、どういうひとかわかりますか? まともな人間は仕事をしているからテレビの前になんかいません。暇な主婦とか、やることのない老人とか、失業者とか、要するに真っ当じゃないひとたちが僕らのお客さんなんです。彼らをひとことでいうと、バカです。僕らはバカを喜ばせるためにくだらない番組を毎日つくっているんですよ。あなたの役に立つ話ができるわけないでしょ」

 彼はテレビ局のエリート社員ですから、この偽悪ぶった言い方がどこまで本音かはわかりません。私が驚いたのは、その言葉の背後にある底知れぬニヒリズムです。

 彼によれば世の中の人間の大半はバカで、1000万人単位の視聴者を相手にするテレビ(マスコミ)の役割はバカに娯楽を提供することです。その一方で、テレビは影響力が大きすぎるので失敗が許されません。そこでテレビ局はジャーナリズムを放棄し、新聞や週刊誌のゴシップ記事をネタ元にして、お笑い芸人やアイドルなどを使って面白おかしく仕立てることに専念します。これだと後で批判されても自分たちに直接の責任はないわけですから、番組内でアナウンサーに謝らせればすむのです。

「バカだって暇つぶしをする権利はあるでしょ」彼はいいました。「それに、スポンサーはバカからお金を巻き上げないとビジネスになりません
しね」

 いまではこうしたニヒリズムがメディア全体を覆ってしまったようです。嫌韓・反中の記事ばかりが溢れるのは、それが正しいと思っているのではなく、売れるからです。ライバルが過激な見出しをつければ、それに対抗してより過激な記事をつくらなければなりません。

近代の啓蒙主義者は、「バカは教育によって治るはずだ」と考えました。しかし問題は、どれほど教育してもバカは減らない、ということにあります。

 だとしたらそこには、なにか根源的な理由があるはず
です。

『バカが多いのには理由がある』(集英社刊)


<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)などがある。


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バカと利口の違いはどこにあるのか?
[橘玲の日々刻々]
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 机の上に、さまざまな表情をしたひとの写真が置かれています。私たちはそれを見た瞬間、「怒っている」「笑っている」「悲しんでいる」とその感情をいい表わすことができます。

 文化人類学者は、顔写真から感情を推測するこの実験を、南太平洋やアマゾンの奥地など文明社会と接触のなかったひとたちにも行ないました。すると彼らは、これまで見たことのない白人や黒人の感情を写真だけで私たちと同じように正確にいい当てたのです。

 私たちは相手の感情を「直感」で判断しています。直感の特徴は、脳に情報(表情)がインプットされた瞬間に回答(相手の感情)がアウトプットされることです。

 顔写真の実験は、直感が文化(経験)によってつくられるのではなく生得的なものであることを明らかにしました。それはヒトの脳(コンピュータ)にあらかじめ組み込まれたOS(オペレーティングシステム)です。ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の創始者ダニエル・カーネマンは、これを「速い思考」と名づけました。


 それでは次に、暗算をやってみてください。

17×24=?

 正解は408ですが、珠算の経験のあるひとでなければかなり苦労するでしょう。

 暗算をしているときの生理的な変化を調べると、筋肉が硬直し、血圧や心拍数が上がるこことがわかっています。これは心理的にも生理的にも負荷が高い不快な状態です。

すぐに答の出る「速い思考」はわかりやすくて快適です(負荷が低い)。しかし私たちは、おうおうにして直感では解くことのできない問題に遭遇します。二桁の掛け算を暗算するには負荷の高い「遅い思考」が必要とされるのです。

橘玲
この項目では、経済小説作家について説明しています。氷川へきるの漫画作品「ぱにぽに」の登場人物については「ぱにぽにの登場人物」をご覧ください。
橘 玲(たちばな あきら、男性。1959年 - )は、日本の経済小説作家。本名は非公開。早稲田大学第一文学部卒業。元・宝島社の編集者。日本経済新聞で連載を持っていた。海外投資を楽しむ会創設メンバーの一人。2006年「永遠の旅行者」が第19回山本周五郎賞候補となる。



立花隆
立花 隆
(たちばな たかし)

誕生 橘 隆志
(たちばな たかし)

1940年(昭和15年)5月28日
日本長崎県長崎市
職業 ジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家
国籍 日本
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立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家。

1940年 長崎県長崎市に生まれる。父は長崎の女学校教師で後に編集者を務め、母は羽仁もと子の信奉者で、クリスチャンの家庭。戦前の右翼思想家・橘孝三郎は、父方のいとこに当たる。
1942年(昭和17年) 父が文部省職員として北京の師範学校副校長となったため、一家で中華民国へ渡る。
1946年、引揚げで日本へ戻り、一時母方の茨城郡那珂西に住み、のちに父の郷里茨城県水戸市に移る。
茨城師範学校(茨城大学)付属小学校、中学校を経て、1956年(昭和31年)に水戸一高、千葉県に移ったため東京都立上野高等学校への転入を経る。小学校時代から読書に熱中し、自らの読書遍歴を記した文章を残している[1]。また、中学時代は陸上競技にも熱中。俳優の梅宮辰夫・モータージャーナリストの徳大寺有恒は中学時代の先輩であり、三人とも陸上競技選手だった。
1959年(昭和34年) 理系志望であったが色弱のために断念し、東京大学文科二類へ入学。在学中は小説や詩も書き、イギリスで開かれた反核会議にも参加。卒業論文はフランスの哲学者メーヌ・ド・ビラン。
1964年 文学部仏文科を卒業し、文藝春秋に入社し、「週刊文春」に配属される。直属の上司に堤尭がいた。先輩記者の導きで、文学青年時代から一転ノンフィクションを濫読して多大な影響を受けるが、もっともやりたくない仕事であるプロ野球の取材をさせられたことから、2年後に退職を決意。
1967年(昭和42年) 東京大学文学部哲学科に学士入学するが、翌68年に東大紛争が勃発し大学が休校となる。休校中に文春時代の仲間の誘いで文筆活動に入り、フリーライターとして活動を開始する。創刊時の雑誌『諸君!』に「生物学革命」、「宇宙船地球号」、「石油」などをテーマとしてノンフィクションや評論を書く。
1968年 「立花隆」のペンネームで文藝春秋増刊号「素手でのし上がった男たち」を発表。『諸君!』の初代編集長田中健五(のちの文藝春秋編集長)との交友が後の「角栄研究」に繋がる。
1969年 この前後の時期に「文藝春秋」や「週刊文春」に「60年安保英雄の栄光と悲惨」、「東大ゲバルト壁語録」、「この果てしなき断絶」、「実像・山本義隆と秋田明大」などを発表[2]。
1970年 東大紛争中(休校期間)の学費支払いを巡り大学事務と衝突。東京大学哲学科を中退。新宿でバー『ガルガンチュア立花』を経営し自らバーテンも務める。(中東出発で閉店)
1972年 講談社の川鍋孝文(のちの週刊現代編集長)の紹介でイスラエル政府の招待をうけ2週間イスラエルに滞在。招待期間終了後は自費で中東各地、地中海・エーゲ海を中心としたヨーロッパ諸国を放浪する。放浪期間中に偶然テルアビブ事件が発生。東大紛争以後中断していたジャーナリスト活動を現地で再開した。
1974年(昭和49年) 『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表。大きな反響を呼び、田中退陣のきっかけを作ったとされる。文藝春秋は角栄批判から手を引くが(その為単行本は講談社で出された)、その後も発表場所を変え、折に触れて田中金脈問題を取り上げ、ロッキード事件で田中が逮捕された後は東京地裁での同事件の公判を欠かさず傍聴し、一審判決まで『朝日ジャーナル』誌に傍聴記を連載した。また同誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、俵孝太郎、渡部昇一ら田中角栄擁護論者を「イカサマ論法にして無知」と非難した。なお渡部は後年には、立花のことを高く評価するコラムを雑誌に発表している。朝日ジャーナルでの担当者は筑紫哲也。以後しばしば筑紫の番組に出演するなど公私ともに親交があった。
1976年(昭和51年)には『文藝春秋』に『日本共産党の研究』を連載。これに対して党側が組織的な反立花キャンペーンを展開して反論し、大論争に発展する。また、「総合商社」、「農協」、「中核・革マル」、脳死問題など巨大な権力、組織の究明を行う。
『諸君!』時代に書いていたサイエンス関係のテーマにも手を広げ、1981年には『中央公論』に「宇宙からの帰還」を発表。平凡社『アニマ』に連載された「サル学の現在」、ノーベル賞受賞者利根川進との対談『精神と物質』、『科学朝日』に連載された「サイエンス・ナウ」「電脳進化論」「脳を究める」、などのテーマを手がける。また、NHKやTBSなどにおいてドキュメンタリー番組制作にも携わり、連動した臨死体験などの著作もある。これらにより、1983年に菊池寛賞、1998年に司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。
1984年「田中角栄と私の9年間」で第45回文藝春秋読者賞受賞。
1995年アニメ映画「耳をすませば」で主人公の父親役を演じた。東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。
1996年 - 1998年には、東京大学教養学部で「立花ゼミ」を主催。ゼミは2005年に再開され、現在も続いている。
この時期にも、『画家香月泰男』関連など様々な形でNHKなど放送メディアに出演した。
2002年 12月25日に大きな大腸ポリープがS字結腸に発見され切除するが、癌化を疑い自らを被写体として健康状態の患者からポリープが発見され切除、がんかどうかの病理検査、診断、告知までのドキュメンタリー番組の制作をNHKに提案。NHK側も同意して撮影開始。このとき、約束をしながら果たしていない約束が7つほどあることが判明。簡単には死ねないと感じる。いちばんの大仕事は1998年から連載していた『わたしの東大論』を本にする仕事であった。1999年頃には長年連れそった前妻が末期がんに侵され、彼女の依願で病院に同行を繰り返したりするが、1年間の闘病の末2000年に死去。この頃よりがんへの関心を深める。
2005年 東京大学大学院総合文化研究科特任教授に就任。
2007年 東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学大学院特任教授に就任。同年12月に膀胱癌の手術を受け、『文藝春秋』(2008年4月号)に手記「僕はがんを手術した」を発表。
2009年11月27日、鳩山由紀夫内閣の事業仕分けで大型研究プロジェクトに交付される特別教育研究経費が予算要求の縮減と判定されたのを受けて全国各地の国立研究所長らと共に東京大学で記者会見を開き、「民主党は日本をつぶす気か」と仕分け結果を非難した。「資源小国の日本は科学技術による付加価値で生きていくしかない」と指摘した上で、「目の前で起きている出来事を見て怒りに震えている」と話した。作業風景の印象について「訳のわからない人たちが訳のわからないことを論じている」と評し、仕分け人を「バーバリアン(野蛮人)」と形容した[3]。ドキュメンタリー番組『旧友再会」(NHK)に梅宮辰夫と出演し、かつての住まい茨城県水戸市を訪問。
人物[編集]
幼少期より一貫して人の生と死の問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。そのため、他人の目には一見すると結びつかないような多方面のことをテーマに考え、書いてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」[4]。
臨死体験、脳死、異常性格者、超能力などにも科学的な視点から論じることも多く、一部ではオカルト主義者との評価も生まれた。
猫好きで、東京都文京区小石川に「猫ビル」(巨大な猫の顔が壁に描かれている)の別名で呼ばれる地上三階地下一階建の事務所兼書庫を保有。数万冊にも上る蔵書を抱える。地下にはワインセラーを設置しており、無類のワイン好きである。猫ビルについては、妹尾河童が「ぼくはこんな本を読んできた」で図解で紹介している。
兄は朝日新聞社監査役を務めた橘弘道(たちばな ひろみち、1938年 - )。
KEKへの取材を続けている[5]。
エピソード[編集]
「週刊文春」の記者時代、プロ野球にだけは全く興味が無いため、その関係の仕事だけはさせないでほしいと宣言したが、「あの野郎は生意気だ」ということで、見せしめにプロ野球の取材を1週間させられたことから、退社する決意を固めた。自分がやりたくもないことを上司の命令というだけでやらねばならない事実に我慢ができなかった。現在もプロ野球には一切関心はなく「なぜあんなものに多くの人が夢中になれるのか全く理解できない」と自著に記している。
漫画家赤塚不二夫と「週刊プレイボーイ」で対談したが、初対面ながら共に、満州から引き揚げ出身でもあり意気投合している。立花自身それなりに面白い体験だったと自著に記している[6]。
批判[編集]
科学関連の仕事は、一部で文系と理系のクロスオーバーとして評価されている。だが他方では、その内容に誤りや誤解を招く表現があるという指摘がある。2000年以降、サイエンス分野を中心とした立花批判があった。これは立花の著述には、他人を見下すような姿勢や、本人の科学理解の水準が低いにも関わらず断定口調が目立つことが反感を買ったためだと推測される。また、自身が興味を持った事象については徹底的に調べて評論を行うのに、興味を失ったことに対しては我関せずという姿勢も見受けられ、彼の著作は結局は自己満足でしかないという批判もある[7]。
女性蔑視の発言がまれにあると一部で指摘された。例えば講談社から出版された「文明の逆説―危機の時代の人間研究」において、立花は「だいたい女は男にくらべて脳細胞の数が少ないせいか(中略)浅はかさと愚かしさをもってその身上とし」「多淫な女、複数の男性を望む女は例外なく冷感症、不感症」「女性が真に解放されたいと望むなら、早くオルガスムスを味わわせてくれる男を見つけることだ」などと記述した。これらの記述を、右派の評論家日垣隆は「男根主義」と皮肉った[8]。
立花が書く人物評には感情に流されやすい傾向や中傷めいた記述が目立つとの指摘があり、あやしげな話を持ち出しては名誉毀損で訴えられ敗訴というケースも多々見られたという[9]。
ライブドア前社長堀江貴文は、「堀江被告の保釈・幕引きで闇に消えたライブドア事件」(2006年5月10日)の記事で暴力団と関係があるように書かれたとして、立花と「日経BPネット」を運営する日経BP社を相手取って5000万円の損害賠償請求訴訟を起こした[10]。2008年10月3日、東京地裁は、「記事の内容は真実と認められない」として、立花らに200万円の支払いを命じた[11]。
2007年2月21日付の「日経BPネット」に、「政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題」として、「安倍首相は紙オムツを常用せざるをえない状態」「安倍一族は短命の家系。一族の墓誌を丹念に調べた人の報告によると、40代50代で死んでいる人が沢山」などと記述し、 「J-CASTニュース」は、それに対する安倍事務所の怒りの声と、ネット掲示板2ちゃんねる上の立花批判の書き込みを取り上げている[12]。
自民党の鳩山邦夫の元秘書であったジャーナリスト上杉隆は、具体例として小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題を挙げ、立花が検察や小沢や民主党など事件当事者への取材を一切行わず、新聞・テレビの報道や過去の経験を基に憶測で記事を書いている点、さらには10年以上永田町で取材を行っていない点などを指摘し、立花の記事の杜撰さを批判した。
教育・執筆・講演活動[編集]
2010年2月現在、東京大学大学院情報学環特任教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員も務める。
文系や理系などの垣根を乗り越え、学問の総合・融合・全体像という俯瞰的な視点から、その時代の最先端科学の現場へ足を運んで取材し、一般市民が理解できるように配慮した執筆・出版・ネット発信活動を行ってきた。これまでの科学系の著書のほとんどは、その時代の最先端科学を伝える内容である。
宇宙飛行士の野口聡一は高校3年生のときに立花の著書「宇宙からの帰還」を読み、宇宙飛行士になる決心をした[13]。2005年12月、野口・立花の対談が実現[14]。
2007年に膀胱癌が見つかってから、癌をテーマにした執筆・講演活動が増えた。


[読書備忘録] 橘玲「バカが多いのには理由がある」(1)
    集英社 2014年6月
 
 きわもののような本かと思ったのだけれど、いろいろと教えられることが多かった。
 著者の立場は、構造改革派あるいはグローバル・スタンダード派に近いもののように思われるが、自分はこう思うけれども、そのような言説を唱えたとしても世論が変わることが期待できるはずもないことはよくわかっているというスタンスのように思われる。どこかの政治勢力に加わって自分の主張を少しでも実現していくといった現実政治とのかかわりへの志向にはいたって乏しい冷めたひとのように思われる。

 さて、著者はいう。「近代の啓蒙主義者は、「バカは教育によって治るはずだ」と考えました。しかし、問題は、どれほど教育してもバカは減らない、ということにあります。」
 わたくしは自分を啓蒙主義者だと思っているので、さてそうなのだろうかと考えてみる。どうして啓蒙主義者なのだと思うのかというと、ポパーが自身のことを啓蒙主義者といっているからで、ポパーが啓蒙主義者なのならば、自分も啓蒙主義なのかなということである。
 ポパーは啓蒙とは何かということについて、ヴォルテールがこういっているという。「寛容は、われわれとは誤りを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、われわれのすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。」 
 ポパーの説を信じるのならば、啓蒙主義者というのは「われわれはみんなバカである」といっていることになるのかと思う。そうだけれども、少しでもバカを脱していくためにみんなで努力しようよ、というのが啓蒙派の立場である。と。
 本書の「PROLOGUE」は「私たちはみんなバカである」というタイトルである。そこででてくるのがカーネマンの「ファスト&スロー」。わたくしはカーネマンの名前をタレブの「まぐれ」を読むまで知らなかった無知な人なのだけれど、カーネマンによれば、われわれの思考には「速い思考」と「遅い思考」の二種類があり、われわれは大部分の思考を「速い思考」ですませている。速い思考とは「直感的思考」で、これは時間もかからず、負荷も軽い。
 さて、橘氏がいうには、「速い思考」は「文化(体験)」によって作られるのではなく、生得的なものであるという。これが問題となる。生得的というのは進化によって規定されているということだから、人間の「速い思考」も石器時代に形成されてものであり、そのあとの時間は進化的な変化をおこすほどの長さではないので、「茂みで物音がしたら、何も考えずに逃げ出す」というわれわれの祖先が生き残るのに寄与した、石器時代に形成された反応がそのまま現代においても「速い思考」を規定している、そう橘氏はいう。
 しかし、文明が発達してくると、「速い思考」だけでは対応できないことが増えてくる。特に科学が発達してくると、「速い思考」からみると不思議としか思えないような見方が次々とでてくる。
 地球が生まれてから今日までの時間を一年で表すと、生命の誕生は4月8日。11月1日までは単細胞生物だけ。魚類は11月二十六日に出現。最初のサルは12月25日に現れ、人類の祖先は12月31日午後8時10分、エジプトなどに最初の文明がでてきたのが、12月31日午後11時59分30秒。「遅い思考」が必要になったのはその最後の30秒だけで、それまでは「速い思考」だけで充分にこと足りた。
 著者は本書で「速い思考」で考えるひとのことをバカ(直感思考型)と呼んでいる。これはわれわれの身体の中に進化の過程で埋め込まれているのだから、いかんともしがたい。だからわれわれはみんなバカである。とすれば、啓蒙主義者がいかに努力しても無駄である。しかしほんの少しは時に「遅い思考」をできるひともいて、それを「著者」は「利口」と呼ぶ。

 本書でわたくしに面白く、かつ教えられたのは、一見そうとは見えないものにも進化的背景があるという指摘である。たとえば、「正義」。進化論からは「正義とは、進化の過程でなかで直感的に「正しい」と感じるようになったものである」とされているのだ、と。チンパンジーだって「正義」の感情を持つ。下位のチンパンジーに餌をあたえたところに「ボス」猿がとおりかかかっても、「ボス」は決してそれを勝手に奪ったりはしない。「物乞いのポーズ」をしてそれをねだる。「先取権」の観念はチンパンジーにもある。ガラスで仕切った檻の双方にチンパンジーを入れ、最初キューリを双方にあたえる。問題はない。こんどは一方にキューリ、他方にリンゴをあたえる。キューリをあたえられたほうは怒る。「平等」の観念はチンパンジーにもすでにある。2匹のチンパンジーの中央にリンゴを置く。2匹は争う。しかし何回もそれを繰り返すうちに、弱いほうは自然に手をださなくなる。チンパンジーの世界にも「序列」はあり、そこでは臣下は主君に従うルールがある。またチンパンジーにも「互酬性」のルールがある。何かを与えたらお返しをすることで仲間との関係を維持している。ここでみられる「所有権」「平等」「組織の序列」はフランス革命における「自由」「平等」「友愛」に対応するのだと著者はいう。
 近代社会は民主政(デモクラシーを民主主義ではなく、「神政」「貴族政」などと同じ一つの政治制度として著者はこう訳す)を前提になりたっている。民主政も、どれを重視するかによって、自由を求める「自由主義」、平等を重視する「平等主義」、共同体を尊重する「共同体主義」の3つに区別される。しかし、もう一つの立場として「功利主義」があり、これは進化に基礎をもたないものであると著者はする。「最大多チンパンジーの最大幸福」などということを考えるチンパンジーはいないから。
 功利主義からみると、「正義」とは功利的に設計された制度となる。功利主義は経済学と相性がいい。というか、経済学は功利主義的な理想社会をつくるための(社会)科学なのである(市場原理)。この立場を一般には「新自由主義」(ネオリベ)と呼ぶ。功利主義はしばしば冷たいとか非人間的とか批判されるが、それは進化的な裏付けをもつ正義感情とは別のところから生まれたことによる。
 第二次世界大戦でのアウシュビッツとヒロシマ・ナガサキで、われわれは帝国主義の時代は終わったと感じ、国家の目的が領土の拡大から、「国民の幸福の最大化」へと変わった。福祉国家化である。しかし財政赤字の増大によって「福祉国家」路線への疑問が生じてきた。
 オールドリベラリストは「財政支出を拡大して社会福祉を充実すること」がみんなの幸福であると考える。ネオリベは福祉国家は持続不可能であると考え、市場原理を活用した政府の効率化を求める。今の日本は国会議員の大半がネオリベである。財政状況を考えればそれしかないのである。だから、現在の日本では安倍政権の対抗軸が共産党しかないという奇妙な図式になっている。
 上で見たように、正義にも複数のものがあるのだが、正義は一つしかないと信じるている人が多く、自分こそ正義として相互に口汚い罵りあっている。まともなひとはそこにはかかわらないようにしている。
 「速い思考」は大切である。愛情とか友情とかいった私たちの人生で大切なものはそれに由来する。しかし同事にこの世界でもっともグロテスクなものもまた、そこから生じてく。
 共同体の正義は進化論的には「なわばり」から生じる。「なわばり」を守ることは進化のうえでのきわめて強力な生存戦略である。当然人の脳のなかにも「なわばり感情」は埋め込まれている。「正義」とは「自分たちのなわばりを守ること」、「悪」とは「なわばりを奪いにくる敵のことである。ヒトは集団を「俺たち」=味方と「奴ら」=敵とにわけて、殺し合ってきた。これは人間の本性で、カール・シュミットは「奴らは敵だ、敵を殺せ」が政治の本質だと述べた
のだそうである(埴谷雄高かと思っていた・・恥)。
 進化論的な直感からは、世界は「善」と「悪」に二分され、“俺たち”が“奴ら”に打ち勝つことで「正義」が回復する。
 もう少しあるのだけれど、とりあえずここまで。
 
 わたくしは、基本的人権などというのはまったくのフィクションで、人間の頭の中だけ(つまり遅い思考にだけ)にあるものと思っていたので、自由、平等、友愛などが進化の過程の産物でしたがって人間以外にもみられるという橘説にびっくりした。もっともこれは犬や猫にはみられないということで、中枢神経系の発達と共同生活(社会生活)の有無に左右されるわけである。人間が社会性の動物でなければ、自由も平等も友愛もありえない。
 もう一つ、功利主義が進化とは無関係のものであるという主張にも考えてしまった。わたくしは自由とか平等とか友愛というのが理性の産物、理屈の産物、遅い思考の産物であると思っていて、それに対して功利主義というのはわれわれの生活にかかわるものなのだから、もっと生物学的なもの、理性とか脳といったものではない、肉体的なものというイメージをもっていた。身体にかかわるほうが進化論的説明が容易で、脳の機能(特に遅い思考)のほうは進化論的に論じるのは厳しいのだろうと感じていた。
 われわれにあるもので身体・肉体にかかわるものとして誰でもが想起するのは性にかかわることで、しかしこれは”臍から下”の問題とされて、頭とは関係ないとされ、知性とは正反対に位置するものとされる。そして人間は高級な生き物だから、肉体の奴隷になるのではなく、それも頭でコントロールできる存在と、建前上はされている。
 プラトンの魂の3分説というのはよく知らないが、理知・気概・欲望だっただろうか? 気概が存在する場は胸郭とされていたように思う。気概はおそらく誇りとかかわるような何かであると思うが、感情にむしろ近いものなのだろうか?
 感情というのがどこに位置するかが問題である。速い思考を司るのは感情なのだろうか? そしてわれわれの感情とは石器時代にやはり培われたものなのだろうか? 感情は氏で決まるのではなく、育ちのなかで形成されることはないのだろうか? 橘氏は明確に、速い思考=進化の産物、遅い思考=知性の産物とするのであるが、速い思考にも後天的なもの(経験的なもの、文化的なもの)があるのではないだろうか? 以下に書くことはほとんど脳科学者ダカシオからの受け売りである。われわれは過去に経験したことを”肉体的に”記憶していて、新たな事態に直面した時に体がある反応をおこすと、それが過去の身体反応と比較され、あらたな事態への対応がそれに基づいて決定されるとダマシオはいう。これまたカーネマンとは別の、われわれは大部分の場合は頭で考えてはいないとする説である。
 内田樹さんによると「頭がいい」というのは「体が頭がいい」ということなのである。知性で考えるひとは失敗する。「体が頭がいい」ひとはうまくやれる。橘氏は沈思黙考・熟慮型の思考をする人を利口とし、脊髄反射的な思考?する人をバカとするのであるが、おそらく内田氏は、頭の思考を皮相なもの頭だけのもの、身体での思考を身についた腑に落ちる真っ当なものとしている。
 内田さんは『私は「頭のいい人」に無条件に敬意を抱き、「バカ」には無条件で敵意を抱くという度し難い「主知主義者」である。「頭のよしあし」を私ほど無批判に査定の基準にする人間を私はほかに知らない』という。氏によれば「性格がよい」とか「やさしい」とか「思いやりがある」とか「想像力が豊か」とかいうのはすべて「頭がいい」という本性のその都度の表出にすぎない」のだそうである。そして『「ウチダの頭」は「頭が悪い」のだが、「ウチダの身体」は「頭がよい」』のだそうである。『頭が理解できないことでも身体が理解できる、というのが私の特技』という。『そいつのそばにゆくと、私の身体が「ぴっ、ぴっ。こいつバカですよ。ぴっ」と信号を発する』のだそうで、この信号は生まれてから一度も間違ったことがなにのだそうである。氏の「頭」が「この人は立派な人だ。尊敬に値する人だ」といっても「身体」が「ぴっ、ぴっ。こいつバカですよ。ぴっ」と執拗に信号を発するのだ、と。だが、内田氏も成熟した社会人として、とりあえずは「頭」に従うことがしばしばあるが、常に「身体」が正しく、「頭」が間違っているのだそうである。(「私の身体は頭がいい」という言葉のオリジナルは橋本治『「わらかない」という方法』の一節)
 ここで内田氏が「頭」といっているものは「遅い思考」のことなのだろうが、「身体」といっているものは「速い思考」とどこかで関係するものであると思う。ただ進化に由来するものではなく、生まれた後の経験から得た何かであるような気がする。
 日本では一般に、理屈を嫌う傾向がとても強い。理屈はすぐに屁理屈といわれて嫌われるようになる。「日暮硯」での恩田木工も理屈を嫌っていた。理屈は情に反するものとされるのである。それならば情とは何のか? 感情? 気概? おそらく日本でなら人情が一番近いのだろうか? そして人情を外国語にうまく訳せるかである。落語を欧米語に翻訳しても、あちらにそれを面白いと思うひとがどのくらいいるのだろうか? どうも橘氏の利口ーバカ二分説はいささか単純化すぎる論のように思う。
 われわれのなかでおきるもめごとの多くは「馬鹿にされた!」といった感情から生じる。これもとなりのサルはリンゴをもらっているのに、自分はキューリであるサルの怒りに由来するのであろうか?
 F・フクヤマの「歴史の終わり」はもっぱら「気概」という概念から西側の勝利を語ったものであったが、へーゲルの歴史哲学(とコジェーブが解するもの)に依拠しているらしい。要するに歴史は「馬鹿にするな!」で動いてきた、と。あるいは「強いものに従え!」と「馬鹿にするな!」が争ってきて、「馬鹿にするな!」がついに勝利したのだ、と。(最近ではまた、「強いものに従え!」が盛り返してきているのかもしれない。) 東西の争いは東が「強いものに従え!」で西が「馬鹿にするな!」であったが、人間はいつまでも「強いものに従え!」にはついていけない存在なのだから、それゆえに西側が勝ったのだといったのがフクヤマ氏の論だったように思う。
 フクヤマ氏は、人間以外の動物は腹が空いたとか喉が乾いただけで動いているが、社会的動物である人間はそれとは違って、気概という高度な動機で動いているとしているようなところがある。おサルさんからは「俺たちを馬鹿にするな!」といわれるのではないかとも思うが、橘氏も愛とか友情とかいうわれわれのもっとも美しい感情も速い思考から生まれるのだが、この世でもっともグロテスクな感情もまた速い思考から生まれるとしている。
 「なわばり」というものは進化論的な基盤をもち、共同体というものもそれに由来する。「“正義”とは自分(たち)のなわばりを守ることで、“悪”とはなわばりを奪いに来る“敵”のことです。ヒトは石器時代のむかしから、集団を俺たち(味方)と奴ら(敵)に分けて殺し合ってきました。」と橘氏はいうが、馬鹿にするな!は強権への抵抗の基盤にもなるし、みなごろしの基盤にもなるわけである。
 人間に対する見方には、ホモ・サピエンスとして知恵のある優れた生き物とする方向と、動物のなかで人間ほど同種を大量に殺戮する動物はいない!、なんという恐ろしい動物という正反対のベクトルがある。たぶん、人間はそのどちらにもなりうるのであるが、そのグロテスクな方向を抑制していくには遅い思考を用いるしかない。しかし、それができずにグロテスクな方向を全開にしている人間を橘氏は「バカ」と呼ぶのであろう。身内には情に篤いひとが、身内でないひとには平気で冷酷で残忍な人間になってしまい、しかも本人はそれを当たり前のことと思って、まったく不思議には思わないひとは多い。
 栗本慎一郎氏の「パンツをはいたサル」は第一章が「人間は知恵ある動物か」と題されているが、『異国人が団体で入ってくると、たとえそれが友好的な人びとであっても、人はすぐに砂かけばばあや妖怪・一反もめんのごとき妖怪と考えてしまう。・・社会学が明らかにしているように、私たちの心の中には、よそのおばあちゃん(社会学的には制外者、異人またはよそ者と呼ぶ)が、砂かけばばあや妖怪・一反もめんに見えてしまう構造が存在している』という。これが生物学的な基礎を持つことを栗本氏も指摘している。
 問題は、誰を身内とし、誰をよそ者とみなすかは決して進化によって規定されているわけではなく、文化と歴史によって規定されることであろう。
 タレブは「ブラック・スワン」で、自分の出身地であるレバノンが多くの宗教や民族の坩堝でありながらも、長らく平和に共存していたことを述べている。それがあるときに崩れた。一度、崩れれば、ずっと以前から争っていたように相互の憎悪は拡大を続ける。「なわばり」争いは愚かである。愚かではあるが、それは進化的基盤のうえにあるのであるとすると、われわれから消し去ることができないものであることになる。今現在も「俺たち」と「奴ら」の争いが世界のあちこちで火を噴いている。その対策としてかすかにでも可能であるかもしれないことは、「奴ら」と思っていたものも「俺たち」の仲間であると「遅い思考」を駆使して、なんとか納得していくことだけなのかもしれないが、橘氏によれば、「遅い思考」ができるものはめったにいないわけで、「バカが多い」のは進化的な必然であるのだから、いかんともしがたいのかもしれない。
 われわれは功利主義というものに何か浅薄で軽薄なものを感じる。人間は安全で腹がくちくなれればそれでいいんでしょ!といっているような気がする。人間にはあるはずのもっと崇高な計算などできない要素が無視されてしまっているように感じる。遅い思考は計算をする。速い思考は一気にわかる。「和める心には一挙にして分る」(中原中也) しかし「和める心」ばかりでなく「憎しみの気持ち」も一挙にわかってしまうのかもしれない。功利主義は”本当の幸福”とは関係のない表面だけをあつかうのように感じられるとしても、それが遅い思考の産物ではあるので、敵と味方を峻別するという思考とは遠い場所で考えることを可能にするかもしれない。
 清水幾太郎氏の「倫理学ノート」は功利主義擁護の書であった。米英の哲学を席巻している分析哲学を頭の学問であって地に足のついていない学問として、功利主義を人々の生活とかかわる現実をみる学問とし、前期ヴィットゲンシュタインから後期ヴィットゲンシュタインへの変化を、「分析哲学の方向」から「功利主義の方向」への転換ととらえていた。このような見方がどの程度の一般性をもつのかはわからないし、おそらく専門家のあいだでは一顧だにされていないのではないかと思うが、わたくしには説得的、少なくとも大いに思考喚起的であった。
 それにはわたくしの読書履歴が大いに関係しているはずで、ムアをふくむブルームズベリー・グループに激越に反発したひととして紹介されているD・H・ロレンスがわたくしが最初にいかれた文学者である福田恆在のかつぐ御輿であったし、ブルームズベリー・グループはわたくしのいまの御輿である吉田健一のルーツであるはずだからである。
 相互に反発をしたにもかかわらず、ロレンスもブルームズベリー・グループもともにその最大の敵が19世紀ヨーロッパのヴィクトリア朝的偽善であった。わたくしが吉田健一から学んだ「ヨーロッパ文明の精華は18世紀にあり、19世紀ヨーロッパはその堕落形態」という見方は、ヨーロッパではきわめて正統的かつ伝統的な見方であることも後に知った。その見方からすれば功利主義はまさに19世紀西欧の見方なのであろう。
 ケインズはハーヴェイロードの前提を奉じる貴族主義者だから、ケインズは「バカ」が嫌いだっただろうと思う。炭鉱労働者の息子であったロレンスも、ヴィクトリア朝的偽善に疑問を感じない「バカ」を嫌悪しただろうと思う。
 功利主義には貴族主義の匂いは歴然とあるように思う。人々の幸福が何であるのかを知っている賢者をそれは前提にしているのだから。そしてブルームズベリー・グループの人たちが精神の貴族を自負していたこともいうまでもない。
 「倫理学ノート」には、ムアが第一世界大戦の勃発に関しても一切動揺を示さず平静のままでいたことに、リットン・ストレイチーが感激していたことが書かれてあった。当時のイギリスはドイツ憎しの声で充ち充ちていたのである。
 ヨーロッパ18世紀の啓蒙は「寛容」を主張した。だが「非寛容」は「寛容」しないとした。しかし「非寛容」は生物学的に、進化の過程でわれわれに組み込まれているのだとしたら、「寛容」は見果てぬ夢ということになるのかもしれない。
 フォースターは「私の信条」で、「偉大なる創造的行為とまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間中に生まれるのである。この休止期間が大事なのだ。私はこういう休止期間がなるべく頻繁に訪れて長くつづくのを願いながら、それを「文明」と呼ぶ。なかには力を理想化して、それをなるべく長く陰に押しこめておくより正面にひっぱりだして崇拝したがる人もいる、これは間違いだと思うし、これとは正反対に、力などは存在しないと解く神秘主義者はさらにまちがっていると思う。力はたしかに存在するのであって、大事なのは、それが箱から出てこないようにすることではないだろか」といっている。ファースターもブルームズベリーの一員あるいはその周辺のひとだったと思う。吉田健一も「文明」のひとで、ブルームズベリーのケンブリッジに留学して、おそらくフォースターなどとも会っているはずである。
 昨今のいろいろな出来事を見ていると、もう「力」は箱から出てきてしまっているのかなと思う。そして、それに対し、「力」の行使に反対しているひとたちは、今度は、神秘主義のほうに走って、「力」など存在しない、「力」なしでも多くの問題が解決可能といっているようである。
 わたくしの若いころにはまだ「思想」に一定の力があった。そして社会の体制を変えることによって、もっとわれわれがまともな存在に変わることができると信じているものも多くいた。それはある意味では野蛮な考えでもあって、憎悪の思想でもあり、「奴らは敵だ、敵を殺せ」を信条とする、キリスト教終末論やゾロアスター教の世界観の変形である宗教的な背景を濃厚に持つものではあったが、世界が変わる、変わりうるという一種の希望をあたえるものであったかもしれない。
 もはや世界が根本的に改まると考えるものはきわめて少なくなってきている。この世界がこのまま変わらず続いていくとすれば、カネとモノと力の比重は大きくなるばかりである。橘氏は、それは仕方がないことで、なぜならそれが事実なのだからとしているようである。それについては稿をあらためて、もう少し考えてみたい。日々平安録さん
 


立花隆さんじゃないですか??

最近の世の中・・・いろいろと考えて生きて行かないとね・・

橘玲さん・・ありがとう・・