気がついたら、
とっくに上映が始まっていたのだが、
その時は南朋さんを優先して、>>
そうこうしてるうちに、
上映映画館が縮小されるとかで、
あわてて駆け込みセーフ。
そういえば映画柄なのか、
お客さんは大人の方が多かったような。
良い映画なのに、縮小ってちょっと寂しいよね、『ぐるりのこと。』。>>
靴修理屋のカナオと出版社で働く翔子は学生時代からの付き合いで結婚。
どこにでもある夫婦、部屋のカレンダーには「×」の書き込み、
これは翔子が決めたふたりがする日の印だ。
しばらくして彼女は妊娠、喜びと幸せに満ちた二人だったが、
彼らは初めての子供を亡くしてしまう。
悲しみから少しずつ精神の均衡を崩していった翔子は診療内科に通いはじめ、
カナオは法廷画家としての仕事が起動に乗り始めていた。
「どうして私と一緒にいるの?」
「好きだから、一緒にいたいと思っているよ。」
夫婦の10年の再生の物語。
このポスターの、映画を見る前と後での印象はまるで違う。
普段着で金屏風前なんて、鑑賞前私はそう思っていたんですよ、本当に。
でもこれは、夫婦として成熟の粋に入った姿、
一山も二山も二人で乗り越えたという実感の微笑み、
温かくて深みがあって安定した、なんて素敵な夫婦の姿なんでしょう、
今ではこのポスターを見るだけで胸がキュッとする思いがする。
結婚したばかりの二人は私には学生の同棲の延長に見え、
こういう若い夫婦っていっぱいいるだろうが、
とくにカナオ、今がよければ良いじゃんみたいな、
精神性の若さがリリーさん、とてもよく似合っていましてね、
ベストキャスティングだわと感心したのだが、
このカナオ、不器用で口下手でしょうがないのだが、
本当はとてつもなく日本人らしいのでしょう。
翔子とカナオの二人の会話はまるでドキュメンタリーのような息遣い、
しかも時代背景がまたリアルだし、
木村多江さんとリリーさんがいつしか本物の夫婦のように見てくるのが、
この映画のすごいところだと思う。
木村多江さんが非常に素晴らしく、
翔子が徐々に壊れていく様子、壊れるって言ったって、
それは日常的に潜んでいるもの、とても徐々に進行し、
周りはあらっ様子がおかしいなと思う程度、
本人だってこんな自分がとてつもなく嫌だと思う心を持っていて、
だけども感情を爆発させずにはおれない苦しみ、葛藤、
平常とうつ状態のはざまがものすごくリアルで、
私は胸が苦しくってしょうがなかった。
真面目に生きてきた人間ほど、どうしてと思うとそれは果てしない闇、
そんな時に、ただ側にいるだけの夫、でも絶対側にいる夫、
カナオのただ好きだからそばに居るんだよという、
当たり前の一言が翔子にとってどれだけ慰めになったことか、
考えるといくばくもなく、子供のように翔子を包み込むシーン、
私は泣けて泣けてしょうがなかったんですよね。
監督自身がうつを乗り越えた経験を踏まえただけあって、
この映画の説得力はその後の再生の物語にあると私は思う。
二人が縁側でトマトに水をやっているシーン、
こんななにげないシーンがとても慈愛に満ちていて、
翔子が描いた天井画をふたりで並んで寝転ぶシーン、
何があっても一緒に生きる、ようやく夫婦として確立したのかな、二人は、
10年たって母がカナオに翔子を頼みますと頭を下げるシーン、
10年かかるのか、夫婦って、10年・・・。
私は夫婦というものを経験していないから、
この映画の真意はもしかしたら伝わりきれていないと思っているのだけど、
これをみてちょっとだけ夫婦っていいなって、
そんなことを飄々と唄うエンディングを聞きながら、
考えていたんですよ。