二歳の龍虎(りく)くんはこの世の最期に何を思い浮かべたのだろう。龍と虎という、強く育って欲しいとの愛情を込めて付けられた名前だっただろうに…。この龍虎くんは誰に殺されたのだろうか。

保育制度が追いつかない政府の怠慢か。紹介サイトというバーチャルな世界の託児所に預けた若い母親か。窒息死ということは、26歳の物袋容疑者が加担していた可能性が最も高い。容疑者の母親が「ベビーシッターに役立つ英国式の保育法を学び、認定試験も受けていた」と証言しているから、保育に全くの素人ではなかったようだ。

朝日新聞の天声人語も「背に腹は代えられない事情がある。共働きで二児を育てる知人は、たとえば保育所に預けても熱を出したりすると直ちに引き取りにくるように求められるという。立ち往生しそうな時にネット託児に頼る気持ちはわかる、と。料金も安い」

都内のベビーシッターでは、昼間なら一時間2000円。17~22時は2500円。23時以降は3000円だそうだ。それが、紹介ネットだとこの半額となる。資格のない個人託児所ならもっと安く営業している。ベビーシッターの経営に資格制度がいらないからだ。

殺された龍虎くん側から考えてみる。仏教で「ほとけの子であれ」と説いたのは天台宗の開祖・法然です。「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅうじょうしつうぶつしょう) どんな人も仏になれる可能性を有しているとの教えです。こまごまとした戒律や規律はいらない。誰もが仏の子である。そして、法然が57歳で没するとき、弟子たちに「私が亡くなった後、教えを同じくする人々よ、どうか童子を打たないで欲しい。そうすれば、私はそのことを大恩と思う。頼みましたよ」と遺言しています。童子は「少年」の意味。仏教では二十歳にならないと出家できませんから、未成年のことです。子どもを叩いてはいけないと法然は言い残したのです。ところが、体罰は禁止されていても、日本の教育界のスポーツ部門では、相変わらず乱用されています。宗教評論家・ひろさちやさんも「日本の教育は狂っており、もはや『狂育』でしかないありさまである」と著書に書いています。

どんな人間も、念仏をとなえれば「ほとけの子」だと説いた法然の思いはなかなか人には伝わらない。若い物袋容疑者も、ベビーシッターをはじめた頃は、親子のためとのボランティア精神もあったと信じたい。しかし、二歳ともなれば、親の言うことも聞かないくらい子どもはヤンチャになる。それが成長の証なのだが親の経験のない彼は理解できずに叩いたりしたのだろう。

手元に、先の都知事選挙の新聞切り抜きがある。候補者たちは保育に関してこう公約していた。(投票数の多い順番に)舛添氏「認証保育所の増設などにより4年以内に待機児童をゼロに」宇都宮氏「認可保育園などの定員を当面2万人、5年で5万人に」細川氏「待機児童ゼロを任期中に実現」田母神氏「保育所の必要数確保。子育てコンシェルジュの活用」

今となっては、舛添氏にしか頼らざるを得ない。国のトップも、お友達人事で破綻状態の国政。経済も外交もお粗末な政治しかできない。軍事費用の半分を保育行政に回せば龍虎くんのような悲劇は防げるのではないか。何より、スマホのLINEや紹介サイトで生きる我々は、間違いなく風狂(狂人)の時代を生きている。

再度問いたい。二歳の龍虎くんを殺したのは誰ですか?