「お祭りの中心いつもメディアなり」朝日川柳にあった。3年目の「311日」は、テレビ・新聞で終戦記念日みたいな扱いになったように思う。どこのメディアも、特番や特集でお涙頂戴ばかり。これも三年目の「311」を過ぎたらジエンドなのでしようね。

翌日の朝日新聞「声」欄に埼玉県の中学一年生が「大震災を次の世代に伝えるのに記念日という形でいいのだろうか」と提言していた。同じく、福島県の女子高校生は「福島から一歩出れば、被爆者というレッテルを張られ、汚い物でも見るように見られ悪く言われる。そもそも核は私たち人間が作りだしたのに後始末もできない。政治家は責任を押し付け合い、現実を見ようともしない」と、現政権を冷静に見ている。私も慰霊祭が地元の東北ではなく東京で開かれたことに違和感を覚えた。広島や長崎の原爆慰霊祭を東京の武道館で開くようなものでしょう。ずいぶんと震災地のことをバカにしているし、これこそが安倍政権の震災地に対する答えだと思います。

結果的に、この3年間で被災地は何も進展もしていない。今も267千人が避難生活をしているし、104千人世帯が仮設住宅で暮らしている。この一年間でも15世帯しか減っていない。高台への住宅建設の公約も、計画戸数の9%のみとか。家を建てる建設業者がいないのだ。六年も先の東京オリンピックばかりアピールする安倍政権は、復興より五輪しか頭にない。「心のケアとか復興が動きはじめた」と口にするが、8割もの国民が復興の道筋が見えないと世論調査に答えている。福島原発は東電まかせで何も進展なし。こんな安倍政権にまだ高支持率を与えている民度とは何なのだろう。

 女性週刊誌の「女性自身」で、瀬戸内寂聴さんと吉永小百合さんがロング対談。お二人は、先の都知事選では脱原発の細川候補を支持していた。今回の対談で、吉永さんは「原子力の平和利用なんてない。核というものは、人間とは共存できないものなんだということを、事故で初めて自覚した」と話している。吉永さんも寂聴さんも、明らかに安倍政権の憲法改正、特定秘密保護法の危険性も非難。

「先日、テレビニュースで見たのですが、集団的自衛権が成立したとき、あなたは戦争に行きますか?と若い人たちに質問していたんです。すると躊躇なく『僕は戦争に行きますよ』と、答える人もいて…。そう答えた人の頭の中にある戦争は、ゲームやコミックで知っている戦争ではないかと思うのです」

 春は卒業の季節です。ある生徒が私に「先生は、どうして安倍政権批判のブログをよく書くんですか?」と聞いてきた。「それは、君たちのためだ。もう老人の私が戦争に行くことはない。戦地に行き戦うのは若い君たちだよ。そして、孫たちだ。徴兵制度になり、戦前の日本にならないように安倍政権を批判しているんだ」と答えたら「戦争になったらすぐ逃げるから…」と答えた。

 吉永さんが危惧した戦争をゲーム感覚で受け止めている若者は少なくないはずだ。戦争ゲームで負けたらリセットすれば元に戻る。でも、現実の戦争で死んだ者が生き返ることなんか百%ない。

 安倍政権の教育改革も、洗脳して国でコントロールしやすい人間を作るための政治主導教育だ。教育現場への介入に慎重だった公明党も同意した。庶民の政党だと私は思っていたが、与党になってから自民党のブレーキ役にならずアクセル政党になった公明党。戦前、公明党を作った党首たちが治安維持法で監獄にぶち込まれた過去を忘れてしまったのだろうか。消費増税にも反対しない公明党のどこが庶民の政党かと残念でならない。教育洗脳は怖い。安倍首相のお友達で作家・NHK経営委員の百田尚樹氏の「永遠の0」も、愛する家族や女性のために犠牲になることを尊いことだと教える場合、最高の教育本となる。人命を犠牲にしてまで守る国家なんてクソくらえだ。そうではなく、誰も殺すことなく、どの国とも戦争をしない国家作りこそが政治家の仕事ではないですか。 54歳の誕生日を迎えられた皇太子が、会見で「戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、現在、わが国は平和と繁栄を享受しております。今後とも憲法を遵守する立場に立っていくことが大切だと考えております」と述べられた。でも、ほとんどの大メディアは黙殺しました。誰のためかは一目瞭然。安倍政権のためです。

 吉永さんが原爆詩朗読会で最初に読むのが峠三吉の「序」だ。この28年間それは変わらない。

「父をかえせ、母をかえせ、年寄りを返せ、子どもを返せ、私を返せ。私につながる人間を返せ。人間の、人間の世のある限り、崩れぬ平和を 平和を返せ」

 私には東北の震災者の人たちに語りかける言葉に聞こえる。