還暦同窓会があり九州へ帰省。そこで叙情歌「里の秋」を全員で歌った。私が大好きだった作家・諸井薫さんの「風の言葉」(角川文庫)にも「しーずかぁなー、しーずかな・・・というこの曲の歌い出しを口ずさむだけで、秋の夜の凛とした空気の気配があたりに漂ってくるような気がする」とある。諸井さんが特に惹かれたのが「ああ母さんとただ二人、栗の実 煮てます囲炉裏端」と二番の「ああ父さんのあの笑顔、栗の実煮るたび思い出す」の部分だ。この歌の三番は現在、カットされることが多い。意味がある。この歌は戦争中の戦意高揚の軍歌だったからだ。

「さよなら さよなら 椰子の島 お舟にゆられて帰られる ああ、父さんよ御無事でと 今夜も 母さんと祈ります」

出征軍人の父親が南方の島で戦っている。囲炉裏端で母親と子供たちは火に当たりながら、寒さが増し紅葉に染められた田舎でひたすら父親の武運を祈る。そんな光景が目に浮かんでくる。私の母親がこの歌が大好きで、幼少の頃に鼻歌を聞いたような気もする。今でも、BS放送の〈日本のうた〉をよく見ている。それは童謡とか叙情歌がよく出てくるからだと聞いた。私が、昔よく通った神楽坂のバーで、時々、童謡や叙情歌をカラオケで歌った。その時、どこかの社長らしき男性が涙ぐんでいることに何度か遭遇したことがある。その社長さんは私がいると必ず童謡をリクエストした。

いつだったか、海援隊の武田鉄矢さんが語っていた。「母に捧げるバラード」を歌うたびに観客席の女性(オバサマたち)たちが泣いた。武田さんは「自分の歌に感動しているのだなあ…」と、思っていた。ところが違った。あるオバサマは「あなたの歌に感動しているんじゃないの。あなたの後ろ側に自分の母親が浮かんできて、詞に導かれるように自然と涙が出てくるの」と、語った。歌手の歌声で観客を泣かせるのはそう簡単なことではない。観客は歌のうまさより歌詞とメロディーが自分の人生と融合したときに涙腺が緩むのだ。自分も泣きながら観客をも泣かせる歌手は美空ひばりしかいない。彼女のすごいのは、泣いても音程が崩れないし歌が途切れない。

私も、童謡の「雨降りお月さん」に仕事で助けられたことがある。かって、ブログで一度書いたが、戦争の体験談を取材しているときの事。ある老人ホームで少し痴呆の進んだ女性に質問したが下を向いたまま無言状態。所長や介護士が声をかけてもピクともしない。困りはてた時に、部屋の片隅にクラシックギターがあった。取材をあきらめた私はボランティアと思いギターを手にして「雨降りお月さん」を弾きだした。すると、サビの部分あたりから、その老婆の顔がスーッと上がってきた。そして、目からは涙がツツーッと流れてきた。それから語ってくれたのが南方で戦死した夫のこと。未亡人となった戦後は、赤ん坊の娘を背負って必死に生きたことをポツリポツリとしゃべりだしたのです。泣く我が子も、この「雨降りお月さん」を歌うとピタリと泣き止んだ。私も感動したが、側で聞いていた介護士さんたちがもらい泣きしていた。所長の目もまっ赤だった。苦しい戦後も、童謡と共に乗り越えて生きてきた老婆の言葉は何よりも重かった。彼女にとっては「雨降りお月さん」は人生歌だった。私は戦争を起こした軍人や政治家たちを憎んだ。戦争を勝手に起こして、戦地へ将棋の駒のように庶民を送った指導者と、赤紙一枚で戦地に無理やり行かされて散った一兵士をなぜ同じ靖国神社に一緒に葬るのだろう。今の政治家たちは、どうしてその矛盾を変えようとしないのか。靖国神社が軍人、軍属の「尊崇の念」の場なら再度、合祀すればいい。無能な戦争指導者は靖国神社に譲りましょう。無念の兵士たちは千鳥ケ淵戦没者墓苑へ。おバカな安倍政権閣僚や自民党議員たちは、アメリカのケリー国務長官たちが靖国ではなく千鳥が淵へ献花した意味を理解できていない。アメリカは、日本よりも大切な中国や韓国のため靖国参拝をしなかったのだということを…。

先日、朝日新聞の読者欄に「消費増税、戦争に続く道では」があった。社会福祉法人職員のNさんは「今後もし憲法で国防軍に戦死者が出れば、志願者は減るだろう。しかしその時に、若者の多くが経済的に苦しければ、志願せざるを得ない状況が作られる。消費増税などの負担は国民をさらに貧しくすることも目的ではないかとさえ思う」と危惧する。Nさんは、経済が困窮すれば兵役志願者が増える社会になるのでは…と思っている。

実際、この国は戦前がそうだった。1937(昭和12)の日中戦争あたりから統制経済、国家総動員体制作りに近衛内閣は突っ走る。中国の大地を勝手に侵略して満州国としてぶん取った。安倍政権が秘密保護法案を急ぐ一つは米国の傭兵的存在ため。自由に戦争のできる日本にしたがっている。近衛首相と安倍首相はお坊ちゃん的体質がとても似ている。

Nさんが心配するように、消費税増税で国民の生活が困窮してきたら、どこかに仮想敵国を作り、その幻の敵国を憎み憲法改正にもろ手を挙げて賛成していく国民を作ろうとしている。我々はどうすればいいのか。自分は徴兵や戦争には関係ないと思う団塊の世代は多いかもしれない。でも、我が子だけでなく孫たちが戦場へ行かされる。だから、孫たちのためにも無能な安倍暴君に断固反対しないと我が国は滅びるのです。

「里の秋」は、日本人の心に染み渡る反戦歌だと思います。残された母親と子どもたちが再び戦場の父親のために歌う童謡や叙情歌であってはなりません。