カリンガで出会った元奨学生 | Cordillera Green Network インターン体験記

Cordillera Green Network インターン体験記

フィリピン・ルソン島北部のバギオを本拠地に、山岳地方(コーディリエラ地方)で活動する現地法人の環境NGO「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(Cordillera Green Network:CGN)」の日本人インターンによるブログです。お問い合わせはcordigreen(a)gmail.com
まで。

ボランティアの細貝です。
今週の月曜日から明日まで、アグロフォーレストリーの全国会議に
参加するため、ミンダナオはカガヤンデオロに来ています。

耳慣れないビサヤ諸語。どこまでも広がるココヤシ畑があったり、
ムスリムの人用の食堂が(イスラム経典にのっとった材料を使用し、
調理していることを証明するハラールフードのマークがある)
軒を並べていたりして、まるでインドネシアかマレーシアに
きているような気分です。

市場の食堂では、アルミニウムのボウルが置いてあり、そこで
手を洗って、食べるため、スプーンやフォークはサーブされません。
ここでおいしいのは、ココナッツミルクを入れて炊いたほかほかの
黒米を、バナナの葉でくるりとつつんだもの。

ちまきの平たいものを想像してみてください。朝5時半過ぎに市場へいくと、
本当にたきたてのものをいただけます。お米の熱であたためられた
バナナの葉の香りがほんわりとただよい、おいしいのです!
もちもちした黒米とココナッツの香り。日本にお持ち帰りしたい!
明日の朝のフライトでマニラに戻るため、その前にもできたら食べに
いきたいなあと思っています。

さて、今回は先週カリンガで出会った元奨学生の現状報告をします。
彼女たちのほかに、現奨学生のご家族にもおあいしてきたので、
次回はその記事をアップします。





リリー 24歳
2年生の第2学期(2002年11月)から卒業まで、CGNの奨学金をもらっていた。
1年生のときと、2年生の1学期は村の奨学金を受領。2007年3月卒業。
最初は農業工学を専攻していたたが、途中で数学に専攻をうつしたため、
卒業まで時間がかかった。

卒業後から今まで、いろいろな職場を転々としてきたが、
おもに数学教師としての仕事が中心。今の職場である村の小学校では、
2年生を受け持っているが、その仕事もこの12月で終わる。教師免許はもっていない。

本人としては、1年間の教育コースを受講し、試験を受けて教師の資格を取り、
働きたいと考えているが、金銭的な余裕がないという。本当は今年の6月から、
学校で勉強したかったそうだ。今の職場との契約がきれたら、州都のタブックにでて、
お手伝いさんとしての仕事を探すくらいしか、できることはないと話してくれた。
その仕事さえなければ、家の仕事をするという。


彼女は2008年の9月に髄膜炎にかかり、そのときの入院代や薬代で、
家の土地はほとんど売り払ってしまい、今は20㎡ほどしか残っていないという。
ひとつのところにしっかり長期入院して治療に専念するということはできず、
3か月ほどあちらこちらを転々としたそうだ。今も、本当は1日3回、
発作を抑える薬を飲む必要があるのだが、お金がないので、1日1度、
朝のみしか飲んでいないという。その薬は100粒で2800ペソ(約5600円)する。

実は、彼女に話を聞いていた朝に、発作がおきた。急に空をあおいだかと思うと、
すごい力で私にしがみついてきた。3分ほどすると落ち着いたのだが、
顔面蒼白で今にも倒れてしまいそうだった。寒いと発作が起こるそうで、
たいていそれは朝だという。ちょうどその日の朝は、薬が切れてしまって、
飲んでいなかったのだ。彼女が病気にかかったのとちょうど同じころに、
彼女の妹も交通事故で重傷を負っている。

結婚して他村にいる妹を除き、まだまだ手のかかる妹や弟が6人もいる。
お父さんは村の秘書として働いているが、1か月1000ペソの稼ぎでは、
到底家族をやしなえないし、土地もなくなってしまったので、
長女である彼女に負担がかかっている。彼女自身、
かなりプレッシャーをかんじているようだった。

インタビューの最後に、彼女はうつむきながらこう語った。

「学部を終了しても、まだ勉強を続ける意思のある人、
仕事を得るために必要なコースを受講するための奨学金を、
だしてもらえるようにはならないでしょうか」

「まだまだ勉強して、しっかり資格をとりたいけれども、
病気にかかったときに手持ちの財産をほとんど使ってしまったから、
しかたない。タブックにでても、仕事がみつかる可能性は低いし・・・」

笑顔がとっても素敵な彼女だが、いろいろ悩みの種があるからか、
疲れたような顔をしていることが多い。でも、私たちが他の村に移る
朝、「またここにきて、いろいろお話しましょう!コーヒーならいつでも
あるから!」と元気よく送り出してくれた。

コーヒーをいただきながら、また彼女とゆっくり話をしたい。
そして彼女の今後の人生が、幸多きものであるようにと
心の底から願わずにはいられなかった。


ジョアン 26歳
1年生の2学期から卒業まで奨学金をもらっていた。
政治科学専攻。2006年に卒業後、シンガポール等海外で
働くつもりだったようだ。

そこで、書類整理などのため、マニラに比較的近い
パンパンガの親戚の家で1年ほど過ごすが、
結局海外就労はかなわず。2008年12月から再度大学に入り、
公共政策の修士課程に在籍している。週末のみ、クラスがある。

授業費のほかにも、インターネット使用代、印刷代、
本代などがかさんでおり、大変だという。卒業は来年の3月を
予定しており、そのあとはロースクールで勉強し、
弁護士になりたいそうだ。弁護士になることは、子どものころからの
夢だったという。

彼女は6人兄弟の長女。一度彼女の家にお邪魔した時は、
鶏肉や野菜をふんだんに使った料理でもてなしてくれ、
兄弟にもてきぱきと指示をだしていた。家庭を切り盛りする
しっかりもののお姉さんだ。

私が「ジョアンの料理がおいしすぎで、ついつい食べ過ぎちゃったよ!
太っちゃう。」というと、「そんなことないよー。ありあわせのもので
ちゃちゃっと作っただけだから。」と、まんざらでもなさそうだった。

コーヒーを飲みながら行ったインタビューでは、
「実は今、CGNの奨学生を集めた、同窓会を作り、CGNの活動を
サポートするという計画があるの。事前にCGNが私たちの村に来てくれることが
わかっていれば、私たちが村のコンタクトパーソンとなり、
プロジェクトの手助けができるでしょう。お世話になったCGNにすこしでも
恩返しをしていけたら、と思って。」と語ってくれた。

元奨学生の中で、彼女は中心的な存在のようだ。
今後どのように元奨学生をまとめていってくれるか、楽しみである。

現奨学生の現状を知ることはもちろん大切だが、卒業したらそこで終わり、
ということにならないような関係づくりをすることができれば、CGNの活動も
さらにスムーズに行くように思う。今後またプロジェクトサイトに行き、
奨学生と会う機会があれば、そこでできる絆を大切にしたい。

次回は現奨学生の家族へのインタビュー内容をアップします。
長い記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。