下北沢駅前劇場で上演された、竹内銃一郎作・寺十吾演出『あたま山心中~散ル、散ル、満チル~』を観てきました。

作者、演出家ともに私は初見で、何の前知識もなかったのですが、何度か拝見していて魅力的だなあ、と思っている平岩紙さんと、『ゴーゴーボーイズゴーゴーヘブン』で新たな面を見た気がする近藤公園さんの二人芝居、ということに興味を覚えてチケットをとりました。


とても濃密な95分間で、観終わった後はなぜか体内の血液が濃くなったような気がするくらい。二人の演技がとても良くて、平岩さんのくるくるかわる演技に幻惑されるのを楽しみながらも、底に流れる切なさに心が揺れて、これぞ、演劇ならではの醍醐味を味わえた、刺激的なひとときでした。


以下、ネタバレありの感想です。



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2016年10月18日(火)マチネ

下北沢駅前劇場

作・竹内銃一郎

演出・寺十吾

出演・近藤公園・平岩紙



この作品は、竹内銃一郎さんが女優の吉田日出子さんからの依頼で書いたもので、1989年に鵜山仁さん演出、吉田日出子さんと串田和美さんの二人芝居として上演されたそうです。

古典落語の「あたま山」とメーテルリンクの「青い鳥」をモチーフにしたお話しで、不条理劇といってもいいのでしょうか、でも、いろいろな受け取り方ができるような気もします。


劇場に入ると、舞台中央に桜の大木があり、枝が天井に這うように伸びていて、桜の花が咲いている。足下には、何枚もの板が不規則に置かれていて、美しさと不安定さで早くも心が乱れました。


女(平岩紙)と男(近藤公園)が、旅に出る準備をしています。どうやら兄弟らしく、また妹の方は精神を病んでいる様子。妹はメーテルリンクの「青い鳥」の世界に生きているようで、兄と一緒に、青い鳥を探しに行こうとしていて、兄は妹の妄想につきあっているように見えます。


が、そのうち、男の口から、

父親が若い女と心中したこと

その第一報を幼かった男が聞かされたこと

母親と一緒に死んだ父のもとに向かったこと

父親と若い女は桜の木で首を吊ったこと

などが語られます。


落語の「あたま山」はすごくシュールな話で、さくらんぼを食べた男の頭から桜の木が生えてきて、そこで人が花見をして大騒ぎ。困った男が桜の木を抜くと、頭に大きな穴が開いて水がたまり、今度は池になってしまう。

またもや釣り人が来たりして大騒ぎになるので、いやになった男は、自分の頭の池に飛び込んで死ぬ、というもの。


途中で男と女が交互にこの落語を語るのですが、そのシュールさと狂気がリンクするように感じられて、こちらの頭の中もかき回されるような、不穏な感じになりました。

はじめ妹だと思っていた女は、

夫の帰りを待つ妻になり、

若い恋人になり、

幼いこどもを連れた母になり、

年老いた母になり・・・


次々と変化をしていく女を演じた平岩紙さん、スッと音もなく、次の瞬間には違う女になっている。その静謐な狂気はどこか透明感もあり、美しさすら感じました。素晴らしかった。


そして、それを受ける近藤公園さんの柔軟さがまたとてもよくて、女の変化に対する恐怖、絶望、そして・・・という心の変化が繊細にこちらに届いてきました。

男は、女とともに、電車の中で、あるいは桜の木で、心中をしようとします。

走る電車の音、

女の首に巻くネクタイ、

桜の木にかけた白いロープ、

男が手にかけたのは誰なのか・・・


最後、看護師姿の平岩さんが出てきて、実は、狂っていたのは男の方だった、というそれまでの世界が反転する結末になりました。

私はリアルタイムでアングラ劇をほとんど観てはいないのですが、こういう結末って、アングラ劇に多いような気もします。清水邦夫の作品にもあった気がするし、いくつかの戯曲で読んだ覚えも。


すべてが男の妄想だったとも思えるし、

あるいは男が体験したことだとも思えるし、

これは観る人によって違ってくるとも思いますが、

でも、最後、病室で鳥かごを抱えている男を見たら、とても切なくなりました。


これは、親殺しー母殺しの話だったのか、とも思いました。

あの、何度も女を殺そうとした男は、もしかしたら、幼い頃から母親のゆがんだ愛情を受けていたのかもしれない、

いや、ゆがんではいなくても、愛情という母親の支配から逃れたいと思って、心の中で何度も母親を殺そうとしていたのかも、


あるいは、母親は認知症のような症状があって、毎日、妄想につきあわされていたのかもしれない、そんな毎日に疲れ果てて、本当に母親を殺そうとしたのかもしれない、

母親と息子の間には、独特の愛情と執着があるから、ある意味で母親を捨てることができないと、自分自身の幸せの青い鳥をつかまえることはできない・・・のかな、なんて、


いろいろな想いがわきましたが、あるいはまた・・・

すべては、あの桜の木が見せた幻影だったのではないか?とも。

終演後、劇場の外に出たとたんに、現実の音と世界が飛び込んできて、夢から覚めたような気になりましたが、

あの桜の木の元で見ていたのは、そうだ、怪しくて、切なくて、哀しい、白日夢だったのではないかしら。

そんな風に思いたい私もまた、いたのでした。