ぽけっとにチケット~おきらく観劇日記~

お芝居大好き。今日もぽけっとにチケットを入れて劇場へ。
小劇場からシェイクスピアまで、観てきたお芝居の感想をつづります。
基本、ネタばれしていますので、未見の方はご注意ください。


テーマ:

東京芸術劇場シアター・イーストで上演中の、モチロンプロデュース・キャリル・チャーチル作・木野花演出『クラウドナイン』クラウドナインを観てきました。

モチロンプロデュースとは、大人計画の社長の長坂まき子さん主催のプロデュース公演で、フライヤーの、大人計画の面々とゲストの顔ぶれを見て、「これは面白そう!」と思ってチケットを取りました。

 

作者に関する知識もなかったし、フライヤーには、イギリスの植民地だった時代のアフリカで、イギリスからやってきた家族の破天荒なホームドラマ、とあったので、てっきりホームコメディ的なものだと思っていたら、笑いもあるけど、テーマ性と主張のある物語だったのにびっくり。

でも、1幕と2幕で俳優さんがガラッと違う役を演じるのが新鮮だったし、なによりみんなひと癖もふた癖もある方ばかりなので、その演技を楽しみました。

また、ラストシーンはじ~ん、ときて、これは今の私の年齢だからこそ、かもしれません。

 

以下、すっかりネタバレしていますので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

 

FullSizeRender.jpg

2017年12月2日(土)19時

東京芸術劇場シアター・イースト

作・キャリル・チャーチル

翻訳・松岡和子

演出・木野花

出演 高嶋政宏 伊勢志摩 三浦貴大 正名僕蔵 平岩紙 宍戸美和公 石橋けい 入江雅人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、観劇前にまったく前知識を入れないで行ったんですが、公式サイトにも、物語の構造が書かれているんですね。

「クラウドナイン」は、イギリスの劇作家キャリル・チャーチルによって書かれ、1979年に初演されたもので、1幕目は1880年頃のヴィクトリア朝時代のイギリス領アフリカ、2幕目は1979年のロンドンが舞台。その間100年ほど経っていますが、登場人物たちは25歳しか年をとっていません。

また、1幕と2幕では、俳優は性別と年齢を変えて演じるというトリッキーな構造になっています。

 

2幕目が始まった時、少々面くらいましたが、この物語は「抑圧」と「解放」に関するお話なのだろうな、と思って、その間100年を要した、ともいえるし、100年たっても変わらないともいえるのかな、と思いました。

 

1幕目、家長のクライヴ(高嶋政宏)は、植民地政策のもと、時には暴力も辞さない徹底した管理を行っていて、息子のエドワード(平岩紙)には、男らしくあれと教育し、妻のベティ(三浦貴大)には、貞淑さと従順さを求め、国家への忠誠心の厚い、男らしい家長として一家に君臨しています。

 

一方で、自由奔放な隣人のソンダース婦人(伊勢志摩)にぞっこんで、浮気をしているし、妻のベティも、母親のモード(宍戸美和公)の教えのように貞淑であらねばならないと思いつつ、夫の友人の探検家ハリー(入江雅人)に心惹かれるのを抑えることができない。

息子のエドワードは、父親の求めるような男になりたいと思いつつも、お人形遊びが大好きで、禁止されてもやめられない。

 

エドワードの家庭教師のエレン(石橋けい)は、ベティを愛していて、ベティが恋しているハリーは、実は幼い少年が好きで、エドワードとそういう関係になっている。

 

1幕目では、表面的には、「正しいイギリス国民の一家」でありながら、内情は愛情のベクトルが入り乱れているさまをコミカルに描いていて、笑いを誘われる場面が多かったんですが、いつの時代にもこういうことはあるし、それは人間の一側面なのだろうな、と思いました。

ただ、終盤で、互いに性的指向が違うのに、「ともかく結婚はするべき」という社会的規範の圧力に負けて(あきらめて?)ハリーとエレンが結婚することになったところは、時代性を現わしているのかな、と思いました。

 

イギリス軍によって、自分の両親が殺されたのに、主人のクライヴに、「悲しくない。自分は関係ない。」と言っていた召使のジョシュア(正名僕蔵)が、ハリーとエレンの結婚式の日に、クライヴに銃口を向けるところで1幕目が終わりました。

1幕目は、家父長制度のもとでの男性による女性への支配構造と、国家による植民地支配の構造をリンクさせて、皮肉も交えて描いているように思いました。

 

2幕目になると、時代は100年後にワープして、ロンドンの公園で、子供を遊ばせながら二人の母親が話をしているところから始まりました。

一人は、1幕目でまだ赤ちゃんだった、クライヴの長女のヴィクトリア(石橋けい)で、もう一人は、リン(平岩紙)。それぞれ、キャシー(正名僕蔵)とトミー(宍戸美和公)という子供がいます。

 

リンは、離婚していて、奔放な女性という感じ。ヴィクトリアは、夫のマーティン(入江雅人)との結婚生活に疑問をもっていて、リンに誘われるままにレズビアンの関係になり、一緒に暮らし始めます。

人形遊びが大好だったエドワード(高嶋政宏)は、今は庭師になっており、ジェリー(三浦貴大)とゲイカップルになっていますが、あれこれ世話をやきすぎるエドワードを、ジェリーはうとましく思っている様子。

1幕目で貞淑な妻であろうとしていたベティ(伊勢志摩)は、今や60歳代くらい?クライヴと離婚して、はじめて働きに出ています。

 

2幕目では、旧来の家族の形にこだわらない新しい関係や、同性同士のカップル、夫から独立して生きる姿などが描かれていますが、1979年の初演当時は、どんな風に受け止められたのでしょう?

今でこそ、LGBTという言葉は日本の教科書にも登場するようになりましたが、そこにいたるまでには、演劇などにおけるこうした作品が作られてきたことの積み重ねもあったのでしょうか。

 

でも、登場人物たちの喜びや悲しみを見ていると、どんな愛の形にせよ、どんな家族の形にせよ、その中で迷ったり、苦しんだり、という人間の営みは変わらなくて、そこが切なくて愛しいなあ、などど思いました。

夫と離婚して、自活するようになったベティが、ジェンダーやいろいろな抑圧から解放されたことを静かに語るシーンは素敵でした。

 

ちょっと話が逸れますが、この間美容院で読んだ雑誌に、夫との関係をよくするために「ぶりっ子」しよう!という記事があって、そのぶりっ子というのが、すごく幼児的な言動をすることで可愛いと思わせる、というもので、この時代に「ぶりっ子」?!それって死語じゃないの?と思ったんですが、

女性解放のために私たちの前を歩いた女性たちがいる一方で、こういう考え方もあるのだなあ、と思うと、(あくまで生き方はその人の自由意志なので私にジャッジをする資格はありませんが)2017年の今でも、女性の生き方の模索は続いているのだなあ、と思います。

 

ラストシーンで、三浦貴大さん演じるベティが今のベティの前に現れて、二人が優しく抱き合うところは、若い頃に苦しんだ私自身と、年老いた私自身が、お互いにいたわりあい、許しあっている自分自身の姿のようにも思えて、とても温かく、救われた気持ちになりました。

1幕目と2幕で全く違うキャラクターを演じた俳優さんたち、みなさんよかったんですが、特に伊勢志摩さんが演じた2幕目のベティが、今まで大人計画の作品で観た伊勢さんのイメージと全然違うもので、強く印象に残っています。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。