人間の価値と貢献度を分けて考える。
そして、人間の価値とは『存在そのもの』
そんなことを前回書きました。
えっ、存在そのもの?
どういうこと?
あなたにも肉親がいると思います。
私の父は勉強家で、様々な資格を持っています。
50歳を過ぎたとき定年を迎えたのですが、そのころ私は小学校6年生。
5つ上の姉は高校2年生で大学へ行きたいという希望を持っていました。
(姉は脳性麻痺で、身体障がい者です)
仕事をしながら医療の専門学校に行き、優秀な成績を収め、
それなりの地位を得ることにより、姉や私を大学まで行かせてくれました。
尊敬すべき父です。
母も頑張り屋で、勤勉家の父とは違い社交性で、人間関係を
形成し、それなりの地位を獲得した人でした。
そして、姉。
身障者で手足や言葉が不自由です。
それでも、大学へいき、そして、27歳で家を出てひとり暮らし
(自立した生活)をしました。
私が姉のように身障者だったら、こんなことが出来ただろうか?
凄い姉です。
ただ、そのような頑張り屋さんの3人ですが、加齢とともに、
父はほぼ1日何もせず寝ています。
母も、以前のように活動的ではありません。
姉も、ひとりでは何もできず、支援者がいなければ何もできません。
この3人に共通しているのは、一人では何もできなくなっているのです。
さてさて、人間としての価値がないのでしょうか?
違いますよね。
私にとっては、父であり、母であり、姉です。
存在してくれているだけで、うれしい存在です。
よって、人間の価値とは、存在していること。
自分の存在そのものに価値がある。
その原点を忘れてはいけないのです。
貢献しなければ、と思ってしまうのは、存在そのものに
価値を感じていないからそう思うのです。
貢献は、存在そのものに価値を感じたら、本能から自然に出来るもの。
人間の存在価値というものは、再度、じっくりと
見つめてみることをお勧めしたいと思います。