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2016-07-01 20:03:05

客観的視点を向上させる

テーマ:ブログ
私たちは、いろいろな人格が備わっています。



「人のお役に立ちたい私」
「自分さえ良ければよしと思う私」
「しんどいことを避けて楽したい私」
「目の前のことを面倒くさいと思う私」



数え切れない程の人格がいて、私という自分が構成されています。



私たちは、この数多く存在する人格にジャッジメントを加えていきます。



例えば、「人のお役に立ちたい私」はOK
「自分さえ良ければよしと思い私」はNO



という具合に。



自分の中の人格の中でOKとした私だけが私と思う、いや、思いたいのです。



それは、理性からのジャッジメント。
その中には、その人が活きていくうえで培った思い込みや観念も含まれます。



この場合の理性は、その人における正しさです。
その人の正しさという観点だけで物事をジャッジメントしていきます。



すると、どうなるか?



自分自身の正しさという観点で人を見ます。



自分自身の正しさに当てはまるものは正しい。
当てはまらにものは間違い。



こうして、自分の正しさを人に押し付けていきます。
あるいは、口に出さないが相手を否定していきます。



私たちは、こういうことも教えられてきました。



物事を主観的ではなく客観的に見るようにと。



自分の正しさだけで判断するということは主観的。



理性とは、本来、人に迷惑をかけない。
あるいは、人のためにお役に立つという想いです。



しかし、理性だけで判断してしまうと主観的になるという
ことは、本来の理性に反して人を不愉快にするのです。



この矛盾はどこから来るのか?



話しを元に戻すと、



私たちは、様々な人格を備えていると冒頭で書きました。



その様々な人格にジャッジメントを加え、良い自分、悪い自分
としてしまいます。



どうも、この辺に問題の本質がありそうですね。



その辺りは、また次回にて。




















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2016-06-29 19:56:50

存在そのものが価値

テーマ:ブログ
存在そのものが価値!
存在してるだけで価値があるなんて言われても、なかなかピンとこない!



そう思うことは仕方ありません。



私たちは、人より優れることこそ価値があると、ずっと教えられ続けてきたのですから。



私も、自分の無価値感に苦しんだひとりです。



人より秀でた特別な才能も能力もない。
それなのに、何の努力も工夫もしない。
頑張ろうと思って目標を立てても三日坊主。
おまけに身体的コンプレックス。



こんな自分が大嫌いでした。
自分なんて生きてても何の価値もない!



そんな自分から脱したいと思い、成功哲学や心理学を学びました。



しかし、もがけばもがくほど苦境の連続。



だから、存在そのものが価値と言われても、ピンと来なかったのです。



でも、今は違います。



存在そのものが価値であるということが受け容れられます。



何が変わったのか?



未だに、人より秀でる能力も才能もありません。



しかし、改善する努力と工夫はできるようになりました。
それは、物事がうまくいかないときに人のせいにしなくなったからです。



自らの非を認めることにより、反省改善ができるようになりました。



そして、反省改善から目標が出来ます。
その目標は、、自分にとって必要と思える目標ですから
三日坊主はなくなりました。



身体的コンプエックスは?



今は、加齢により、しわも増えました。
より、華奢になりました。



でも、これが私です。



ただ、やせすぎは不健康そうに見えますので、自分の
身体と相談しながら、体重は落とさない努力はしています。



自分の身体への対処が、以前より随分わかるようになりました。



何が変わったかを一言でいうと、



自分のことをより知ったということです。



自分のことを知れば知るほど、どういう気持ちになったか?



私は私。



決して、人と比較して私という人間が存在するのではないということです。



もちろん、今の私に胡坐をかくつもりもありません。



良いこちは良い。
悪いことは悪い。



己に非があれば改める。



そして、毎日少しづつでも進化していく。



そういう気持ちが自然に持てるようになりました。



人と比較することが減ったことが大きいと思います。



よりよく自分を知ることにより、自分の特性を活かし、
自分のできることで、世の中に貢献したい。



そういう気持ちも自然に湧きあがってきました。



人のお役に立ちたいのは、人間の本能でしょうから、
本当は自然に湧きたつものだと思います。



よって、人間の価値と貢献度は分けて考える必要があります。



自分の存在そのものが肯定できれば、自然に人のお役に立ちたいと思えるからです。



それは、本能なのですから。



しかし、世の中に貢献できない自分は価値がない。
だから、世の中に貢献できるような何かがしたい。



そう考える人多いです。
私もそのひとりでした。



これは、自身の欠乏感を埋めるだけのものです。



そして、義務なのでしんどいのです。



原因は、自分のことをわかっていないのです。



人との比較により価値を測るのではなく、まずは、じっくり
自分自身に興味関心を向けてみる。



そして、自分を知れば知るほど、人との比較で価値が決まる
ものではないということがわかってきます。



自分は自分なのです。



それを受け容れることこそ価値なのです。












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2016-06-27 20:32:35

最初が肝心Ⅱ

テーマ:ブログ
公費の公私混同問題で辞任に追い込まれた舛添元東京知事。
自分の非を認めずに釈明ばかりすることにより総スカン。
これを見て我々は、自分の非を認めることの重要性を学ぶ必要がある。
しかし、自分の非はなかなか認められない。



そんなことを前回書きました。



仕方ありません。



人間には防衛反応があります。



自分のことを無意識に守るように出来ています。



私も、自分の非を認める前に釈明してしまうこと。



よくあります。



よって、舛添氏のこのたびのことを見て痛感しました。



相手の気分を害したのであれば、まずは謝ること。



しかし、なかなか謝れませんよね。



謝る=負け。
負けることは、自分の価値を下げること。
勝つことが良くて、負けることは悪いこと。



そんな観念が付きまとってきます。



自分の体裁を守るためにも、負けてはいけません。



よって、謝罪ではなく釈明して、更に相手の気分を害していくのです。



さて、・・・・・。
負けると自分の価値が下がるのでしょうか?
勝つことが良くて、負けることは本当に悪いのでしょうか?
そもそも、そういう価値観がなぜ出来上がってきたのでしょうか?



そのためには、人間の価値とは何か?



定義づける必要があります。



人間の価値とは、



存在そのもの。



例えば、赤ちゃんは可愛いですよね。



でも、赤ちゃんはひとりでは何もできません。



手がかかります。



しかし、周りは喜んで赤ちゃんの世話をします。



そして、存在そのものを喜んでいます。



本来は、存在そのものに価値があるのです。



しかし、いつしか人との比較の中で良し悪しを決めていくのです。



くどいようですが、人間の価値は勝ったとか負けたで測れるものでありません。



存在そのものが価値なのです。



ただ、自分が存在しているだけで喜んでくれている人がいる。



それが価値です。



でも、存在そのものが価値と言われてもなあ!



なかなか受け容れない人もいるでしょう。



かつて私も受け容れることのできなかった一人ですから。



では、なぜ、受け容れられないのか?



その辺りは、また次回にて。



































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