人生の脈絡と惰性
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
昨日の晩ご飯はラムチョップグリエのマントビネガーソース。
奮発した!奮発した!奮発した!しかもグリエとかいってナマイキぃーー!
ラムチョップって需要が少ないせいか、非常に高いですね。4本で1200円くらいした・・・ちょーっとしかお肉ついてないのに・・・
はじめて料理で使いましたが、かなり美味しくできました。まぁマグレだと思うけど(笑
そしてマントビネガーソースは酢を使わないのにビネガーソースなんだな・・・ミステリー・・・
もう一品はグリンピースのポタージュ。これも私なりに上手に出来ました。
やっぱ裏ごしは結構体力が必要なんですけど、昨日ちょっとだけコツが分かったような気がします。
今までヘラでやっていたけど、オタマでやったほうが早く終わるクサイ・・・
それと、こういうスープは多めに作っておいて翌日は冷たくして飲むのもいいですよね。
今週は彼女の仕事が忙しくて久しぶりの残業週間になりそうです。こういうときは精がつきそうな食事を出してあげたいと思っています。腕が鳴ります。
昨日の記事では「自分が決めたことを忠実に守った結果、想像以上の成果をあげることができた」という話をさせて頂きましたが、コメントを拝見していていろいろ思った所があります。
少し前に「自分との契約 」について私なりの考えをご披露いたしました。昨日の話とかなり同じ内容な気もしますが(笑)いずれにしても私は自分が設定したルールを守る上で、たいした努力をしていません。
昨日は赤字で売らない!自分は一円ももらわない!ということを続けて成果を上げた話でしたが、この2つの契約(ルール)を守るために「がんばった!」っていう意識は全くないんです。
そしてこれは別に私が特別なわけでもなんでもなくて、誰もが当たり前にやっていることだと考えています。
例えば私はレストランで
「コーヒーになさいますか?紅茶になさいますか?」
と言われたら、必ず、100%の確率で
「コーヒーで。食後に。」
と言います。紅茶を頼んだことは、記憶している限り一度もありません。
紅茶が嫌いなんじゃなくってコーヒーがとにかく好きなんです。1日1リットルは飲んでいます。
私はある意味でコーヒー契約を結んでいるのかもしれない。もちろん契約をする相手は自分です。
そして、毎回コーヒーを注文するときにがんばって注文しているという意識は全くありません。当たり前やけど・・(笑
ところで、外見からは私が自由な気持ちでコーヒーを選んでいるように見えますが、はたして本当にそうでしょうか。
実はそうではなくて、私は自分の人生の脈絡を保持するためにコーヒーを注文しているとも考えられるのです。
オーバーな言い方かもしれませんが、自分が自分であるためにコーヒーを頼むんです。
「私はコーヒーを頼む人なんだ」という一貫性を、自分の人生に求めている・・・
これは以前eiさんにお会いしたときに教えてもらった思想で、確かに!なるほど!とうならされました。
私は、自分の人生にコーヒーを頼むという一貫性を求めるのと同じように、商売のやり方にも自然とそれを求めています。
そして、一貫した私の流儀を継続するのは基本的に努力を必要としません。
逆にそれからずれたことをしろ!と言われたら困るかもしれない。
コーヒーを頼み続けるのも、赤字で売らないというルールを守り続けるのも、努力してやっているわけではないんです。
私はそこそこヘヴィースモーカーです。
タバコ歴は15年近くになるんですけど、アウトロー時代は純粋にイキがってタバコを吸っていました。そして、やはりイキがって吸い殻をあちらこちらに投げ捨て、カカトでぐりぐりーって消すのがかっこいいと思っていました。
関東に住むようになってからは、私は今まで一度もタバコのポイ捨てをしたことがありません。これは自慢できることじゃないですよね、当たり前だから。
ただ子どもらしくイキがっていた私がポイ捨てをしなくなったのにはきっかけがあります。
それは、外人がポイ捨てしているのを見かけたから。
なんだこいつ!人の国に来て汚していきやがって!
そう思ったわけです。そして関東に来て自分がヨソ者であることに気づいて、自分はこの街を汚してはいけない、汚す権利がないと思うようになりました。
こういった些細なきっかけで私は携帯灰皿を持ち歩くようになりしばらくそれを続けていましたが、そうするといつのまにかそれが習慣になって、携帯灰皿に吸い殻を入れるのが当たり前になります。
もっと言うと、私がポイ捨てをしないのは惰性でやっていることなんです。
逆に「ポイ捨てしなさい!」と誰かに言われたとしても非常に困ってしまうと思う。
今まで10年も続けてきたのに!一貫性が!契約が!となるわけです。
ルールに反した行動を取るのがキモチワルイと思うことでしょう。
確かに一番最初には小さなチャレンジが必要ですが、習慣になって惰性で出来るようになると、そこにチャレンジは存在しません。
私が商売で設定したルールも最初はチャレンジがあったかもしれない。
しかしほんとうにわずかの間であってもそれを続けることで、自分の体に習慣としてしみこませることが出来ました。
契約を守り続けることに対して、なんらの努力も必要としません。
また契約に対するストレスも全くありません。
がんばったという意識が、ほとんどゼロなんです。
それは私がレストランでコーヒーを頼むのと同じ、私がタバコのポイ捨てをしないのと同じ理屈。
私が自然と自分のビジネスに一貫性を求めているからだと思います。
契約を続けることよりもはるかに多くのエネルギーが必要なのが契約の変更だと考えています。
そう、実は続けることは難しくありません。それよりも適正に判断してルールを変えることのほうがよっぽど努力と勇気を必要とするのです。
過酷な環境であっても、職場に通い続けるよりは、辞表を提出することのほうがずっと勇気が必要です。
続けることは尊いことですが、なんていうか・・・そんな大したことじゃないんだなーなんて思うんですね。
逆になにかを続けたいと思った場合は、それが習慣になるまでチャレンジするのが秘訣だと思います。
習慣になってしまえばしめたもの。あとは自然と、勝手にそっちの方向に走り出します。