ゆとり教育について | 複雑系レトリック~自営業白書~

ゆとり教育について

一週間ほど前ですが、新聞に学力の国際調査についての記事が掲載されていました。その内容は決して明るいものではなく、私達の文明の根幹を揺るがす大問題が発生していると言えます

まずこの図をご覧ください。

これはまったく同じ積み木を図のように3種類の置き方で、はかりで重さを測るというものです。
① 左のはかりのめもりが一番重いところをさす
② 真ん中のはかりのめもりが一番重いところをさす
③ 右のはかりのめもりが一番重いところをさす
④ ぜんぶ同じ重さをさす



正解はお分かりですね。そう、④です。全部同じ重さをさします。
この問題の日本の小学4年生の正解率はなんと66%でした。
(国際平均の72%よりも6ポイント低い結果)

3割以上の子供が「はかりの上に物をおく場合、その置き方で重さが変わる」と考えているといえると思います。

体重計の上でどんなポーズをとってもくたびれるだけ。体重計は冷酷にあなたの重さを突きつけます(イラスト参照)。

そもそもゆとり教育は詰め込みのために時間を失った子供たちに考える・工夫する機会を与え、豊かで柔らかい脳みそと生きる力を獲得してもらうのが目的です。たしかに聞こえの良い、理想的に思える方針です。しかし、結果的にこの目的は達成されていません。
つまり「創意工夫して生きる力を身につける」ために「ゆとりを与える」という方法が間違っています。
このことは文科省も認めた上で来年に改善策が取られますが、私は個人的にこのようなやり方に対して憤りを覚えます。

この問題は子供に何の罪もありません。それどころか、彼らは明らかに被害者です。教育というのはある程度の詰め込みを必ず伴うものだと考えています。知らないものを知るためには覚える必要があり、覚えるために繰り返し練習を行うのは社会に出た後でも必要となる大事な習慣です。

それを一度子供から奪っておいて、うまくいきませんでしたのでやっぱり変えます、というのはどういう了見でしょうか。
私が言いたいことは一つ、

子供を実験台にするべからず

そもそもゆとりを与えることによって「豊かな考える力を持つ個性ある社会人」が出来上がると考えたのはなぜでしょうか。どんな確信があってこの手段を採用したのでしょうか。
これでは体のいい人体実験と言われても仕方がありません。

しかもこの方法は平成に入ってまもなくアメリカなどで採用された後、失敗に終わったという前歴のあるいわく付きのものです。こうなったらもう趣味の世界ですよ。

私は他のことでは「なんでも試してみる」ことを反対しないほうですが、教育というのはまた別格です。
なぜなら、これらの方策が子供の人生に大きな影響を与えるだけでなく、その結果が見えてくるまでに相当の時間を要するからです。
結果が見えるまでは半分手放しの状態にならざるを得ず、いい方法なのか悪い方法なのか判断できませんし、後で取り返しがききません。

私はこと教育に関してはむやみやたらと手を加えるべきでないと考えています。

今回の改正でも、新聞紙上などでは「単純に元に戻すべきでない」という意見もちらほら見られますが、じゃあいったいどういう風に変えるべきだというのでしょうか。そしてそれが「改悪」でなく「改良」だということをどのように担保するのでしょう
私は今回のゆとり教育については「単純に元に戻すほうがいい」と考えています。

そもそも学校では言われているほど詰め込み教育だったとはどうしても思えません。詰め込みをしていたのは放課後、つまり塾です
塾というのは家庭と子供が選択することができるものですから、詰め込んで将来幸せになると思っている家庭はそれを選択すればいいと思います。そうでないと思うなら、それなりの塾を探すか、それとも放課後は遊んでいることでしょう。
仮に教育指導要領を元に戻し、土曜日も授業を行い、総合学習をやめたとしても学校が詰め込み教育のそしりを受けることはありません

詰め込み教育が塾で行われるのはニーズがあるからに他ならず、学校がどんなやり方で教育を施してもそれを選択する家庭は必ず存在し続けます。
現場と乖離した偉い人達がよけいな一手を加えて問題がさらに複雑になるよりは、元に戻したほうがはるかにマシだと考えています。