スペインワインあれこれ 24 | 神楽坂スペイン料理 コメドールエルカミーノ&エルカミーノ

神楽坂スペイン料理 コメドールエルカミーノ&エルカミーノ

飯田橋・神楽坂にあるスペイン料理コメドールエルカミーノ。鉄鍋“オジャ”で作る米料理“アロスメロッソ”が当店の自慢の一品。時期によって変わるコース内容を載せています。また同じビルにあるスペインバル・エルカミーノのメニューをブログにもアップしています。

伝統的なリオハとモダンなリオハ 14

 

・70年頃のリオハ

 

さて、やっとリオハです。

フィロキセラ禍や世界大恐慌、戦争など大変な時期を乗り越えて、リオハは生産量を伸ばし、スペインの優良なワインの産地としての地位を確固たるものにしていきました。そして1970年代になると、海外の大手資本やバスクの企業、アンダルシアの大手シェリーメーカーなどによるリオハのワイナリーの買収や、新しいブランドの立ち上げなどが活発になります。

 

その結果なのかは断定できないのですが、リオハは70年代には生産過剰ぎみになり、質の低下を言われるようになったようです。もちろん安定して美味しいワインを供給し続けるワイナリーはありましたし、それまでのリオハワインとは一線を画すスタイルのワインが生まれ始めたのもこの時期です。ただ大手資本による買収は、「リオハ」という産地の持つブランド力を求めたもので、質よりも量に重きをおく傾向があったようです。その結果ぶどう栽培農家にはより高い生産性が求められ、収量の低い古木を引き抜いたりもしたとかしなかったとか…。

 

また、ついこの事と絡めて考えてしまいたくなるものに、この時期までのガルナッチャの栽培面積の増加、があります。リオハにおけるガルナッチャの栽培面積は1973年頃にはテンプラニージョを抜いて1位になります。伝統的なリオハの赤ワインは、テンプラニージョを主体に幾つかのぶどうを少量づつブレンドしてつくられることが多く、その点から考えてもテンプラニージョが最も広く栽培されてきたのは理解しやすいのですが、なぜガルナッチャの栽培面積がここまで増えたのか?

 

ちなみに、ガルナッチャがリオハで栽培されるようになったのは、リオハがフィロキセラの被害から立ち直る際に行われた再植の時からだ、という説があります。だとすると少なくとも20世紀になる前まではさほど目立つ存在ではなかった事になります。その後リオハを代表するワイン達が、ガルナッチャの比率を上げてつくられるようになった、という話も聞きません。ではなぜガルナッチャの栽培面積は増え続けたのでしょう?

 

…残念ながら私にはその確たる理由はわかりません。この時期がフランコ体制の末期である事や、大きな資本の流入、まだ他の産地の台頭があまり見られない時期である事、ガルナッチャというブドウに対する一般的な評価、などから色々妄想は膨らむのですが…。

 

この後ガルナッチャの栽培面積は減少して行き、現在では全栽培面積の11%ほどになっているそうです。一方テンプラニージョはその80%以上を占めるにまでなっているとか。

今となっては、古木のガルナッチャ(最も古いものならばフィロキセラ禍以降のもので、100年を超えるものがあるはずなのですが)が引き抜かれてきたことを惜しむ声も多くあります。またそういった古木のガルナッチャを見つけ出して、大切に守り、ワインをつくっているつくり手もいます。

 

7,80年代以降テンプラニージョの栽培が再び激増するきっかけのひとつは、「モダンなリオハ」の登場でもあるのですが、それはまた次回。