2009.09.11. | la comedie humaine

la comedie humaine

なんだか毎日喜劇。「主役みたいなセリフを言うひとがいなくても、物語を変えるのは演じているみんな。それに人によって主役のセリフなんて違うしね。普通にポロッと出た言葉が意外とかっこいいのさ」ですって◎

「先生、うちの息子にはしっかりゲンコツでご指導ください」
オオハシとぼくはよく頂いた。重い一発ほどぼくの画面は上から大きく歪む。3、4年の担任は金太郎先生だった。先生は毎朝中山の方から走って通ってきていた。名前が金太郎なのだけど、4月以外は名前どころではなかった。

小学校の担任は4人いたが、金太郎先生のつけた評価が一番低かった。6年間同じクラスのイセさんは、この前会ったときに「いちばんひねくれたマツダイラ先生でも、ヒデヒコは気に入られてた」と話していたけれど、ぼくは金太郎先生の黄色の目が苦手だった。

父は金太郎先生と仲が良かった。ときどき飲みに行っていた。担任が変わって、金太郎先生の奥さんが高速で事故に遭われた。大事故だった。父と上野原と信濃町にお見舞いに行った。

「学校の外で学ぶときは欠席させます」
学校の外といってもN能研ではなく丹沢八ヶ岳穂高裏銀座。ランドセルではなくミレーのザック。登って下りた。花好きの母をよそに、二人は森林限界を越え、それから下りた。


la comedie humaine◎


ポプラ並木、クローバー、海岸。
ぼくの20代は平らなところばかりで、山はごぶさた。平面の中での移動にすぎず
二次元をさまよっていただけだ。卒業のときの文章もその通りのことを書いている。この間今まで世話になった川を書き出してみた。自転車も畑もジョギングも、川に沿って進めてきた。この夏は海につながっていることを覚えた。書き出してみたのは、川との関わりの中で見出してきた昨今の自分を振り返るため。マダムチアールは、川に沿って人は住まい、文化を生んだとフランスの地歴を教えてくれた。厳しい先生でみんなは嫌っていたし、居眠りして廊下に立たされたけど、一回だけぼくのジョークを笑ってくれたことがあった。鬼が目と口を緩めたとき、マダムはおかあさんの顔をしていた。教員控え室だったから、ほかのひとは知らない。金太郎先生にはそれが通じなかった。金太郎先生を思い出していたら、今の指導教授につながってしまったものだから悔しい。

川の話に戻そう。平らを進むぼくは森に迷い込むのでなく、行き先が海の川に従う。三次元の大空ではなく、二次元の線路の上を進む。いつしか安直なものに傾く自分が現れる。

昨日は父の還暦の誕生日だった。このことを考えていた。いや、考えない為に千羽鶴を進めた。20代に会ったのは一度きりで、3分くらい。前から昨日がチャンスだと思っていたのだけど、ぼくは動かなかった。わだかまりなく通りすぎていくすべてのこと。ぼくはその1つにした。意見せず送り出し、ただ過ぎてゆく毎日と同じものにした。
だからラジオドラマの必死なひとたちに心が落ちた。