8月12日は空の事故の日、ぼくはこの日、事故機に乗っていました。1985年8月12日の当日の千歳から羽田の504便に。札幌から横浜に向かいました。長いこと忘れていました。丸い食卓を囲み、ぞくっとしたことを覚えています。以来、鉄道一筋。飛行機は封印していました。
・事故当日のJAL123便 ( Wikipedia
より)
「当日は503・504便で羽田~千歳、363・366便で羽田~福岡を往復し、伊丹行き123便で5回目のフライト。伊丹到着後に折り返し、130便として伊丹発羽田着の最終便を運航する予定であったため、燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量を搭載していた。」
――改めて、安全な空の旅が保たれるようお祈り致します
ぼくが鉄道をネタとして公言しはじめたのは、ここ何年かのことです。自動車免許をもっていないことの言い訳のひとつとして、見い出したのだと思います。純心でなかったのは確かです。当時「どこへでも」だった自転車の話をするのと同じように「電車」を唱えはじめたのだと思います。ただし、昨今のように「エコ」のヒレはつけずに。
ぼくの言い分:「電車はみんな座るだけなので平等&安全、自動車は運転するひとが大変で不平等&危険」、これは今も同じです。だから留学生の迎え見送りで何度となく行った成田空港、1回を除いて若者同士で行ったことはありません。それでも親しい友人にほどそのクルマを頼ってお願いすることが多々ありました。輪島往復の際、免許をもたない自分の情けなさは最高潮でした。MS
のおかげでクルマからはさらに遠ざかり・・・、ようやくでした。
さきほど、いたばしのファミリアにお盆の予定のおうかがいで電話をかけたところ、「銀座まで三人で自転車で来てるのよー!」と元気いっぱいでした。すばらしいことです。「5年後は、ジョギングで銀座を走っていることでしょう」、なんて返事をすぐには思いつくわけもなく、「あらら、すごいですね。また連絡します」だけでした。
あさっては、早朝七里ヶ浜まで、午後宍道湖西口まで、どちらを走ろう