『やさしい社会2』をようやく読み終えた。
ここのところずっと忙しく、なかなか本を読む時間が取れなかった。読み始めてから読み終えるまでかなり時間が経ってしまった。
この本を読むと、アズワンコミュニティがなぜうまくいっているかがよくわかる。
どうやら、彼らは人間関係という部分に一番エネルギーを注いでいるようだ。みなが幸せで、自由で、仲がいい社会を目指し、それを何よりも優先しているようだ。
実は、これは非常に難しいこと。
多くの人は、一般の社会に問題があり、その代替となる社会を目指して取り組めば、よりよい社会ができると思っている。例えば持続可能なシステムを目指したり、スピリチュアルなシステムを目指したりすれば。
ところがそううまくはいかない。時にはそうした代替システムを目指したことでより不自由になったりすることもある。
例えば、スピリチュアル系のセミナーや商品を扱っている会社で従業員が地獄のような日々を送っている会社を僕はいくつか知っている。残業に追われ休む暇もない。
環境系のNPOで、やはりスタッフが超多忙な生活を送っている所もある。
それらはみんな高い理想を掲げ、社会をよりよい場所にしようと日々奮闘している。
その理想を実現させることが優先され、スタッフの労働環境がないがしろにされているのだ。理想が高ければ高いほど、自分たちの生活を犠牲にしてでも実現させる価値があると思いこんでしまうようだ。
アズワンでは、スタッフの労働環境がひどくなるのなら、
事業自体をやめるそうだ。いくらそれが崇高な目的につながっていたとしても、それでは本末転倒だということで、立ち止まるという。
では、どうすればみなが心地よい状態で働けたり、暮らしたりできるのだろう。
そのために、まず、一人ひとりが、そういう状態をつくれる人間になろうとしているそうだ。
そのひとつが『人を聴く』に出てくる聴ける人になること。
実は、この聴ける人というのがなかなかいない。
僕自身、50年生きてきて、ほとんど出会ったことがない。スピリチュアルな探究をしていたり、持続可能な生き方を実践しているような人でも、この「聴く」ということがなかなかできていないようだ。
いや、むしろそうした思想を強く持っている人ほど聴けていないというのが僕の印象だ。
『百姓レボリューション』に登場する新村ケンは聴ける人の一人だと思っているが、彼にこそ一番思想がないのだ。(笑)
サイコセラピーのワークには傾聴ということを重視したものも多く、例えばグループ・シェアリングなどでは、人がシェアしている間は口を挟まず話し終わるまで聴いている。ましてシェアしたことに反論したり、否定したりしない。
だから、聴くことのできる人たちが世の中に全くいないわけではない。ただ、それが職場やコミュニティとして生きている場所はなかなかない。
定期的にグループ・シェアリングをしている人たちでも、その時間はそれが実践できているが、一歩家庭に戻ったり、職場に戻ったりすると変貌する。
僕だってそうだったから。職場は戦場みたいなもので、そんな所で丁寧に聴いていたら生き残れない。相手だって聴かないんだからこっちだって聴かない。(笑)
そういう意味では、その集団のメンバーがみなで取り組まないとなかなかうまくいかない。
アズワンコミュニティを訪問した人の多くは、よくわからない場所という印象を持つようだが、この本を読むと、コミュニティのあり方がよくわかる。
『やさしい社会2』