こんにちは。『天上のシンフォニー』の著者、伯宮幸明です。「天上のシンフォニー制作委員会」が立ち上がってからずっと、著者の素性を公開せずにきました。コラムに登場したり、読み終わった人たちの交流の場である掲示板「SGTクラブ」に登場することはありましたが、素性に関することだけは語ってきませんでした。しかし、3000人の読者が集結し、正式出版用原稿を書き上げた今、いよいよ公開する時がやってきました。


今日発表することになった経緯については日記のほうをご覧ください。
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★イギリス生活★


過去二十数年間ニューエイジ・ムーブメントに関わってきていますが、最初に出会ったのはイギリスでのことです。二十代の前半をイギリスで過ごし、サセックスにあるブライトンという町に住んでいました。シュタイナー哲学、指圧、サイコセラピー、催眠療法などを幅広く勉強し、自然食やエコロジー運動、平和運動にも関わりました。スコットランドにある共同体フィンドホーンにも行きました。『天上のシンフォニー』の主人公、中山悟の背景となっている部分はここから来ています。


★セミナー講師★


帰国後、イギリスで学んだことをベースにセミナーの講師を始めました。主に催眠療法、加速学習、能力開発などのセミナーを開きました。催眠療法というのはミルトン・H・エリクソンが開発したエリクソニアン催眠療法で、悟がそれを学んだ設定になっているのもここから来ています。カナダにも渡り、カナダ人相手にいくつかの講演会を開きました。セミナー講師を4年ほどやった後で、小説を書きはじめました。



★小説の執筆★


執筆に関しては前々から興味があり、体験記のようなものを書いていました。しかし、小説を書こうと思ったことはありませんでした。読む本もほとんどがノンフィクションで、小説は全く読みませんでした。


ところが、ある日ラジオで宣伝していた小説がどうしても読みたくなり、近くの貸し本屋で借りてきて読んだのです。村上春樹の『国境の南 太陽の西』という小説です。その瞬間、全身が衝撃に包まれました。その衝撃は半端ではありませんでした。読書中、別次元に飛んでしまったかのように、物語の世界に没頭しました。世の中にこんなに面白いものがあったのかと、ただただ感激でいっぱいでした。自分も書きたい。この感動を多くの人と共有したいと思ったのです。


数週間後、私は小説を書きはじめていました。三ヶ月間、気が狂ったように書き続け、長編小説が完成しました。『味噌汁ロマンス』という小説です。主人公の高岡アキラは理想の女性に出会いたいと思っています。そこで催眠療法家の先生を訪ね、そのような女性を引きつける暗示をかけてもらおうとします。ところがこの先生という人が少し変わった人で、アキラに毎日味噌汁を一時間かけて食べろというのです。そう、飲むのではなく、食べるのです。そこから物語が始まります。


ただ、文学青年ではなかった私は文章が下手で、文章修業が必要でした。今までのぶんを取り戻すかのように片っ端から小説を読みました。村上春樹、村上龍、三島由紀夫、吉本ばなな、山田詠美、椎名誠、北方謙三、大江健三郎、橋本治、森村誠一、シドニィ・シェルダン、ジョン・グリシャムと、多岐に渡って60冊近く読みました。執筆も続け、その年は短編も含めて全五作を書き上げました。翌年は少しペースダウンして、『もし……』という長編を一作書き上げるのみとなりました。すべてスピリチュアルな話です。


出版社への持ち込みや賞への応募も行いましたが、どれも結果にはつながりませんでした。



★テレナローザ・梨衣さんとマリアエネルギー★


そんな頃、スピリチュアルなことを題材にした映画を作りたいという映像プロデューサーに出会いました。テレナローザ・梨衣さんです。ストーリーを探しているということで、早速、私はいくつかの原稿を読んでもらいました。そのうちのひとつに彼女は興味を持ったのですが、阪神淡路大震災の影響で、映画を作るという話は白紙に戻りました。


けれども、彼女は幼少の頃から特殊能力を持ち、霊や天使など様々な霊的存在と交信することができたのです。そしてある日、マリアエネルギーという意識体が彼女にコンタクトし、交信するようになりました。聖母マリアが昇天し、多くの人の祈りによって拡大したエネルギー体であり、女神エネルギーの集合体です。


私はテレナローザさんを介してマリアエネルギーに質問を始めました。私が質問を紙に書き、それをテレナローザさんが読み、自動書記でマリアエネルギーの答えを書くというものです。そしてその質疑応答の模様を一冊の本にまとめることにしたのです。題は『マリアエネルギー』です。


マリアエネルギーは、変革の時代を無事通過するための指針を、数多く伝えてくれました。また、当時私が感じていたニューエイジ・ムーブメントの問題点についても、非常にわかりやすく納得のいく答えを示してくれました。これは、質疑応答の記録と共に、疑いを持っていた私が、マリアエネルギーを信頼するようになるまでの過程を、描いたものです。


これもいくつかの出版社へ持ち込みをしたのですが、いい返事はもらえませんでした。それでも、私たちは執筆を続け、続編を書くためにイスラエルまで足を運びました。現地でキリストのエネルギーを感じながら、マリアエネルギーに質問しました。エルサレム、ガリラヤ、エジプトのシナイ山と、聖書に出てくる地を訪ね、キリストやモーセが感じたことに思いを馳せました。


翌年はインドに行きました。キリストの次はブッダ。この二つが融合することによって、東西の融合が起きると思ったからです。インドではコルカタとブッダガヤに行き、コルカタではホテル・パラゴンに泊まりながら、マザー・テレサの「神の愛の宣教者会」を訪ねました。マザー・テレサが亡くなられる直前の、最後のクリスマス・ミサにも同席しました。ブッダガヤでは、ゴータマ・シッダールタの生涯に思いを馳せながら、マリアエネルギーに質問しました。


『マリアエネルギー』の原稿をいろいろな人に読んでもらっている時に、これをモチーフに、SFか冒険小説のようなものを書いたらどうかと、ある人が言ってくれました。それで誕生したのが『天上のシンフォニー』です。イギリスで学んだこと、セミナー講師時代に学んだこと、執筆修業で学んだことなどのすべてを、この作品に投入しました。七作目の小説になります。フィクション、ノンフィクション合わせても、自分の中では最高の作品でした。早速、この作品の持ち込みを開始しました。


『マリアエネルギー』が「第一回たまノンフィクション大賞」の優秀賞に選ばれたのは、そんな時です。そして翌年の1998年、たま出版より出版されました。池沢美明という名前で出しました。同時期にテレナローザさんが結婚し、出産したので、しばらく、マリアエネルギーに関する講演活動等ができなくなりました。私も意識が『天上のシンフォニー』のほうに向いておりましたので、その出版化に向けた活動に集中しはじめました。



★『天上のシンフォニー』の挑戦① 出版社への持ち込み★


すでに一冊出版している著者とはいえども、状況は大変きびしいものでした。本が売れない時代ということで、その頃から出版業界も苦戦していました。いくつかの出版社に持ち込みをしたものの、結果には結び付きませんでした。いい所まではいきました。某大手出版社の副編集長に話を持っていった時、三十分だけなら時間を取っていただけるということでした。お会いして原稿を渡した時も、「2ヶ月先まで読めませんがよろしいですか?」と断った上で預かってくださいました。2ヶ月先なら当分答えは来ないだろうし、読んでもらえない可能性もあると思っていました。ところが数日後、彼から電話があったのです。「今10章ぐらいまで読みました。ものすごい話ですね。明日から海外出張で戻りが1ヶ月先なんですが、これ、他の出版社へ持ち込むのを待っていただけませんか?」


ということで、状況が一転したのです。最後まで読み終わった後でも、気に入っていただけました。そして、編集会議に……。しかし、編集長のオーケーが出なかったのです。「本当に力不足で申し訳ありません。でも、この作品は必ずどこかから出ると思います。絶対に諦めないでください」というのが副編集長の言葉でした。



★『天上のシンフォニー』の挑戦② 英語での出版★


最終的な目標は海外でも出版することでした。いや、自分の中ではそのことのほうが重要でした。何人かの方々からも、スピリチュアルなことに興味を持つ人口が圧倒的に多い欧米でのほうが、高い評価を得られるのではないか、というコメントをいただきました。そこで、日本の出版社への持ち込みをやめ、先に英語での出版を実現させようと思ったのです。


まずは、作品を帰国子女の友人に翻訳してもらいました。英語を話すことはできましたが、文章を書くことは語学において一番難しいことです。20ページの論文ならともかく、原稿用紙1000枚の文学作品を書くまでの力はなかったからです。ただ、友人も小説の翻訳は全く初めてで、まして、スピリチュアルな分野に詳しくない人でしたので、手直しが必要でした。その手直しの作業を自分でしました。自身の英語文章力を高めるために、英語で数多くの小説を読みました。『タイム』や『ニューヨーカー』などの雑誌も定期購読しました。英語での文章力は日増しについていきました。


原稿がある段階まで仕上がった時、アメリカのリタラリー・エージェントに手紙を出しはじめました。向こうのシステムでは、小説を出版するためにはまずエージェントを見つけなければなりません。エージェントが手紙を読んで興味が湧けば、サンプルとして最初の三章を送るように言ってきます。それでも気に入れば、残りの原稿を送るように言います。それで評価されれば、契約。契約が成立すると、エージェントは出版社に持ち込みを始めます。


つまり、まずは一枚の手紙でエージェントの心を掴まなければなりません。しかも、他の商品の売り込みと違い、手紙の文面そのものが評価の対象となるのです。そんな手紙を、母国語でない言語で書くのは容易いことではありません。


ただ、この頃、私の英語文章力は、友人に翻訳を依頼した時とは格段の差がありました。エージェントについて調べ、各自宛に30通近くの手紙を書いたのです。そのうちの5、6人からサンプルを送ってくれという返事が来て、1人からは全原稿を送ってくれという依頼が来ました。


しかし、それでも結果には結び付きませんでした。


そこで、全面的な書き直しを行ったのです。この作業は日本語で行う倍以上の時間がかかったので、本当に大変でした。それでも数回に及ぶ書き直しをし、他のエージェントに売り込みました。が、結果にはつながりませんでした。


その時、重要なことに気づいたのです。なぜ英語圏以外の人間がアメリカで本を出そうとしているかという疑問を、みな持つということです。その疑問は、なぜ日本で出版されていないのだろうという疑問につながります。つまり、最初からマイナス要因を掲げてアプローチしていたわけです。



★『天上のシンフォニー』の挑戦③ 再び日本語で★


ということで振り出しに戻りました。英語版でしか存在していなかった最新版を日本語に翻訳しました。そして日本での持ち込みを再開しました。


それでも結果にはつながりませんでした。


しかし、私は諦めませんでした。成功哲学の講演家アンソニー・ロビンスの教えを実践していたので、「諦めない」と「やり続ける」の2文字がしっかりと心に刻まれていたのです。また書き直しました。書き直すといっても、フルタイムの仕事を持っていたので、執筆に費やせるのは休日のみです。休日だけ使ってやった場合、約2ヶ月(16日)かかる作業です。書き直し持ち込むという作業を、数回に渡って続けました。


それでも実を結ぶことはなかったのです。


通常ならばとっくに諦めています。他の作品の時はこれほどまでに、やり続けることはありませんでした。次の作品に移っていました。しかし、この作品だけは捨てられなかったのです。例の某大手出版社の編集者の言葉が頭から離れなかったからです。「必ずどこかから出る作品です」


さらに、お読みになった方はおわかりだと思いますが、この作品は自分だけのものではないという認識がずっとありました。実は、そのことだけは表には出してきませんでした。小説は小説として勝負すべきであり、そこにそれ以上のものを掲げるべきではないと思っていたからです。しかし、心の中では常に責任の重大さを意識していました。


そうこうしているうちに、7年の歳月が経ち、日本語、英語を合わせると、計15回以上の書き直しをしていました。1000枚の原稿も100回以上目を通しています。


しかし、結果には結び付きませんでした。



★『天上のシンフォニー』の挑戦④ メルマガと自主出版★


その頃、メルマガがブームになりつつありました。インターネットの世界は日増しに変化し、既存のシステム以外でも、個人が情報を発信できるようになりました。『天上のシンフォニー』も、最後の手段として、電子出版のような形にする方法もあると思いはじめたのです。それを模索する意味で、私もメルマガの配信を始めました。『Holistic Transformation』というものです。これは包括的に自己を変容させるためのプログラムで、フィジカル・トランスフォーメーション(身体的変容)、インタレクチュアル・トランスフォーメーション(知的変容)、サイコロジカル・トランスフォーメーション(心理的変容)、スピリチュアル・トランスフォーメーション(霊的変容)、エコロジカル・トランスフォーメーション(社会的、環境的変容)の五つの柱から構成されていました。仮に『天上のシンフォニー』がうまくいかなかった場合でも、社会に向けて情報を発信する土台にしようと思ったのです。(こちらは今年の2月11日を持ちまして廃刊とさせていただきました)


メルマガを発行しながらも、『天上のシンフォニー』の書き直しは続けていました。そして、これがもう最後の最後という思いで書き直しをした後、新たな出版社へ持ち込みました。が、断られました。


この時点で、出版社への持ち込みは諦めました。自費出版や電子出版という道を模索することにしたのです。自費出版だけは今までずっと避けてきたことです。お金がなかったことが主な理由でしたが、自分がお金を出してしまったら終わりだとも思っていました。普通の本ならいいです。ハウツーものや体験記を、作家でない人間が、自費出版で出すことには異論はありませんでした。しかし、自分は小説家を目指した人間、まして著書まである人間、第三者がお金を出してまで出版したいと思う作品でなければ、意味がないのです。


つらい決断でした。しかし、それでも出す価値があると思いました。プライドがどれだけ傷つけられようが、笑い者になろうが、作品が多くの人の目に留まるならば、その価値はあると思いました。


自費出版よりもさらにお金のかからない、自主出版という方法を考えました。編集作業をすべて自分で行い、印刷会社に直接依頼するというものです。自費出版の半分ぐらいの価格にはなります。


それでも、そこまでの貯金はありませんでした。そこで、お金を貯めることを考えたのです。



★『天上のシンフォニー』の挑戦⑤ 町田さんとの出会い★


その年(2004年)は、いろいろな意味で新たな展開を考えていました。メルマガと平行して、講演会やセミナーも再開させたいと思っていたのです。お金を貯める上でも、そうする必要がありました。ところが、人脈が全くなかったのです。今までずっと執筆だけにかかりきりだったので、人と会うということをほとんどしていませんでした。過去の人間関係もみな疎遠になっていました。そこで、かつての人脈を取り戻そうと思い、早速、連絡を取りはじめたのです。


そのうちの一人が町田さんです。8月初旬の暑い日、私は町田さんと吉祥寺のスターバックスで会いました。お互いに少し歳を取っていました。6年近く会っていなかったので、無理もありません。私たちは近況を伝え合い、いろいろな話をしました。しかし『天上のシンフォニー』の話はあえてしませんでした。全力投球してきただけに、逆に話すとシビアになり過ぎると思ったからです。


すると町田さんのほうから、「『天上のシンフォニー』はどうなったんですか?」と訊いてきました。私はしぶしぶ作品のことを話しました。
「どんな話なんですか?」
粗筋を言うと、
「読みたいな」と言いました。


私にはポリシーがありました。それは読みたいと言った人には必ず原稿を渡すというものです。その人が遠くに住んでいようが、全く出版につながりそうになかろうが、読みたいという人には渡す。その代わり、読みたいと言わない人には、こちらから「読んで」とは言いません。よく読ませてくれなかったという人がいますが、それは「読みたい」と口に出して言わないから読ませていないだけで、一言でも言っていれば、原稿を用意したはずです。


「原稿だけれど、いいんですか?」
「かまわないですよ」
ということで翌週、同じ場所で原稿を渡したのです。


ただ、ここから何か発展するとは全く期待していませんでした。



★『天上のシンフォニー』の挑戦⑥ 3000人委員会★


ところが、この町田さんが、ぜひともこの作品を世に出したいと言ってきたのです。彼も出版業界の現状がきびしいことは十分わかっていました。それで、まず、自分たちで3000人の読者を集めてしまおう、と言いはじめたのです。しばらくして、彼は「天上のシンフォニー制作委員会」を立ち上げました。3000人を集結するということで「3000人委員会」という別名も付けました。コピー製本を作り、インターネット上で販売するというプロジェクトです。



★『天上のシンフォニー』の挑戦⑦ 3000人の読者が集結★


2005年の4月末に始まった3000人委員会には、多くの方々が入ってきました。読んだ人が友人、知人に紹介するという形で、本は瞬く間に広がっていきました。中には、数十冊も購入して周囲の人たちに配り歩いてくださった人たちもいました。注文は全国から集まり、全都道府県に読者が存在するまでになりました。そして11月20日に、3000人の読者が集結したのです。数週間後、出版社も決まりました。8年間に渡り出版されることのなかった『天上のシンフォニー』が、いよいよ4月8日に講談社より出版されることとなったのです。



★なぜ素性を明かさなかったのか★


これは町田さんの意向によるものでした。まず、危険であるということです。読まれた方はおわかりだと思いますが、フィクションであるとはいえ、政治的、経済的なあるひとつの流れを描いていて、そのような情報が世に出ることを快く思わない勢力があると思っていたからです。


物質次元でというよりは、むしろエネルギー・レベルでの妨害が入る恐れがあるということです。『マリアエネルギー』は売り切れたにもかかわらず、初版3000部で絶版になってしまいました。『天上のシンフォニー』がこれだけ多くの人に評価されながらも、(出版には至りませんでしたが、絶賛してくれた人はたくさんいたのです。作品的な評価だけでなく、作品が世にもたらす霊的な価値においてです)出版に至っていないことがそのいい証拠である、と言うのです。


3000人という読者が集まれば、エネルギー的には強力になります。どのような妨害をも撥ね退けるだけの勢いがつきます。


次に、池沢美明という人間は、『マリアエネルギー』というチャネリング本を出版しています。そのような情報が先にあると、様々な先入観が生まれてきます。純粋に小説を味わうという行為の障害になりかねません。


これに関しては私も同感でした。作品をあえて小説で書いた理由のひとつは、できるだけメッセージ色を弱めたかったからです。フィクションであるために、意味が限定されず、読者が様々な解釈をするスペースが残されています。21世紀の作品として大きく意味を持つ理由はまさにそこにあり、意味が限定されてしまうような先入観は与えないほうがいいと思いました。


わざわざ隠す必要はないのではという意見も多くいただきましたが、この方法を用いたことで、作品に色がつくことなく、読者が自由に解釈できる土壌が作れたと思います。現時点では、『天上のシンフォニー』は完全に一人歩きし、固有のイメージが定着しつつあります。『天上のシンフォニー』は『天上のシンフォニー』であり、『マリアエネルギー』とはまた違うものです。『マリアエネルギー』は池沢、テレナローザさん、そしてマリアエネルギーの視点で書かれていますが、『天上のシンフォニー』は数多くの登場人物の視点で書かれています。数多くの神々の視点でも書かれています。前者がひとつのメッセージを発信しているのに対して、後者はすべてを読者にゆだねているのです。 



★池沢美明と伯宮幸明★


ということで、伯宮幸明(たかみや さちあき)という新しい名前が誕生しました。今後もこの二つは分けて使っていきたいと思っています。フィクションを書く時は伯宮を使い、ノンフィクションやハウツーものを書く時は池沢を使おうと思っています。


伯宮はスピリチュアルな事柄の解説はできるだけしないようにします。著者の言動は影響力が強いので、読者が自分で答えを見つけていくというプロセスを奪わないためです。フィクションというものは作品にすべてが込められていて、それを説明しないのが普通です。けれども、『天上のシンフォニー』の場合、ブッダの教え、キリストの教え、アトランティス、宇宙連合など、いろいろと質問してみたい要素が多く含まれているので、よく解説が求められます。ただ、そこでそれに答え、説明することは、ひとつの解釈に誘導してしまうことになるので、フィクションの良さを活かす意味でも、極力避けたいと思っています。


しかし、著者といえども人間であり、個人的見解というものを持っています。ムーブメントを推し進めるには、その見解を伝えることがうまく作用することもあります。その部分は池沢が担当します。池沢の時は個人的に思っていることを何でも話し、伯宮の時は極力カラーを出さないようにします。


ですから池沢が語る時は、一個人の意見として聞き流していただいて結構です。(笑)



★全国縦断SGTライブツアー★


現在、全国縦断SGTライブツアーを行っております。
(ツアーの日程はこちら)
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こうして素性を公開したことにより、皆様ともお会いできるようになりました。この時をずっと待っていました。ぜひ、会場のほうに足をお運びください。お会いできるのを楽しみにしています。


伯宮幸明