東北への旅⑪【5年経った被災地】 | 介護と私とColosseo(ヒーリングと石鹸の家)

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子ども二人。孫三人。
夫は5年半の闘病の末2024年4月に他界。
色々大変なこともあるけど
地球を大切に、自然と共に、大地を癒し、穏やかに生きていけるように。
日々の記録を残してます。

東北温泉特集までで、一旦気持ちが落ち着いてしまい、続きをどうしようかと思っていたのですが。



先日の鳥取の地震では、緊急地震速報が鳴って、堺も揺れました。


年に何度も震度6レベルの地震があるって・・・やっぱり東北のことも残しておこう(私目線ですが)と思い直し、投稿することにしました。



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仙台空港から最初に向かった女川。



震災直後の石巻線女川駅(震災サイトより)




新しくなった女川駅です(私撮)






駅を背にして立つと工事現場になります。


東北への旅①でも書きましたが、
新しい駅舎と工事現場を見ても、ピンと来ませんでした。


「あ~、ここに津波が来たのね」



遠くに見える海があまりにも静かだし、
空は青く広く・・・



工事現場や、削られていく山肌と、
新しいピカピカの駅や新しい商業施設、
少ない人、というアンバランスさを少し感じて。

「このお店達は、儲かるのか?」という関西的な方向が気になり、震災という方向は・・・



「よくわからない」が正直な気持ちでした。


まだ、大阪から仙台に着いて数時間。
見ているのは、真新しい建物ばかり。


よくわからなくても仕方がないのかもしれません。





翌日



大船渡の「潮目」という場所に、こんな建物があります(車で見にくいけど)

震災後の瓦礫でできた津波資料館

中は当時の写真が展示されてます。



地震直後
     ↓
津波が迫ってきて
     ↓
ドンドン海水に呑まれていき
     ↓
瓦礫だらけになっていく

写真を現地で見ると、これまで家でニュースや特番で何度も見ているのに、臨場感が全然違いました。


「この写真ここなんだ」




階段があるでしょ?
この近くの学校にあった非常階段です。

どんな気持ちで、この階段を使ったんだろ。



子ども達の秘密基地みたいに造られていて、誰でも入れます。



ここに入って写真を順番にみている時に、初めて「恐怖感」みたいなものを感じました。



「津波って怖いわー」ではなくて、
被災された方々が感じた恐怖とか、悲しみ、不安、絶望・・・・


東北2日目になって、少しずつ土地のエネルギーみたいなものを感じるようになってきたみたいです。



実際にこの辺りでたくさんのお子さんが亡くなったということではないらしいのですが、
「体験してしまった辛さ」
が、ここだけでなく、東北の地のそこここにあるように思いました。






この建物を造られた方にお会いできたのですが、とても明るく、元気なおじさん。

起きた事を丸ごと受け入れ、その時感じた思いを行動や形にしているおじさんのエネルギーは、ものすごく大きく強く、私みたいなヘナチョコ野郎は、そのパワーに押されまくりでした。






「ど根性ポプラ」

ど根性、と呼ばれるってことは、まわりにもっとたくさんの木があったのかしら。
どんな気持ちで、ここに立っているんだろう・・・




ど根性ポプラから、もっと上がった眺め

あっちの方に見える海が、この写真を撮ってる所よりもっと上まで来たのです。




もう少し上がっていくと




樹齢7000年の大王杉

この近くまで津波がきています。

7000年前って、いつ?

大王杉は、何回津波を見たんだろう。




私が訪れたのは、9月半ば。

ものすごい偶然なのですが、
先週訪れた佐賀でお会いした、
ホツマツタエ「あわのうた」の中山さんが、10月初旬に大王杉を訪れていて、
「あわのうた」を響かせていました。




この話は、また九州レポの時に詳しく



大船渡、潮目付近は、人の思いと、太古の昔から在る杉の木の大きなエネルギーがグルグルしている場所でした。




長くなってきたから、一旦終わります。



次は陸前高田です。