【自分史】着物との出会い 最終回 | 着付け着物ふわりとまとう ものづくり

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着物も洋服も大好き♡ファッションデザイナーと着付講師の日記

自分史続きです。
前回から時間が空きましたが、、、、今回で終わりです
むりやり最後にしていますが
機会があれば「洋服の遍歴」とか書きたいので、、着物部分はこれくらいで


今までの記事

【自分史】着物との出会い 少女時代
【自分史】着物との出会い 学生時代
【自分史】着物との出会い 学生卒業編
【自分史】 着物との出会い 社会人編





2007年のある日

京都京都  で働いていましたが

千葉千葉県  の実家からの連絡 で一旦、戻ります。


理由は、 祖母の入院


いつも明るい声の母が、絞り出すような声で


「おばあちゃんが、、、」と 祖母の危篤を告げると



周りの音が遠のいて、 走馬灯 のように祖母との思い出が巡りました


この時、私が着物を着るのを喜んでいた祖母の姿が脳裏によみがえります。
七五三、日舞、十三参り、成人式
誰かの着物の世話をするのが好きな人でした。
 
この振袖もとても喜んでくれました



翌日から仕事を休み、

祖母を見送るまで実家にとどまりました。



納棺の際に、祖母に買ってもらった着物も一緒に収めました。


私と祖母をつないでくれる存在であった着物を

彼女の旅立ちの時もそばに持っていってもらいたかったのです。





  
 

 
これもこれも祖母の見立て。

もっと言えばこれも
 
去年の私ですが、このピンクの鮫小紋は祖母に中学生の時買ってもらったもの


祖母の他界 で 残された着物 をたくさん整理することになったのですが

着物や帯にはどれもストーリーがあって

着物は女の人生を語るな、と









東京に戻りたいと思うようになっていたこともあって

東京ってやっぱりエキサイティング!
アパレルで仕事するなら、東京!!

いくつか転職のお誘いもいただくようになり
2年の京都生活に終止符を打ち
東京のせわしないアパレル業に戻ります。




東京に戻ってきてからは
パーティとかレセプションでも着物着るようになりました

着物を着る機会はあるものの
納得のいかない着姿
ますますモンモンと


鞠小路スタイルの存在を知ってから数年経ち

その
いつか
を現実にしたのは震災後



鞠小路スタイルの東京マネージャー洋子さんからのインタビューで
以前こう答えています、私。
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クエッション
  数ある着付け教室の中で、なぜ鞠小路スタイルを選ばれたのですか?

A. 
他の着付け教室にはない、オシャレさを感じたからです。
    洗練のファッショナブルとはちがう、
   日本の女子のオシャレな匂いがしました(
)
    オシャレに関する私の嗅覚が鞠小路を嗅ぎ付けたのだと思います。

クエッション 着付け講師になろう!と思われたのはなぜですか?

A. 
震災でボランティアに行ったのですが、ファッションを職業としいる私の技能である、
    デザインやパターンなどは全く役に立ちませんでした。
    何とかお役に立てたのが、浴衣の着付けでした。
    当時は日舞や茶道を通して着物を着るだけだったのに・・・
    専門家でもないのに、それでも誰かの役立つことができるんだ!
    着付けをもっと学びたいと思いました。
    でも、着付け師にはなりたいとは思いませんでした。
    
自分で着物を着ることができるようになる、そのことを手助けしたかったのです。
    着物を人に着せてもらうのは自立していない状態ですよね?
    私はだれかの依存ではなく、自立の助けをしたいと思ったので、
    着付け師ではなく着付け教室の講師を志しました。


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