学んでいるのに、迷いから脱却できないあなたへ。才能の片鱗をつかむコツ。 | 山部香澄 自己表現を生きる

山部香澄 自己表現を生きる

自己表現を生きるためのステップ。




香澄です。



次回の勉強会のテーマが
ようやく決まりそうです。




―――



あちこちで役立つことを学んで
いろんなことを知っていても

なかなか実際に役立てられなかったり
投資している分回収できていないと感じている方、
いませんか?


今日の話はそんな方に向けて。



何より私自身が
そうでしたし

今もちょっと自分を忘れると
学び欲求が過剰になることもあります。





学び続けた分だけ、迷い続ける。
学んでいるのにいっこうに自信がつかない。

こういう状態を
ジプシーと揶揄されたりもしますが


学んでることで自信になる、ならないには
どんな違いがあるんだろうって
昨日考えてました。







学び続けた分だけ、迷い続ける。


そうなる原因は、もしかすると

■「スキル」と「才能」を混同している

ことが原因なんじゃないかって
思ったわけです。



スキルを転々としながら
「私にはなかなか才能がない」
と嘆いているかもしれない。


そう感じたんですね。



ただ、スキルと才能って抽象的で

人によって捉え方が違うかもしれないので
そこからお話していきますね。



―――



まずここで私の感じている「スキル」とは


・比較的早い年月で身に付く技術。

・ある程度人と同じトレーニングをしたら
ほぼ、一定期間で身に付くもの

・それを続けていると定着して、熟達していくもの。

・一定の人に必要とされ、役に立つとあらかじめ分かっているもの。

・明確にそれを指す名前がついているものが多い。




こういう感じです。



では、「才能」とは?

この言葉が人によって
全然違うイメージになると思うのですが。

私はこういうものだと思っています。


・特段、トレーニングした記憶もないのに
いつの間にかできるようになっていたこと。

・場合によっては、子供のころから人よりも
得意だったこと。

・誰しもがトレーニングでできるとは限らないこと。

・最初は自己満足のことも多く、気づくまで、また
人の役に立つまでに年月がかかることも多い。

・その才能を指す名前が明確でないことも多い。



こんなイメージ。



カンタンに言うと、

元々、霊やオーラが見える人っていますよね。

それってある先生の元で修業して
トレーニングで身につけたとは、あまり
聞きませんよね。

(そういう修行、あるかもしれませんが、
かなり例外のはずです)



たいていは、本人が
好む好まざるにかかわらず、

幼い頃から霊が見えた、
というエピソードを聞くことの方が普通は多いでしょう。




ただ、それはそのまんまでは
「きゃー怖い」ってレベルで終わってしまい
何の役に立つのかは分かりません。



それを、役に立つようにと
トレーニングで磨き高めたり、職業として名乗って
活躍している人はいるはずです。




―――



まとめると、

「スキル」とは人間が体系化し
作り上げてきたもので
外側から教わって身に着けるもの。

「才能」とは天からの
授かりもので、内側から湧いてくるもの。

というイメージです。





スキルと才能の領域は、
かさなることもありますが

「スキル」を集めたからといって
それが「才能」には昇華しないんじゃない?

って私は思うんです。



「才能」を知るには
自分を出して生きていかなければならない。

役に立つことも
自己満足なことも

ぜんぶひっくるめて
自分から生まれいずるものです。


しかも、言語で
「これ」と明確にならなくて

モヤモヤとつかみどころのないものが
才能の片鱗だったりします。

最初から完成型としてあるわけじゃない
でも明らかに他の人と違う、私だけの何か。


それを見つめ、高め続けた人に
才能は徐々に立ちのぼってくるのではないかと。




だから「スキル」のような
最初から完成型を身に着けたとしても

それは誰か他人の考えたもの。


自分の「才能」のカバーする範囲が
すべて含まれているとは限らないんですね。


だからそのモヤモヤとした部分は
自分でつかんでいく他、ありません。



それが、実践でしか見えないことだと
思うんです。



実践って、漠然としていますが、
ひたすら自分と向き合いながら生きていくこと。


これまた、「何かを毎日やればいい」
という固定化されたものではないような気がするんです。




―――


たとえば、ある人の才能が

「なぜか人の動作を見て気持ちが予測できる」

というようなことだったとします。


もしそれが分かってきたとして



気持ちかぁ…じゃあ心の分野?
そしたら、癒し系の仕事とか向いているのよね?

と思いがちですが、


それはざっくり言うと「スキル」の範囲。



その「才能」が高められると
どんなことにも生きますよね。


たとえば、

・レストランの接客サービス

 ⇒お客さんの動作を見て、どうして欲しいか察知する


・身体をメンテナンスする整体関連の仕事

 ⇒クライアントの体の動きを見て、
  どういう心理状態で体がこうなったかわかる


・社員を雇う経営者

 ⇒社員の動きがいつもと違うことで
  会社全体の士気や方向性がわかる




これらの職業に必要な「スキル」は
全然別のものです。


ですが同じ「才能」、
「なぜか人の動作を見て気持ちが予測できる」
がどのジャンルにも生きている。

(例が広すぎてごめんなさいですが)



逆に言うと、才能の片鱗さえつかめば
何をやっても生きるんです。


何をやっていいか分からない???
と迷っている人に

「まずは今の自分の仕事を精一杯やってみてはどうでしょう」

と提案されるケースが多いのは
そういうことなんですよね。



これは決して、
「夢みたいなこと言ってんじゃねーよ」
という意味で言っているのではなく

「才能」ならば、片鱗であっても
今ここに、すでに出てきている可能性があるということです。





「才能」ならば、ジャンルに関わらず
精一杯やっているときにおのずと香ってきます。

ふんわりと、立ちのぼってきます。



あまりに曖昧であっても
ほんの少し香るその才能の片鱗を
日常の営みでも、見逃さないこと。





―――




最初の話に戻ると、


■あちこちで役立つことを学んで
いろんなことを知っていても
なかなか実際に役立てられなかったり
投資している分回収できていないと感じている

そういう方に向けて

■「スキル」と「才能」を混同している

のではないか?
という仮説をお話していました。





「才能」は実際に世の中に向けて
自分を出していくことで香ってくるもの。


たとえどんなことをやっていても
自分をそこに反映させることができていれば
才能はおのずと、立ちのぼってくる。


そういうことが、これまでの経験から
少し、分かってきました。




逆に、です。

■特定の「スキル」を身につけようとするあまり
「才能」が香るのを邪魔しているかもしれない


ということ。


「スキル」を実行しようとするあまり
自分を出さないように、としているのであれば
そこから、「才能」は香りません。


自分を出さずに、技術だけを淡々と
こなすことは、できるからです。




やみくもに学んで安心しようとしている
自分を見つけたら、
こう問いかけてみてください。


『今身につけようといている「スキル」は
自分を表現するものだろうか?』




今すぐには、分からないかもしれませんが
問いかけることによって徐々に、見えてきます。



この記事だけでは
語れなかった部分は、また別の機会に…。




p.s.

画像探してて、
以前同じことをお伝えするのに
こんな画像を創ったのを思い出しました(笑)。
3

参考までに。




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