永倉新八所縁の地を巡る① | 徒然探訪録

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明治期、斎藤一と永倉新八は共に水道橋付近、交流があったかは定かではありませんが、歩いて行ける距離に住んでいたようです。永倉は明治9年に板橋に新選組殉難者墓碑を建立していますが、これには斎藤の協力もあったと言います。私たちも斎藤の住んでいたと言われる本郷から、白山にある永倉新八の住居跡へと徒歩で向かいました。春日通りを直進し、白山通りへ。この白山通り沿いに永倉新八が明治24年から28年に移り住んだ場所があります。

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▲文京区小石川1-17。永倉が明治25年2月9日から明治28年5月16日の間住んでいたと言われるところです。現在では『エルアージュ小石川』というショッピングモールになっています。


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▲文京区小石川1-17付近の風景。


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さらに直進すると左手に『フロンティア小石川ビル』が見えてきます。このビルの建つ文京区小石川1-28-1は、明治24年11月3日から明治25年の2月9日の間、永倉が住んでいたと言われる場所です。


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▲『フロンティア小石川ビル』付近の風景。白山に住んでいたのは、永倉が牛込で剣術道場をしていた時期にあたると思われます。



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さらに直進すると左手に『蓮華寺』がありました。


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説明板に別名『武士寺』との記述があり、武士寺かぁ、何か永倉新八さんを連想しちゃったよね、彼の所縁の地の近くだしね、などと境内へ。


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▲『蓮華寺』の境内。この頃にはすっかり陽も暮れてしまっていましたが、綺麗な夕暮れの空が見られました。『蓮華寺』には山岡鉄舟が建立した山岡家のお墓があるそうです。


 

参考HP:『柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート』